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  • 2018年10月17日19:56

2006年8月の編集者・K 〜東京に異動になった〜

ひょんな思い付きから始めたこの企画、
第2回はちょっと最近のハナシで。

第1回は1990年で、若い読者には
まったく思い出のない年だったという(笑)


わしには「自分の街」といえる場所が3つあります。
生まれ育った岡山県、いま暮らしている埼玉県、

そしてもう一つは、
大学入学から約10年を過ごした、愛知県です。


いつものクセで「名古屋」と言ってしまいますが
(名古屋市民じゃなくても名古屋というのは、
わりと、あるあるなハナシ:笑)、

わしはホントに名古屋が大好きでした。


大学で出会った一生モノの友人がいて、
編集部の仕事もすごく楽しくて、
そこにいる仕事仲間も大好きで、
スポーツバーなどで沢山の出会いもあって。


が、
2006年8月に、
その名古屋を離れることになるのです。


■2006年8月の編集者・K


イキナリそれはやってきました。

6月だったかなあ、7月だったかなあ、
ふと、呼ばれたんですよね、上司に。

「K、昼メシでも食いに行くか」と。


その上司とは、互いの家族まで知り合いなくらい
とっても仲がいいんだけど、
意外や昼メシを一緒に食いにいくことは
ほとんどなかったんで、

呼ばれた瞬間、
あ、コレは何かあるな、と分かりました。


新しい仕事の話だろうか?
もしかして誰かが辞めちゃうとか?
なんなら、その上司がどっか行っちゃうとか?

何かあるだろうと思いつつ、
オフィスの近くの天丼屋に入りました。

※そういや、あの天丼屋、
そのときの1回しか行ってないな…


モグモグと二人で天丼を食いながら、
会話が始まりました。


上司 「お前、いま何年目だっけ?」

わし 「今年で7年目ですかね」

上司 「最近、仕事はどうよ」

わし 「楽しいですよ。しんどいけど(笑)」

上司 「そっかぁ〜」


モグモグと天丼を食べます。
ズズ〜ッとお茶をすすりながら。


上司 「お前、東京行く気ないか?」

わし 「へ?」

上司 「東京だよ」

わし 「異動ってことですか?」

上司 「そういうこと」


聞けば、

東京のデジタル系の部署が人を欲している、と。

情報系媒体だから雑誌編集のキャリアがあると
なおよい、と。

20代の若い人間で、デジタル系に慣れがあると
なおなおよい、と。


そんななか、名古屋の編集部員が
ブログを上手いことやっているという噂を聞き、
わしに白羽の矢を立てたのだ、と。

そして、当時まだ契約社員だったわしを、
東京への異動により正社員登用する、という。


わし 「なるほど…」

上司 「いい話だと思うんだよ、これ」


東京への興味がないわけじゃありませんでした。

アルバイトで出版社に入り、名古屋の編集部で
ひたすら頑張って6年が過ぎていました。
現場内では、主力となっていました。
そろそろステップアップを意識する時期。

新しい仕事、新しい環境、特に本社の仕事に
興味があったのは、間違いのない事実です。

わしは、出版事業にずっと身を置いていたわりには
珍しくデジタルアレルギーもなかった。むしろ好き
(当時はわんさかいたからね、アレルギーの方)。

単純に東京という街への憧れも当時ありました。


――自分が抜けたら、残った皆が大変なのでは

ということは、なぜか考えませんでした。

これまでの経験で、
こういうとき、みんな最初はそう言うんだけど、
意外と2〜3週間もすれば、普通に回りだすのを
何度も見てきたからです。

あ、上司はしばらく大変だと思うけど。


と、
そんなことを言ったところで、
上司は「気にするな、自分のことを考えろ」と
返してくることも分かっていたからです。

※その上司とはいまも仲良しなのですが、
自分が大変になっても、わしのことを
何とかしようとしてくれる、そういう人なんです


また、正社員になれるというのは、
既に二人の子供がいた自分にとっても
凄くありがたいハナシでした。

が、
そこであっさり返事はできません。


「興味はあります。家族と話して考えます」
と伝えて、その場は終了となりました。


そして、帰宅。

夫婦で会議です。

もちろん奥様は悩みます。

上の子が2歳半、下の子に至っては
まだ1歳になったばかり。

子供が小さいだけに単身赴任はありえません。
行くなら、4人で引っ越しです。


もともと関西で育った奥様は、
わしと結婚して名古屋で暮らすことになりました。

やっとこさ、この街に慣れて、
ママ友もたくさんできたところです。


それが、東京に行けばすべてリセットです。

わしは新しい職場で新しい仲間がすぐに出来る。
でも、奥様は違います。そして、子供も。


3日ほど悩んで、結論が出ました。


―― 東京へ行こう


最終的には、わしの仕事への興味・意欲を
奥様は尊重してくれました。

新しい場所に行くのは不安だけど、
あなたが新しい仕事をやりたいなら
そこについていきます、と。


そこからは、大忙しです。


まずは、住む場所から探さねばなりません。

会社からの距離も大事、
小さな子供が二人いるので環境も大事、
家賃や税金などの経済面も大事、
間違ってはならないポイントがたくさんある。


わしが毎日の仕事に追われるなか、
奥様はネットやら何やらで最適な街を
熱心に探してくれました。


幸いなことに、
わしも奥様も「郊外志向」でした。

都会があまり好きじゃない。
クルマがないと少々不便、くらいの場所が好き。

家賃や駐車場代のことなども考えると、
東京じゃないほうがいい、とすぐに一致。


そして、第一候補となったのが、
埼玉県だったのです。


西日本出身のわしにとって、
浦和レッズとさいたまスーパーアリーナ
くらいしか印象のない街でしたが、

奥様が気に入ったようなので、
「オーケー、そこにしよう」と一発OK。


人事情報が会社で解禁となり、
また、ブログでも自分が引っ越すことを告げ、
いよいよサヨナラモードに突入。

そういや、そのころみんなに
自分が結婚していることを知らせたんだったね。

ああ懐かしい。
その時の記事


大好きだった、名古屋の地元スポーツの連載、
最後の取材は、グランパス・玉田選手でした。

その時の記事


そして、自分が携わる最後の号の編集後記に、
「さよーなら」的な原稿を書き、
最後の週は、送別会のオンパレード。
まあ、アリガタイ、アリガタイ。

その時の記事


この頃は引っ越しの話題ばかりだったね、
Kの部屋。

編集部にバイバイ
キー局が映ることに感動
段ボールの撤去完了
やっとPCが繋がった



てなわけで、自宅は埼玉県に変わり、
職場は東京に変わったわけであります。


いやあ、もう12年も前の話なんだね。

まだブログのコメント欄に返事してた頃だ(笑)。


2006年の夏、ドイツW杯惨敗の思い出と共に、
わしにとっては、新しい街の生活が始まった
思い出の時間でもあります。


皆さん、このとき何してましたか??





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2006年8月の編集者・K 〜東京に異動になった〜 へのコメント一覧

  1. 1.
    • やざわ
    • 2018年10月17日 20:53
    まずKさんの奥様が非常に素晴らしい。
    子育てが大変な中、しかも環境が変わる
    普通の人なら辛いのにさらに辛い思い
    させるのか?と考えるところ、奥様がKさんの
    意思を尊重したところに器のでかさを感じる。
    そして、Kさん!一生懸命で明るい性格が
    とても伝わってきます!素晴らしい!
  2. 2.
    • 0847
    • 2018年10月17日 21:17
    2006年8月就職2年目。
    仕事もそこそこ覚えて、少し調子に乗っていた時期ですね。まだKの部屋には出会えていませんでした。
  3. 3.
    • モヒート
    • 2018年10月17日 21:19
    • 5
    2006年は学生最後の年で、翌年から何をしようかと思っていた年でした。
    振り返ると懐かしいですねー。

    奥様の決断もスゴイなと思います!
  4. 4.
    • ピーター・アーツの信者
    • 2018年10月17日 23:12
    Kさんと同じ平成18年8月、突然上司に呼ばれ、

    「来年4月にアメリカに転勤してほしい」

    まだ入社2年少々のペーペーがいきなり海外転勤なんて、とてもできる自信がなく断ったのですが、そうも行かず渋々承諾しました。

    会社は毎日日付が変わるまで働く職場で、海外転勤になったらもっと大変な目に遭うことは目に見えてたので、楽しみな気持ちは一つもなく、帰国したら転職しようと心に決めました。

    いざアメリカに転勤すると、予想通り仕事は過酷で、予想外に人間関係は悪く(アメリカ人とは仲が良かったけど日本人駐在員同士が悪かった)、生きていること自体が辛い日々を過ごしていました。

    しかし自分への追い風は意外にも早く訪れました。平成19年当日、リーマンショックの1年前でした。日本はまだ不景気ではなかったですが、アメリカはサブプライムローンの影響で景気が悪化しました。そして忘れもしないクリスマス、当時の上司に呼ばれ、

    「日本人駐在員を何人も雇用できない。来年4月に日本に戻ってくれ」

    あの辛いだけの日々から解放される。自分にとってこれ以上ないクリスマスプレゼントでした。

    そして平成20年4月、帰国と同時に転職活動を開始し、同年9月に中途採用で入社することができ、過酷な日々から完全に解放されました。そう、20年9月は、リーマンショックが起こった月、まさに滑り込みセーフの転職劇でした。
  5. 5.
    • こーき
    • 2018年10月17日 23:21
    高校3年生、最後の夏でしたね。
    というか、kさんと家が近そう!
  6. 6.
    • トロイの赤兎馬
    • 2018年10月17日 23:51
    高校一年生で バイトばかりしてました
    一年間で80万貯めました
  7. 7.
    • しん
    • 2018年10月17日 23:53
    • 5
    何年かぶりにコメントします。
    高校時代にこのKの部屋に出会い、ずっと見続けています。
    2006年8月の時点で既に見ていました。
    当時は高校2年。

    そして、実は私も学生時代を愛知県で過ごしていました。
    大学の頃の話になると、私も「名古屋」って言いますが、本当は豊田に住んでいて、スケート等で有名な某大学に通っていました。笑

    この時のKさんは社会人7年目とのことですが、今の私も同じく7年目、そして二児の父です。

    これからも楽しく拝読させていただきます。

    更新、楽しみにお待ちしています。
  8. 8.
    • トロイの赤兎馬
    • 2018年10月17日 23:55
    高校一年生でバイトばかりしてました
    一年間で80万貯めました
  9. 9.
    • カリーム
    • 2018年10月18日 01:34
    • 5
    2006年かぁ。自分も色々あった年ですね。

    まず交通事故。
    9月の深夜に車で田舎道走ってたら信号無視のトラックと衝突。
    車は全損し、自分自身も腕と頭部の骨折に肺やら腎臓やらを挫傷するそれなりの大怪我で一時は意識不明までいって地元の新聞にも載りました。
    で、退院まで2カ月掛かりその後も暫くは無理が出来なくなってしまい、転職せざるを得ない状況になり転職。
    ついでに中学からやっていたバスケも引退しました。

    この時友人にはお見舞いに来てくれたり転職の時転職先を紹介してくれたりと大変お世話になり、友人の有り難さを思い知りました。
  10. 10.
    • こー
    • 2018年10月18日 07:27
    人生の転機ですね!
    僕は東京で生まれて東京で育って、会社に入って北関東、中部、結婚して東京に帰って子供が2人生まれてすぐに札幌…
    いつきっかけがあるかわからないものですが、この場で出会った仲間は大切にしたいです。
  11. 11.
    • たっぷ
    • 2018年10月18日 11:54
    当時大学2年。バイト、カラオケ、ボーリング、飲み会だらけの日々。金髪でした(笑)
    もっと勉強しておけば良かった...
  12. 12.
    • ぎあす
    • 2018年10月18日 13:39
    2006年夏
    記憶が正しければ国家試験を受験する為にめっちゃ勉強してた気がします
    何度もやめたいって思ったけど今となっては一発合格でしたので良い思い出です
  13. 13.
    • 13番
    • 2018年10月18日 17:22
    皆さん何してましたか?


    2006年7月14日09:09
    結婚報告の記事を読んでコメントしておりましたwww


    ちょっと前な感じしますが12年も前なんですねw
    未だにバスケ出来てる丈夫な体に感謝っすわ
  14. 14.
    • ヤン
    • 2018年10月18日 17:48
    12年前かあ。確か転職したかしないかの頃だなあ。同業界ではあるけど。あの頃はいざとなれば何とでもなるという気持ちだった。今も仕事的には同じ気持ちだが、体力的にきつくなってきた(笑)
  15. 15.
    • ハセテックサービス
    • 2018年10月18日 22:24
    • 5
    12年前、31歳かぁ。
    若い奴が入ってきても、負ける気がしねぇ!ってまだ思ってたかなぁ。
  16. 16.
    • コウ
    • 2018年10月21日 08:07
    大学4年の夏って事はKさんと名古屋でニアミスしてたかも!
    就活も終わってひたすら遊び回ってたな笑
  17. 17.
    • 野球人
    • 2018年10月25日 11:45
    すてきな奥さまですね♪

    俺は高校野球がおわり大学野球をしようと
    決心した時期でしたね♪




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