以前チラッとお伝えしましたが(コチラご参照)、
わしの思い出の名勝負を皆さんにご紹介するというもの。
名づけて「嗚呼、名勝負」(普通すぎてゴメン)。
漫画名勝負のリアル版とでも申しましょうか。
ともあれ、早速はじめます。
第一弾はKの部屋らしく、NBAの名勝負からまいりましょう。
名勝負その1
NBAファイナル1999
ニューヨーク・ニックス×サンアントニオ・スパーズ 第5戦
98-99シーズンといえば、ジョーダンの二度目の引退により、
ブルズ王朝が終わった翌年であり、ロックアウトでリーグ戦が
普段より32試合も少ない50試合だったシーズンです。
主役は間違いなく“ミラクル・ニックス”でした。
マイケル・ジョーダン(引退)、スコッティ・ピッペン(移籍)、
デニス・ロッドマン(フリーのち移籍)の三銃士が離脱し、
ヘッドコーチのフィル・ジャクソンもチームを去ったブルズは
一気に弱体化し、東の絶対王者からドアマットに急転落、
王朝終了後のイースタンは群雄割拠の時代に突入します。
次の覇権を狙い、各チームがしのぎを削る中、混戦を制して
決勝に進んだのは、1位のマイアミでも2位のインディアナでもなく、
なんと東地区8位のニューヨーク・ニックスでした。
8位といえばプレーオフ進出の最低ライン。あとひとつ順位を
落としていたらプレーオフにすら進出できなかったニックスが
奇跡を起こし続け、まさかのファイナルにまで辿り着きます。
1回戦の宿敵マイアミ戦では、最終戦残り0.8秒でアラン・ヒューストンが
ワンハンドジャンパーを決めて大逆転勝利を飾り、
東地区決勝のインディアナ戦では、ラリー・ジョンソンが歴史に残る
4点プレイ(ファウルをもらってのスリーポイントシュート)を決めて
やはり大逆転を演じるなど、漫画やドラマでも描けないような
ミラクルを次々と披露してくれたのです。
しかも、大黒柱のパトリック・ユーイングを怪我で欠きながら、です。
ニックスはニューヨークを本拠地に置くNBA屈指の人気チームなので
当然このドラマには全米が熱狂、なんともエキサイティングな
プレーオフとなりました。
その“ミラクル・ニックス”を、ファイナルで待ち構えていたのは、
ハイレベルなウエスタンのプレーオフトーナメントを
わずか1敗で勝ち上がったサンアントニオ・スパーズ。
デビッド・ロビンソン&ティム・ダンカンというNBA最強の
ツインタワーを擁し、東西合わせてリーグ全体1位の成績を残した
このシーズン最強のチームでした。
センターのユーイングを欠いて高さを失っていたニックスの相手が
よりによって最強の摩天楼・スパーズだったのです。
戦前の下馬評は当然ながら、ニックス圧倒的不利。
ニックスはパワー・フォワードのポジションに入っている
ラリー・ジョンソンが201センチしかないのですから、
これでダンカン&ロビンソンと戦えというのも無理というもの。
その下馬評どおり、ニックスは最初の2試合を落とします。
第1戦77点、第2戦67点、点が獲れないのです。
いやはや、とにかくツインタワーが凄まじい。空を制して
スコアを重ね、守備ではニックスのシュートをバッシバッシと
叩き落します。ユーイングがいないニックスは彼らに歯が立ちません。
スパーズは脇を固めるエリーやエリオットも着実にチームに貢献し、
総合力は抜群です。まあ、それはそれは、強い強い。
スパーズはいま現在も勝ち方を知り尽くした堅実なバスケットで
毎年のように好成績を残していますが、その憎らしいまでの
強さはこの頃から始まったものです。
このとき入団わずか2年目だったダンカンによってもたらされた
強さといってよいでしょう。15年前のこの時から既に
ダンカンは怪物だったのです。
しかし、ニューヨークは諦めませんでした。
2連敗から舞台をニューヨークに移した第3戦、
「I STILL BELIEVE」を合言葉にファンが立ち上がります。
ご存知応援団長のスパイク・リー(映画監督)を筆頭に、
マジソン・スクエア・ガーデンの観衆がニックスを後押しです。
観客全員が「I STILL BELIEVE」のカードを持って声を出します。
会場を包み込む勝利を信じる熱狂。とてつもないまでの「うねり」が
そこにはありました。テレビ越しにも伝わってくる異常な熱でした。
それに応えたのが、二人のシューティングガード、
アラン・ヒューストン&ラトレル・スプリーウェル。
ダンクシュート誌が「ハイパー・シューティングガード・デュオ」と
名づけた、ともに200センチに満たない2人の男が、スピードと外角、
そして、ポジション同士のマッチアップなら決して負けない
インサイドプレーも駆使し、摩天楼を攻略します。
第3戦を獲り、この夜、ニューヨークは歓喜に包まれたのでした。
が、だからといって次も勝てるほど勝負の世界は甘くありません。
相手は何しろツインタワーの最強スパーズなのです。
バスケットボールという競技において「高さ」のアドバンテージは
とてつもなく大きなものでした。またもやツインタワーに空中を制され
ニックスは黒星を喫してしまいます。
第4戦を落とし、ニックスはがけっぷちに立たされました。
いよいよ追い込まれました。あとひとつ落とせば終了です。
スパーズ王手です。
再びマジソン・スクエア・ガーデンが叫びます。
――I STILL BELIEVE
そして迎えた第5戦。
このシーズンのニューヨークのラストマッチ。
ラトレル・スプリーウェルが、おそらくは彼のバスケ人生における
最大最高のハイライトであろうパフォーマンスを見せます。
ワイルドなヒゲに、編みこんだ頭髪、そしてユニフォームを
だらしなくパンツの外に出し、その風貌は言ってみれば「悪ガキ」。
彼は、圧倒的な身体能力と、実はジョーダン級ともいわれる決定力を
有しながら、精神的な面に難を抱えた問題児でした。
かつてコーチの首を絞めるというとんでもない問題行動を起こし
リーグでのプレーを禁止されたこともある“前科者”なのです。
そのスプリーウェルが、この夜、ついに秘めたるポテンシャルを
大爆発させます。
スポーツの世界に「ゾーン」という言葉がありますが、
それがどういう状態かは、この試合の彼を観れば分かるでしょう。
スピードでディフェンスを切り裂いてゴールを決めれば、
守備では電光石火の動きで相手ボールを奪い取り、
まさに獅子奮迅の大活躍。
そしてミドルシュートからスリーポイントシュートまで
信じられない確率で決め続けるのです。
あのツインタワーもスプリーウェルを止めることができません。
リーグの問題児がニューヨークのファンを熱狂させます。
ひとりでスパーズを倒すつもりかのようなスーパープレイの連続で、
「I STILL BELIEVE」を体現し続けました。
しかし、ニューヨークファンの祈りは届かず。
この試合も最終的にスパーズの勝利で終わります。
スプリーウェルの伝説の夜は、敗北で幕を閉じるのです。
場内に「ファイナルカウントダウン」が流れるなかで
迎えたラストシーン、残り1秒でシュートの体勢に入った
スプリーウェルの前に現れたのは、やはりツインタワーでした。
願いを乗せたシュートが外れ、ニックスは敗れ去ります。
この夜のスプリーウェルは、まさしく男の中の男でした。
ミラクル・ニックスの最後の戦いは、残り1秒で勇者が
圧倒的な高さに屈するまで、熱狂と興奮がうずまく
歴史に残る名勝負となりました。
彼の全35得点を記録した動画がここにあります。
スプリーウェルの強烈なパフォーマンスと、
何度も響く「ラットレール・スプリーーーーーウェーール」の声、
そして、熱狂するマジソン・スクエア・ガーデンの「熱」。
奇跡のチームが見せた最後の戦い、ご覧ください。
↓
以上、名勝負第一弾でした。
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嗚呼、名勝負(1) NBAファイナル1999 ニックス×スパーズ第5戦 へのコメント一覧
スプリーウェルが活躍したKG、キャセールとのウルブズはめちゃくちゃ好きでした。
私はこの時からスパーズが好きになれなかったんだなぁ…懐かしい!
でも、嗚呼NBA91〜92の続きも読みたいです。ぜひ、更新お願いします!10話までを、もう何十回も読み直しました。かなり引き込まれてしまいます!なので、そろそろ続きを…
いやぁミラクルニックス懐かしいっすねえ。個人的には中日対巨人の10.8とか88年F1日本GPのセナプロ対決をKさんの視点から振り返ってみて欲しいです。ちょっと古いですかね?
スプリーのドライブイン本当にかっこよかったです!
毎度お疲れ様です。