今日のKの部屋は、珍しく野球の記事です!
我がブログで野球のことを書くことって
ほとんどないわけですが(あまり詳しくない)、
ふと昔を思い出すと、猛烈に印象深いゲームが
あったので、それを今日は名勝負として
取り上げさせていただきます。
阪神タイガースの18年ぶりのリーグ制覇に沸いた
2003年、皆さん覚えていますでしょうか?
あれ、物凄い盛り上がりでしたよね。この年の
球界の主役は間違いなくこの球団だったなと。
あの年の阪神と、阪神ファンはホントに凄かった。
当時わしは雑誌の世界に身を置いていたのですが
あのムーブメントは業界的にもやっぱり凄くて
終盤は印刷会社にも影響を与えたんですよね。
かなり早い段階でマジックが点灯し、
もうセ・リーグを制覇するのが阪神になることは
どう見ても明らかだったんですが、あと少しの
ところで彼らはちょっと足踏みするんです。
これが厄介でして、雑誌は完成したら翌日に
書店に並ぶわけではなくタイムラグがあるせいで
「次号の発売日の時点では優勝しているのか?」
という各誌のせめぎ合いがあったのですよ。
定期刊行物は「毎週〇曜日」みたいな感じで
発売日が決まっているので「阪神が優勝したら
記事化して最速のスケジュールで本を出す」
なんてことはできません。
世の流れがどうあろうとも、発売日は動かない。
どこでケリをつけるかは編集部の勝負なのです。
可能な限り締切を引っ張りたい出版社と
早く工場に回さないと製本ができない印刷会社、
ここにギリギリの攻防が生まれます。
そして勿論、数日後の発売日の状態を見越して
「優勝おめでとう」と表紙に書くか否かを問う
各誌の読み合いもあります。あれは痺れたなあ。
※たしか読み違えてしまった雑誌もありましたよ。
発売日時点で優勝していると読んで「優勝記念号」
みたいなのを出したら、実際はその日の時点では
まだ優勝してなかった、みたいな
さてさて、
そんなタイガースフィーバーに揺れた日本ですが、
しかし一番強かったのは、別の球団でした。
おそらくは長いプロ野球の歴史の中でも
屈指の戦力だったんじゃないでしょうか、
あの年の福岡ダイエーホークスは。
主軸の中に3割打者が6人もおり、そのうえで
井口・松中・城島・バルデスの4人が100打点を超え
「100打点カルテット」として猛威を奮ったあの年。
今調べたところ、チーム防御率もリーグ1位で、
盗塁数もリーグ上位3人が全てダイエーの選手と、
まさしく「走・攻・守」ともに最強の軍団だった
といっていいでしょう。
はたして日本シリーズは、その阪神とダイエーが
激突することとなります。
歴史に残る快進撃を見せた阪神にとっては、
このうえない「ラスボス」との戦いです。
もはや漫画や映画のような展開ですよね。
上記の通り、戦力的にはダイエーが上だったかも
しれませんが、なにしろこの時の阪神には異常な、
ホントに異常な「勢い」がありましたから、
「この阪神ならもしかしたら」という予感もあり。
ダイエーの本拠地・福岡から始まったシリーズ、
ダイエーは、第1戦で5-4の接戦をものにすると、
続く第2戦では13-0の圧勝劇を披露。
「そもそも強いうえに、さらに勝負強い」と
その恐ろしさをまざまざと見せつけるわけですが、
舞台が阪神甲子園球場に移ると、今度は阪神が
ドラマを連発することになります。
第3戦、延長にもつれ込むもサヨナラ勝ち、
第4戦もサヨナラ勝ち(しかも金本のサヨナラHR)、
もう漫画ですよ、ホント。
こんなこと実際にあるの?って試合がリアルに
起こり続けるのです。
そして、今日の記事のテーマ、第5戦。
阪神にとってこの年最後の甲子園のゲームです。
結論から言うと、阪神が勝つのですが、
前の2戦ほど劇的に終わるわけではありません。
1点リードで迎えた9回の表、相手チームを
0点に抑えてゲームセットという、
まあ勝ち方としてはオーソドックスなパターン。
が、その9回の表の「声」が異常だったのです。
わし、テレビで見ながら震えましたよ、マジで。
あのときの声援、大袈裟でもなんでもなく
プロ野球の歴史上最大だったんじゃないか、と。
痛快な快進撃でリーグを制して日本シリーズに
進出するも、最強軍団が待つ敵地で2連敗、
しかし本拠地ではドラマ連発で2勝2敗のタイに。
そして迎えた甲子園ラストゲーム、最終回の守備。
轟音です、轟音。異常なるうねり、熱狂。
客席の阪神ファンは、ラッパも太鼓も使わず、
声とメガホンの大合唱で最終回を呑み込みます。
今記事の冒頭でわしは、こう書きました。
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あの年の阪神と、阪神ファンはホントに凄かった
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そう、チームも勿論凄かったのですが、
恐るべきはこの年のファン、甲子園だったのです。
そういえば前述の雑誌の攻防で「Number」誌は、
表紙に空撮の甲子園球場の写真を使っていました。
あの風船が舞う甲子園の画を。
選手ではなく、球場の写真を載せたのですよ。
各誌の編集部が「やられた!」と叫んだものです。
そのくらいあの球場の熱は衝撃的だったので。
※実は色々あって同誌は選手取材が出来ず
苦肉の策であの写真を使ったという説も
あったのですが、まあそれは置いといて
最後のバッターのシーン、鳥肌モノですよ。
「あとひとり」の大合唱、からの
「あと1球」の大合唱。
アナウンサーも「甲子園球場、今年最後の
あと1球コール」とこの状況を告げました。
ちょっと他ではなかなか見られないレベルの
大合唱だっんじゃなかなあ。
このあと阪神は福岡で2連敗を喫して
日本一を逃すことになりますが、
わしはあの第5戦の熱を忘れることはできない。
客席にいたら失禁しとったかもしれん(笑)。
というくらいの異常な空間でした。
動画、貼っておきます。
あの「あとひとり→あと1球」の声、ハンパない
(特に「あと1球」の時のうねりは異常)。
なるべく音量上げて聴いて欲しい。
あの球場のうねりを是非感じて欲しいです。
と、ご存知「JFK」のウィリアムス、カッケエ。
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嗚呼、名勝負(17) プロ野球2003日本シリーズ/福岡ダイエー×阪神・第5戦 へのコメント一覧
タイガースのJFKは厄介だったなぁ
五輪で、最後藤本対ジェフで負けたのも印象残ってます。
久保田藤川は同学年でもあり嬉しくもありました。
あと一球コールは正直言って嫌いなんですが、この盛り上がりは鳥肌もんですね。マリーンズにも負けてない。ここ一番って時だったらいいかもと思いました✨
そーいえば静岡の御子柴は阪神から取ったのかと思ってたけど違うのかな?
落合博満氏の日本シリーズ予想。
4勝3敗でダイエーと書いたフリップを出して
「単純に本拠地のチームが勝つんじゃないですか。
どっちもこれだけファンがすごいとね。」
的なことを言ってた気がする。
結果ドンピシャで落合スゲーってなった。
当時自分は小学生でしたが、今でも甲子園での3連戦の映像は定期的に振り返りますね。あ、今年もそろそろそちらに現実逃避する時期かな…笑
切れ目もなければ、機動力もあるわで、あれは止めようがなかった…
それを止めたのは阪神の選手の努力と、それを信じて一体となった甲子園の阪神ファンの力による後押しなんでしょうね。
球場の熱気、戻るような素晴らしい時代が来てほしいです。
コロナに勝てる、そう信じましょう!
斉藤和巳、和田毅、杉内俊哉に新垣渚。
揃いも揃って20代前半で、他の若手が若さを武器に出来ない陣容、おまけに左右のバランスまで取れて。
野手の井口、城島、松中、怪我で離脱の小久保まで含めて、ドラフト上位で狙い打ちした選手がここまで揃ったチームは後にも先にもこのホークスだけでしょう。
数年前までパ・リーグのお荷物だったチームがここまで強くなるんだから、スカウティングが大事だという見本のようなチームでした。
2003年は、大学受験生だった阪神ファンです。
物心つく頃から和田のユニフォームパジャマを着せられて育ち、
18年後には、ホークスとの日本シリーズを食い入るように見ていた
そんな一連の記憶が鮮明に思い出されました。
Kさんの文章の臨場感には脱帽です!
甲子園三連勝の最終日、どれだけ緊張し、どれだけ叫んで、どれだけ嬉しかったか。
そして、その後の2連敗がどれだけ悔しかったか。
あそこで勝てなかったことが、
一ファンとして、今もなお応援し続ける活力なのかもしれません。
金本や矢野が監督になり、藤川は引退し、
赤星は解説者に、そして星野さんは他界され
歳を取ったんだなぁと実感しています。
これからも、誰かの心に響く記事をたくさん書いてくださいね。応援してます!
「えー!」
と悲鳴が上がったけど、その後しっかり抑えて、
ヒーローインタビューで星野監督が
「えー!って言ったろ。あれはいかんよ。こっちは信頼して出してるんだから。」
このやりとりが面白かったです。
そして日本一直後に小久保を無償トレードで巨人へ放出するという衝撃的なこともありました。実はシーズン中から球団内部でゴタゴタがあったと。
鷹ファンでしたが、甲子園での三連敗で、阪神がこのまま日本一かなと思ってました。最終戦までもつれて、盛り上がった日本シリーズでしたね。
わし、ホント「史上最大音量」だと思ってますよ、あれは。