焦りますよね。憂鬱になりますよね。
わしも決して順風満帆で今に至るわけではなく、
いろんな巡り合わせの結果でここにいます。
就職活動全敗に終わった「失敗組」のわしは、
出版社のアルバイトという形から
編集者としてのキャリアをスタートさせました。
「ミレニアム」なんていう言葉が流行った
2000年のことです。
■2000年3月の編集者・K
もうすぐ大学生活が終わるという
3月のとある日、
所属していたバスケサークルで
こんな会話がありました。
「あー、来月から社会人かあ」
「イヤだなあ、まだ学生がいいなあ」
「でも頑張るっきゃねえよなあ」
この会話、
わしは入っておりません。
わし、この時点で4月以降の予定が
何もなかったのです。
就職が決まっとらんかったのですよ。
当時はなかなかの氷河期でした。
わしに限らず、サークルの仲間たちのうち
数名は、就職が決まっていませんでした。
前述の就職組の会話とは違い、
わしらはこんな感じ。
「お前、どーすんの?」
「とりあえず、今のバイト続けるよ」
「お前は?」
「うーん、バイト探さねえとなあ」
学生時代は宅配ピザ店でバイトしていたのですが、
なんとわしが卒業する時に、閉店となってしまい、
わしは本当の本当に無職でした。
もう来月から学生ではない。
が、就職は決まっていない。
そして、バイトしていた店は潰れちまった。
でも、わしは名古屋で独り暮らし中。
どーすんのこれ? と。
※いま思うとなかなか青ざめる状況だな
何もねえから岡山県に帰るしかねえかなあ、
実家に戻って地元で働いて、
一旦お金貯めてからもう一丁勝負すっか、
みたいなこともチラッと考えました。
が、それはご両親から却下。
「アンタ、何のために名古屋まで行ったの。
せっかく都会に出たんだから、
そこで頑張ったほうがいいんじゃないの?」
※なにかとバカにされがちな名古屋ですが、
岡山県から見たら死ぬほど都会です(笑)
そう、
わしはメディア業界を志していたんだ。
そのために大学でもマスコミの勉強が
できるところを選んで、実際ゼミでも
それを専攻したんじゃないか。
んで、出版社や新聞社の採用試験を受けて
(まだWEB企業は流行っていなかった)、
ことごとく蹴られて、いまこうなっている。
あのとき
「条件のよさそうな会社はどこか」
「どこなら自分でも入れるだろうか」
みたいな考え方は一切なく、
自分が「入りたい会社」
あるいは「やりたい仕事」という観点でしか
就職活動をしていなかったんだよな。
んで、全滅だったんだ。
※マスコミは当時わりと花形業界だったし、
ホント狭き門だったからねえ…
ここで引き返してどうする。
岡山県でもやれることはあるだろうけど、
こういう仕事は圧倒的に名古屋のほうが
多いじゃないか。
んじゃ、バイトもそっち方面で探してみるか。
あれだけこだわって就職活動したんだから
バイトも業界絞ってマジでやってみよう。
ということで、3月中旬、活動スタートです
(もっと早く始めろよ…!)。
バイト情報誌をパラパラとめくってみると、
これがまた幾つかあったんですよ。
地元の中小規模の出版社から、
大手出版社の名古屋支社、
あるいは、編集プロダクションまで。
いやあ、運が良かった。
ちょうど各社が募集をかけている時に
わしは無職だった!(笑)
さっそく応募です。
当時はネットでES送付なんて文化はないから
手書きで履歴書を書いて「郵送」です、郵送。
3つ受けました。
3つめで合格しました。
因みに、2つめの受験の際、こんなことが。
地元の中小規模の出版社の面接でした。
面接官が向かいに数名座っていて、
こっちはひとり椅子に座って、、、
みたいなのじゃなく、
応接ルームのような場所で
お茶を飲みながらの会話だったんだけど、
自分が考えていること、やりたいことなどを
いろいろお話しさせていただいたところ、
面接官の方に
「ウチに来てくれたら戦力になりそうだし
入ってくれたら正直嬉しいんだけど、
キミのベクトルとココはマッチしないかもしれない。
キミのためを考えると、違うトコを目指すべきだよ」
みたいなことを言われたんですよね。
評価してはいただきつつ、その場で不合格(笑)。
※まあ、前半の台詞は社交辞令だろうけど
その面接官の方からは
その後もいろんな話を聞かせてもらい、
わしは不合格になったのに、
ちょっと気持ちが盛り上がったんですよね。
彼はわしに不採用という結果を告げた後に、
こういうところを目指しなさい、みたいな
アドバイスをたくさんしてくれたのよ。
それも凄く親身に。
わしは結構感動してしまい、
「こうなったら絶対にこの世界に入ってやる!」
と、ハートがメラメラ燃え上がったのですよ。
で採用してもらったのが、次に受けたトコで、
結果的にいまいる会社になるわけですが、
いま思うと、2社目でああいう出来事があって
そのあとに3つめの面接に臨んだから、
自分の熱が高まっていたのかもしれないなと。
そういや、熱が高まっていたがゆえに
応募の際に直筆の手紙も一緒に送ったもんなあ。
その熱を受け取ってくださったのか、
なかなか激しい倍率で、
経験者の方もたくさんいたようですが、
未経験のわしをなぜか採用してくれました。
そこから社員登用してもらって
いまに至りまして、当時の面接官だった方々は
現在同じ会社の仲間ということになるのですが、
当時面接してくれた方の1人に、
当時の話(採用理由)を聞いたら
「ホネがありそうだったんだよね、お前。
あんな手紙書いてくる奴いなかったし」
とのこと(会話時の8年前くらいの話なのに
手紙のことも覚えていたらしい)。
と、当時の編集長も面接官の1人だったのですが、
「あの時さあ、Kはこの業界に入れなきゃ
いけないって思ったんだよなあ、たしか」
とのこと。
わしのような人間を放っておいたら
業界志望者が絶滅してしまうと思ったらしい(笑)。
かくして、働く場所が見つかったわけです。
ちゃんと、未来への道を持ったうえで。
色んな分岐点があったと思います。
就職活動時に入れそうなところを受けていたら、
それで合格して志望外の業界に入っていたら、
母親に「名古屋で頑張れ」と言われなかったら、
バイト探しの際、2社目の面接で通っていたら、
その面接でいろんな話を聞いていなかったら、
あるいは、面接日の順番が違っていたら、
もっと手前までさかのぼると、
名古屋の大学に進学してなかったら、、、
※わし、第一志望は関西圏の大学で、
そこに落ちて名古屋に行ったからねえ
第一志望の大学に行けなかった、
新卒採用の就活では内定を勝ち取れなかった、
その後のバイト探しでも最初の2つは落ちた、
そのときはすべて「失敗」だと思っていたのが、
今になって思うと、あそこでダメだったおかげで、
いまここにいるんですよね。
「終わりよければすべてよし」って言葉が
あるけど、ホント、そんな感じだよなあ。
で、2000年5月にアルバイトとして
編集部に入るのですが、その話はまた別の機会で。
※4月はプー太郎だった。あの時期は楽しかった。
バイトは決まっていたから追いつめられてはおらず
でも大学も卒業してるから、もう遊んでばかり(笑)
2000年3月、
一般的には、大学が終わって翌月の入社日を待つ
ドキドキワクワクの時なのかもしれませんが、
わしは崖っぷち状態でバイト探しに
汗を流した時期だったのでした。
皆さんはその頃何をしていましたか?
2000年3月の編集者・K 〜崖っぷちのバイト探し〜 へのコメント一覧
でも、今は一級建築士として会社に重宝されています。
すみません、自慢です。
この頃って本当に就職氷河期で内定出て安心してたら取り消し喰らって慌てて就職活動再開とか良くある話でしたからね。
で、自分はある意味マニアックな職種を希望でその当時ですら人手が足りない業界だったので簡単に第一希望に就職。
3月はもう学校も卒業式位しかない状況だったので殆どをバイトに費やしていました。
時間がある物だからバイトを複数掛け持ちしたりしてこの月の月収40万円超という記録を出したのが思い出です。
なんか感動しました。
駆け出しでしたので先輩方にだいぶ迷惑をかけてましたね。
私は地元の会社2社目でなんとか拾ってもらったところです。
結果、その都道府県に数件の支社があるためだいぶ転勤で回ってますが汗
何だかんだで20年目に突入し後輩に教える立場になると責任感も増しますがやりがいも増しますね。
Kさんは今の職場に就職できて満足ですか?
自分は中3で、バスケ部のキャプテンとして熱い青春を送っていました。
あの頃に戻りたい(´・ω・`)
2000年ぐらいだと朝から晩まで大花火やってた時代かな
その時貯めた隠し貯金は今でも嫁に内緒にしておりますwww
卒業してもスロットばかりやってた超氷河期時代に
バスケ繋がりで今の会社に入ったこと思い出しましたわ
初心に帰って頑張ろうww
何回か転職はしたけど誘いの手があったから、まともには大卒就職時に一社しか受けたことない。
自分の子供のその状況を突き放すって、すごく勇気がいる事なんじゃないかと思いました。
好かれたいと、逆に子どもに甘えてるなぁと思う事も多々あると反省しました。
会社は変わってないけど、名古屋にいてむちゃんこ忙しかった。大体毎日17時間くらい労働してましたねー。
やらされていると言うよりは頑張ってると仕事が集まってくるし、要領も悪かったし。 今の人は働き方改革で守られてるし残業代も出るけど あの頃は無かった! そして今は管理職になって残業出来ない社員のフォローを 残業代なしでやってます(笑)
自分は大学生でマスコミ志望なのですが、今年就活全滅してしまい、来年も就活をする「就職留年」というのをしています
Kさんのエピソードを聞いて、自分も熱い思いをもって就活しないといけない!と勇気をもらいました!ありがとうございます!
うーん、なにも覚えてない!笑