さらなる減量を実現すべく、
再び夜のウォーキングを始めた編集者・Kです。
いよいよ令和初の減量作戦が幕を開けました
(昨年大きく痩せたので今回はゆるっと)。
と、令和の作戦始動の報告をしつつ、
今日は平成のハナシ。
先日突如始まった平成振り返り企画、
第2弾でございます。
※といっても、この年のテーマは
ちょっと前回と似てしまうのですが…
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平成2年(1990年)のバスケットボール
週刊少年ジャンプ誌にて
漫画「スラムダンク」連載開始
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この年はなんといってもコレでしょう。
日本一読者の多い漫画誌(後に最大650万部超!)で、
バスケを題材とした作品がスタートし、且つ、
未来にとてつもない支持を得ることになるのです。
時は平成2年(1990年)の秋、
当時、わしは中学1年生。
どんなドM根性なのか「一番キツイ」と評判の
バスケ部に入部し、しばらくした頃ですね。
部員の間では早くから話題になりました。
「バスケの漫画、始まったで!!」と。
なにしろ「週刊少年ジャンプ」ですから。
当時の中学生男子の世界では、読んでいない人を
探す方が大変といっていい、圧倒的人気の漫画誌。
※その点、連載媒体の差もあって、
前年にスタートした「DEAR BOYS」は
誰もが知る作品とまではなっていなかったかなあ
この漫画の登場で、
バスケットボールの基本ルールや、競技の性質、
有名選手などは、一気に日本中に浸透することに。
当然ながら、わしもドップリとハマっていきます。
この作品が始まる前からバスケ部員だったので、
ストーリーを追いながら感じ方も様々。
赤木の髪形を見て「ユーイングがモデルかな」
流川が練習ゲームで着た23番のビブスを見て
「おおお、ジョーダンと一緒だわ」
みたいな感じにね。
と言いつつ、
でも、まだまだ、日本の現実のバスケは
世にはなかなか浸透していなかったですね。
データを確認しますと、
このとき(88-89年シーズン)の
日本リーグ男子の覇者は松下電器。
※若い子には「のちのパナソニック」
といったほうが通じるのかしら
ベスト5は、
クレアランス・マーチン (松下電器)
田中竜二 (松下電器)
山下雄樹 (三菱電機)
ジェームス・ウイルクス (三菱電機)
陸川章 (NKK)
でした。
女子の覇者は、共同石油。
※こちらも若い子にも分かるように
言い換えると「現在でいうJX-ENEOS」です
ベスト5は、
原田五月 (共同石油)
増田安世 (共同石油)
カタリーナ・マックレイン (共同石油)
メディナ・ディクソン (日本電気)
山城定子 (シャンソン)
の5人。
男子の方に「陸川 章」の名がありますね。
いやあ、懐かしい。素晴らしい選手でした。
大学バスケのファンや、我がブログの読者には
のちの監督としても、わりとお馴染みかしら。
また、この年は新人王が面白くて、
男子:外山英明(熊谷組)
女子:村上睦子(シャンソン化粧品)
と、我々世代にとっては
結構ドンピシャリな名選手たちが、
ちょうどトップリーグでデビューを果たした頃
だったということがよく分かるかと。
女子は共石とシャンソンの完全な二強時代。
リーグも皇后杯も、決勝はこの2チームだと
最初から決まっているかのような、そんな感じ
(実際、ここから長きにわたって、他チームが
決勝に進んだことって、ないんじゃないか?)。
男子は優勝チームこそ固定されはしませんが、
熊谷組、NKK、松下、三菱あたりが
毎年のように強かった頃ですかね。
※三菱以外、もう今のプロリーグにはいない…
高校バスケのインターハイ記録を見ますと、
男子は洛南、女子は名短(現・桜花)が
それぞれ優勝しています。
また、この年から高校の冬の選抜大会に
「ウィンターカップ」という名称が用いられ、
出場校も48校と、ほぼ今のものに近い形式と
なります(同年の優勝は、男子:能代、女子:名短)。
※名短(桜花)は今も続く名門ですが、
まあとんでもない絶対王者だよねえ
インカレ男子は、日体大と日大の二強が優勝を争い、
そこに中央大や筑波大などの第2グループが
絡んでいた頃ですね。
佐古、長谷川、折茂、後藤、関口、古田といった
のちの日本代表を支える面子が関東大学リーグに
ほぼ全員集結していた時代であります
(ていうか、ほぼ日体大と日大に…!!)。
てことで、この頃はもしかしたら
トップリーグよりも大学リーグの方が
人気があったんじゃないかなあ、と。
そのくらい佐古さん達の世代のスター性は
やっぱり凄かったから。
実際、バスケ専門メディアの記事を見てても
「バスケの華は大学」なんていう意見が
載っていた記憶があります。
さらに、前年に始まった「DEAR BOYS」、
この年に始まった「スラムダンク」、
ともに、部活動が中心にあるストーリーなので、
この時代のバスケは、
学生が輝く舞台というイメージが非常に強く、
大人の戦いとしては、国内トップリーグよりも、
海の向こうの世界であるNBAのほうが
認知度が高かった時代だったんだろうなあ、と。
「DEAR BOYS」や「スラムダンク」でも
NBAの話題は何度も出ていましたしね。
そのNBAですが、
89-90年シーズンの覇者は
「バッド・ボーイズ」ことデトロイト・ピストンズ。
このシーズンが二連覇の2年目にあたります。
分かる人には分かると思いますが、
NBAは翌年から一気に新時代に突入しますので、
この年が、マジックとバードが築き上げた
前時代の最後の1年だったといっていいかも。
ということで、
「スラムダンク」という不世出の作品の誕生で、
バスケットボールの認知度が大きく高まるも、
まだ学生の部活のイメージが強く先行した時代、
そして、世界最高峰リーグのNBAに興味を持つ
ファンが少しずつ増えていった年、
それが平成2年かな、と。
MVPは文句なく「スラムダンク」(井上雄彦先生)
でしょう。ホンットに認知度が激変したから。
で、個人的な思い出としては、
自分がバスケットボール部に入部した年ね
(それは世間的にはどーでもええっちゅうねん)。
次回は平成3年のお話、
またお会いしましょう。
ではでは。

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平成2年(1990年)のバスケットボール/「スラムダンク」始まる へのコメント一覧
その後熊谷組が残念な事になり、確かプロ第1号で、(私が働いてる)大和証券でプレーしてましたね(^^)
スラムダンクはもはや社会現象になり、バスケ人口の増加の一端を担ったのではないでしょうか。
自分も桜木のボーズに、「デニス・ロッドマン!?」と興奮したのを覚えております。
『あひるの空』なんかも、自分は好きだったりさします。Kさんは、いかがでしょうか???
高校は当然バスケ部。素人ながら最終的には時々スタメン。ほぼシックスマンまで成長しました。スラムダンクの影響をマトモに受けた人間です。スラムダンクがなかったら私の人生どうなっていたか…それくらい影響を与えてくれた作品です。
奥さんともバスケ繋がりで知り合いました。なので我が家にはスラムダンク全巻2セットあります。(私の8巻だけないのですが…実家かな)
私は世代的には少し下の世代(小4でミニバスを始めたのがスラムダンク連載終了前後)なのでこの当時の日本のバスケ情勢は知らなかったので勉強になります。
89年、90年あたりは国内バスケ人気が出てくる夜明け前みたいな印象ですね。
91年以降も楽しみにしてます