急に相撲(懐古)ブーム到来の
編集者・Kです!!
いや、
先日の「カリスマは笑顔が似ていた」
っていう記事で、千代の富士のハナシを
書いたじゃないですか。
↓ご参考(このサムネ、イケメン過ぎる)
あのとき、youtubeでイロイロ動画見てたら
どうにもこうにも千代の富士が
カッコよすぎるということを再認識しまして。
んで、
そういや相撲の名勝負ってのも
いっぱいあるなあ、と思いましてね。
今回、筆をとった次第でございますよ。
わし、小学校から高校くらいまでは、
かなりの好角家だったので(父の影響で)、
思い出の取組はケッコーあるのですが、
第一弾は敢えて少々ミーハーな一番に
させてもらいます。
多くの国民が「歴史が変わった日」として
よーーく覚えていることと思います。
平成3年夏場所より、
千代の富士と貴花田(のちの貴乃花)の
世紀の一番です。
平成3年、西暦でいうと1991年。
もう30年近く前のことなんですね。
当時わしは中学2年生、
この学年を指して「〇〇病」なんて言葉が
あるくらいでして、世の中の男の子が、
「世界一強い男」に憧れる時代です(笑)。
わしのなかで当時その座を、
ジャンボ鶴田、マイク・タイソンと並び、
この千代の富士が争っていたころです。
※わしのなかの世界一決定戦なんて
世間的にどーでもいいことですが(笑)
さてさて、
今回の舞台となる平成3年5月の夏場所。
初日の取組が発表された瞬間
日本中がざわついたのをよく覚えております。
千代の富士と貴花田の
取り組みがあったからです。
後から知ったのですが、
大相撲の初日っの取組って、基本的に
横綱とぶつかるのは小結なんですよね。
当時の貴花田は、前頭筆頭であり、
普通は初日に横綱とは当たらないんです。
何かの特番で寺尾さん(錣山親方)も
言ってました。
当時、小結だった寺尾さんは、
初日は自分が千代の富士と当たると
思っていたそうです。
が、初日の取組が発表されると、
なんと千代の富士の相手は貴花田。
「うわあ、変えられたよ〜」って(笑)。
きわめてイレギュラーな
横綱と前頭筆頭による初日の一番。
それがよりによって、
35歳を迎える在位10年目の大横綱と、
18歳の若きスターの勝負なんですから。
千代の富士は全場所を休場しており、
アチコチで「限界説」、つまり引退が
ささやかれていた時期。
対する貴花田は、ご存知のとおり
永きにわたる大フィーバーの主役となる
まさに各界の若きヒーロー。
まぎれもなく、世紀の一番でした。
わし、何となく覚えているんです。
「笑っていいとも!」でタモリさんが
「初日、千代の富士と貴花田になったね」と
言っていたことを。
初日の取組発表は金曜のはずだから、
このセリフはどうやら平日だったのかな。
で、それをわしは2日後の日曜日の
いいとも増刊号で見たのかな。
つまり、まさに千代の富士と貴花田が
ぶつかる日の朝に見たってことか。
そりゃ盛り上がるわな。
「タモリさんも注目してるよ!」
「こりゃ世紀の一番だよ!」と。
さて、
新時代の幕開けを予感させるこの一番、
わしはどちらの勝利を祈っていたか。
うん、
千代の富士です。
いや、ホント、メチャクチャ好きでして。
それに、
まだまだ千代の富士の活躍を見ていたいし、
この大横綱が一線を退くところなんて
全然望んでなかったからさ。
が、結果は皆さんご存知の通り。
日本中のファンが「歴史が変わる取組」と
大騒ぎした一番は、実際のちに「歴史が変わった」
といわれることになるのです。
貴花田、寄り切り。
「やられたわい」という顔の千代の富士。
ある種、さっぱりしたような表情。
大きく肩を上下させ、興奮状態の貴花田。
無我夢中で戦ったことがよく分かる顔。
これは沸きました。日本中が湧きました。
そして、わしは悔しかった。
※因みに、寺尾さんも悔しかったらしい
同時に思いました。
「あー、こりゃ凄い力士だわ、貴花田」と。
「ここから新しい時代が始まるんだろうな」と。
この二日後、
今場所二敗目を喫した千代の富士は
ついに引退を発表することになります。
「体力の限界…」といいながら声を詰まらせる
みんなが知っているあの会見。
若貴兄弟の父、初代・貴ノ花を引退に導いた
とされる千代の富士を、息子の貴花田が破り
引導を渡すという、10年越しのとんでもない
ドラマでした。
ときは昭和から平成に移り、3年目の初夏。
紛れもなく歴史が変わった一番だったと
いえるでしょう。
この企画、相撲もいいですね。
また何か取り上げよっかな。
てなわけで、今日はこのへんで。
ではでは。
新しい時代の到来を告げる一番、
それにふさわしい熱気でしたね。
↓
今場所二敗目を喫した千代の富士は
ついに引退を発表することになります。
「体力の限界…」といいながら声を詰まらせる
みんなが知っているあの会見。
若貴兄弟の父、初代・貴ノ花を引退に導いた
とされる千代の富士を、息子の貴花田が破り
引導を渡すという、10年越しのとんでもない
ドラマでした。
ときは昭和から平成に移り、3年目の初夏。
紛れもなく歴史が変わった一番だったと
いえるでしょう。
この企画、相撲もいいですね。
また何か取り上げよっかな。
てなわけで、今日はこのへんで。
ではでは。
新しい時代の到来を告げる一番、
それにふさわしい熱気でしたね。
↓
|



嗚呼、名勝負(15) 大相撲 平成3年夏場所 千代の富士×貴花田 へのコメント一覧
スラムダンクの続き(青田編)なら柔道のストーリーは出来ちゃったり?
よし、青田には相撲に転向してもらおう!
千代の富士は確かに、引き際まで男らしいスーパースターでしたね。キン肉マンの名脇役「ウルフマン」も、彼がモデルなんだとか。ゆでたまご先生が取り上げたくなる気持ちも分かりますね!
前
各界の若きヒーロー
角
同世代?チョット上ですが取組、引退会見思い出しました。私は祖父の影響で相撲をみていたので、また取り上げてください。個人的には千代の富士に勝つ北天祐がすきでしたが、8勝6敗でむかえる千秋楽、7勝7敗の朝潮との対戦は個人的に嫌いでした。
猪熊柔vsテレシコワの一戦は、名勝負でした!
次の月曜日、学校の話題はこれで持ちきりでした。体力の限界、名ゼリフでしたね!
次回の名勝負ですが、野茂VSイチローっていかがでしょうか?
昔の人は大鵬、若い人は貴乃花でしょうが、我ら世代はウルフですね。
あの時代の相撲って、
とても興奮して観てました。
部活などでリアルタイムでは、
テレビ観戦出来ませんでしたが、
テレ朝の大相撲ダイジェストは、
必ず観てました。
銅谷士郎さんでしたよね、
(漢字が間違えてたら、申し訳ありません)
貴花田戦は、K様同様、
僕もウルフ側でした。
ショックな取り組みでしたよね。。
なので、僕が好きな取り組みは対寺尾関ですかね、
投げ落とした時の圧倒感、
ウルフに対し怖さすら感じました。
リアルで観戦出来ていたなら、
絶対に座布団投げていたと思います。
それとですね、、
とても共感出来ます。
ジャンボ鶴田、マイクタイソン、
超同意です。
ただ、敢えて加えさせていただくと、
ザ.ロード.ウォーリアーズですかね。
当時、テレ東で放送されていた、
世界のプロレスが最初の出会いだった気がします。
よし!今後もレジェンドの戦いを取り上げていこう!!
寺尾戦の吊り落としは、相当語り尽くされちゃってるんですよねえ。でも確かに取り上げたい一番ではあります!
そう、漫画やドラマの中でしか起きえないと思うことが実際に起きてしまうから、面白いんです!
千代の富士の最後の場所、改めて観ると当たってガッチリ前みつを掴んで一気に寄り切る全盛期とはまるで違う相撲ですね。
腰が高く相手を受けてしまっている。
貴花田がうまく脇を絞って前回しに触れさせないのは確かにうまいのですが、強い千代の富士ならそもそもあの形にはならなかったでしょう。
板井、貴闘力との取り組みもまるで違う力士のようで、二日目の取り組みに勝ったあと引退の基準を引いた、というのもよくわかるような気がしました。
強かった偉大な横綱の歴史的なドキュメンタリー。
シェア、そして取り上げていただきありがとうございました。
千代の富士かっこ良すぎでしょ。
ひゃー!Kさんから返事来てたのか!
気づいてなかった…嬉しい!
ぜひ色んな競技のレジェンド話を!
本当に忘れられない名横綱です。
当時は相撲の技術はよく分からなかったので、前みつが云々とか上手がどうこうとかはよく分かっていなかったのですが、大人になってから改めて見ると、その強さを再認識します。
それが失われつつあるときに後を託せる後継者が現れた。ドラマですねえ。
千代の富士の話をする際になにかと出てくる寺尾関。
本当に人気力士でしたね。「1000回負けるまで土俵に立つ」は名言ですよ。