というわけで、新企画です。
さっそく書いてみます。
「あの時のアレは凄かった」というハナシ。
意味が分からん人は、
こちらの記事をご覧ください。
↓
ブログを15年もやっておりますと、
当然ながら老若男女がそろうものでして、
オッサン・Kが「アレは凄かったのじゃよ」と
ジジ臭く語るという企画です。
記念すべき第1回のテーマは、
「ドラゴンボール」で、いってみましょう。
こちら、この企画のキッカケにもなった
コメントであります。
↓
=====
コージ
2021-02-10 16:08:26
この時代の人はいいよなあ…
今は良くも悪くも情報化社会すぎて
こんなワクワク味わえないし
実は151匹目のポケモンがいますとか
今だったら絶対発売初日か2日目には
バレてるだろうし
ジャンプ黄金期なのも羨ましい。
悟空が超サイヤ人に初めてなった時の
反応とか知りたいです
=====
週刊少年ジャンプでドラゴンボールが
連載されていたのは、84年11月〜95年6月。
わしは77年10月生まれですので、
なんとちょうど小1〜高3年の期間に、
この作品が連載されていたということに。
※調べてみてビックリした。小・中・高の間
ずっとドラゴンボールがあったという事実…!
これはもう完全な「ど真ん中」でありましょう。
この作品は、我々の世代にとっては、
圧倒的に特別なものだと思うんですよね。
おそらく、あのときのドラゴンボールを通った
人間はみんな、こう言うと思うのです。
「鬼滅の刃も凄いと思うけど、
やっぱりドラゴンボールは格が違う」
と。
Wikipediaの「鳥山明」の項に
こんな一文があります。
-----
1980年から1990年代の(週刊少年)ジャンプの
全盛期を支えた立役者であり、
当時編集長を務めた西村繁男は、
「『週刊少年ジャンプ』発行部数600万部達成の
快挙は、鳥山明の破壊的なパワーを借りて初めて
実現し得たことは、誰も否定できないだろう」
と評価している。
-----
ジャンプの発行部数600万部を突破したのは91年、
そこから最高記録の653万部に到達するのが95年、
この偉大な、そしてもう破られることはないかも
しれない快挙の中心にいたのは、間違いなく
「ドラゴンボール」であるということです。
※因みに、当時のジャンプは「2枚看板」と
言われていましたが、もうひとつの人気作品が
「スラムダンク」です。
さて、
「ドラゴンボールのブームっていつですか?」
と聞かれたら、わしはこう答えるでしょう。
そんなモノはなかった、と。
最近だと
「進撃の巨人ブーム」
「鬼滅の刃ブーム」
「呪術廻戦ブーム」
などなど、さまざまあると思うのですが、
ドラゴンボールにそういう時期はなかったんです。
なんか、ずっと頂点に君臨していたから。
ブームみたいな雰囲気はなかったんですよね。
テレビの世界でいう、たとえばダウンタウンや
SMAPと同じような感じだと思います。
彼らって、いつ流行ったというわけでもなく、
トップじゃないですか。頂点じゃないですか。
知らない人なんていない。
数字から考えると分かりやすいと思うのですが、
全盛期ジャンプの発行部数が約650万部で、
そのなかの筆頭作品ってことは、つまり、
少なくとも毎週650万人がドラゴンボールを
読んでいたということになります。
そこから、友人、兄弟などへの展開、
さらに、当時は当たり前だった「立ち読み」を
考えると、2〜3倍は読まれていたと考えられます。
ざっと1500万人くらいは読んでいたでしょうね
(いや、もっと読んでるか。当時は本当にみんな
立ち読みだったからさ。2000万あっただろうな)。
ちょっと興味があったので調べてみました。
総務省統計局に1996年の人口分布図データが
あったのですが、「小1〜高3の男子」の割合は
全人口のうち7.2%でした。
まあ、そんなもんでしょうね。
まず「男子」の時点で、全人口の半分であり、
そのうちの小・中・高生ですから。
当時の日本の人口は約1.2億人でしたから、
どうやら「小中高の男子」は865万人くらい。
おいおいおい、1500万人が毎週読んでた作品って
どんだけ破壊力あるのよ…。
なので、「流行っていた」とかいう
次元じゃないんですよ、ドラゴンボールは。
アニメもいまと全然扱いが違うしね。
放送時間が夜7時というゴールデンタイムで、
いまのように「1期・2期」的な概念はなかった。
10年以上、毎週やってんだから。
そのうえ、平日の夕方には、昔のストーリーの
再放送まで流れているという。
まあ、学校のクラスに「知らん」という奴は
ひとりもおらんかったでしょう。
たとえば、
中華料理の天津飯よりドラゴンボールの
天津飯のほうが知名度が上だったから。
「え? 天津飯っていう食いモンがあるの?」と。
いや、マジですよ(笑)。
で、質問の件ですが、
悟空がはじめて超サイヤ人になったときの
反応といいますと、
「やっと、なったか」
だったかな。
※スーパーフィーバーを想像していた方、
すみません、わし的には上記です。
読者はみんなワガママだからねえ。
「早くなれ、早くなれ」だったんですよ。
んでまた、悟空っていつもなかなか現れない
じゃないですか。ピンチになってみんな死んで
ああ、もう終わりだあ、ってとこでやってくる。
※鳥山先生はそういうのが好きだったようで
やっと超サイヤ人になった、あの日、
木暮君じゃないですが、
「待たせやがって」って感じでしたねえ。
ただ、こういうのって年齢によりますよね。
少年向けの作品ですから、やっぱり異常に
のめり込むのって、小学生だと思うんです。
そういう意味では、初代ピッコロ大魔王や
その後の2代目ピッコロ(マジュニア)と
天下一武道会で戦っていたときのほうが、
わしは毎週ワクワクしていたと思います。
※特に初代ピッコロだろうなあ
あれはフィーバーでした。
悟空がピッコロを破った次の日は、
クラス中が大騒ぎでしたよ。
みんな「つらぬけーー」のハナシしてました(笑)。
あとは、いろんな作品の「原型」みたいなものを
生み出したのも、ドラゴンボールだったかな、と。
江川達也先生が言ってました、
「当時のジャンプ作品は、人気が下がってくると
全部『天下一武道会』をやらされる」と。
そのくらい、鉄板の展開だったんですよね。
ほか、手からビーム的なものが出る系の技は、
基本的に「かめはめ波みたいなやつ」って
呼ばれたりさ(笑)。
まあ、あとはオッサン世代に
「漫画のキャラクターの中で一番強いの誰?」
って聞いたら、9割「悟空」って言います(笑)。
ついでに「一番絶望した敵キャラって誰?」
って聞いたら9割「フリーザ」って言います。
以上、
ブームだとか、ブレイクだとか、
そういうステージにはいなかった作品です。
ドラゴンボールのハナシでした。
またこういうの書いてみまっす。
質問あったら、コメントくださいな。
ではでは。
※ついでに、かつて書いた漫画名勝負、
貼っておきます(悟空×初代ピッコロ)
↓
あの時のアレは凄かった 〜ドラゴンボールの破壊的な人気〜 へのコメント一覧
一番の衝撃は「戦闘力53万です」でしたね。
文字通り桁が違って、あれより絶望させられるシーンってなかなかないでしょう。スーパーサイヤ人よりよっぽどみんな反応してたような。
魔貫光殺砲とかギャリック砲とかみんなやってました。
特に、フリーザ編は毎週ドキドキしながら読んでました。
今の漫画でも、パロディで使われるぐらい影響力ありますし、アイデンティティにも(笑)
Kさんご覧になってますか?
自分はあのCM見ると涙が…。
DBは、マンガも毎週楽しみでしたが
アニメが、マンガのさほど遅くないタイミングで放送されて
アニメの1回、30分が、マンガの1話分だったから
原作にないシーンはまだしも、
間合いが長い長い。
スーパーサイヤ人になったときに
ジャンプを見たときは
ぶわっと一瞬で髪の毛が変わって
身の毛がよだつというか
後のスーパーサイヤ人のバーゲンセールのような
気軽な変身ではなく
異変でした。
ところが
アニメでは、
だんだんに髪の毛が変わり、
盛り上がる感じはよかったですが
その間にフリーザが攻撃すればよかったのに
と思っていました。
思うところは人それぞれですが
マンガで衝撃を受けて
アニメで再認識した
という感じだった記憶です。
親父→長男→次男→三男(自分は三男)ドランゴンボールのガチャガチャは必死で集めた覚えがあります。欲しいキャラがカプセルの中で曲がってしまってクセがついてしまって。。欲しいキャラを出るまでガチャって手に入れても、首や足が曲がってたらガッカリしましたよ笑(分かる人いるかな?)
ファミコンやスーファミでドラゴンボールは沢山ありましたよね。
そういや、幽白も暗黒武術会や魔界統一トーナメントがありましたよねw
人気はあったと思いますが(^^)
何回おんなじ走馬燈とcm見せんねん!って感じで。
でもとてつもなく凄い時間の中にいました。
しかし、あんなに熱中した悟空の小さい頃が、今見たらかわいいって思えるようになったのは、おじさんになったってことでしょうね(泣)
いまは趣味嗜好が多様化していますからね。
「みんなが同じものを好き」という時代はもう来ないかもしれませんね。
あの数字を見たときの絶望感はなかなかないですね。
確かに翌日みんなが「フリーザの戦闘力知ってる?」って会話していた気がします。
わしの中では「ハマった」という表現すらも超えている存在な気がします。
「見ているのが当たり前」だったという、次元の違い。
ああ、確かに「ブリーフ」という言葉は下着の種類よりも先に、キャラ名で知ったかもしれませんね。
※西遊記はさすがに知ってましたが(笑)。堺正章さん主役のアレを見てましたので。
気になったので、いま見てみました!
これです!こうだったんです!
当時の小学生は!!
そうそう、アニメが追い付いちゃうんで、オリジナルエピソードが入ったりしたんですよね。
まあ、しょうがないですよね。バトルシーンだと5ページくらいの内容が、実際は3秒だったりするので(笑)
そう、このパターンがあるので、実際は2000万〜3000万人くらいが読んでいた気がするんです。つまり、日本人男性の半数という異常値(笑)。
わしはカードダスをよく買っていた気がしますです。
世界一売れた作品の連載時期にど真ん中にいたってことですからねえ。
個人的な印象ではナッパが一番絶望感ありました。
地球上でトップクラスの実力を持っていたZ戦士たちがあれよあれよと窮地に追い込まれ、
あのピッコロでさえほとんど相手にならない敵なんて…
と。
クリリンのセリフにもありましたが、
「悟空ー!!早く来てくれぇーー!」
と思いながら読んでいました。
毎週水曜夜7時。
毎週楽しみだった。
野球放送がかぶる時は雨乞いしてた。
小学生の頃のJUMPといえば、ドラゴンボール、キン肉マン、聖闘士星矢、キャプテン翼、北斗の拳、シティーハンター、男塾、山下たろーくん、奇面組、ついでにとんちんかん、こち亀、ジャンプ放送局って流れのイメージが1番強いです。
スラムダンクは中学入ってからかな。コミックスの初版が近所の本屋には全然売ってなかった気がします。
超サイヤ人はフリーザがインフレしすぎてあまり感慨はなく、それ以降は惰性でした。
初期から読んでた者としてはね。
ドラゴンボールの初期の頃は聖闘士星矢とか好きでした。
聖衣が子供人気だったと思います。
その頃から黄金期は始まってましたね。
でも初めてスーパーサイヤ人見た時のリアクションは「え?これだけ??」って拍子抜けしたのを覚えています。
当時両親が厳しくてアニメ等あまり見せてもらえなくて、幼稚園出る「ピッコロ」と言うワードをニコニコぷんのピッコロだと思っていました(笑
小学校に上がり友達に漫画を読ませてもらえるようになって初めてその世界に触れました。
「悟空が変身した!スーパーサイヤ人だ!!」と伝え聞きワクワクしてみたら髪の色が変わっただけ(当時はそう感じた)で恐らく幼かった僕はそれこそ翼が生えるとか聖闘士のクロス的なものを身に纏うとか想像していたのでしょう。
未だにどの世代にもファンがいるドラゴンボールはやはり別格ですねー。
個人的には忍空も滅茶苦茶好きでした。
今のジャンプの「隊長」とか部隊の長が強いみたいなイメージを強く作った作品だと思います。
隊長の名乗りが兎に角カッコ良かった。
お小遣いもらってなかったのでジャンプは買っておらずアニメだけでした。
少し話違いますが、当時地元では写し絵(トレーシングペーパーやセル画)が流行っていまして、大抵みんなスーパーサイヤ人の悟空を描いてましたね😃
確かにブームはありませんね!
私は今でもTOKYOMXで毎週火曜日「アニメの神様」でドラゴンボールZとガンダム観てます(笑)
セル編で悟飯が超サイヤ人2になった漫画が最高にかっこよかったです!!
あの、オーラの周りのチリチリがやばかった!プラパンに写し描きして焼いてキーホルダーにしてました!
兄ちゃんがいる幼稚園の友達に『すげーおもしろいマンガが始まるでー』と言われて、テレビの前に5分前集合してました!幼稚園や学校の5分前集合より必死w
原作でも『ボッ』とか『ズアッ』ぐらいしか描き文字のないシーンに、あの音って……人生何周したら思いつくんだ
あの音を口で真似ながらごっこ遊びしてた子供がどれだけいたことか
もはや日本中どころか世界中で「超サイヤ人の効果音」で通じますもんね
それが人類最大の宿題なんだよなー(遠い目)
なるほど〜。
わしはもういい年だったんで、拍子抜けもなく「おお、カッコイイ!」と思いましたね。
ただ、瞬間、鳥肌が立ったのはよく覚えております!
ああ、あの「オラ」と「オレ」は、人格に変化が起きたことを感じさせましたよね。
クリリンが死んだときは、結構ソワソワしました。
っていう話を、我がブログの漫画名勝負の中で書いていたりします。
あ、わしもそうかもしれません。
ナッパの絶望感が最大だったかも。
おお、そういう方も多いですよね。
ジャンプ買うの禁止の家も多かったし(笑)
同い年ならば、そんな感じですね。
スラムダンクは中1です(バスケ平成振り返りコラム御参照)。
間違いなく、そのへんがジャンプの最強時代でしょうね。
悟空と天津飯が決勝で戦う天下一武道会が好きですね。
場外負けの瞬間、超悔しかった記憶があります。
スーパーサイヤ人は髪の毛を塗り潰さなくていいからラクなんですよね。
鳥山先生はそのために金髪にしたという説もありますからね。
なるほど、なるほど。
6歳違うと、「一番燃えたシーン」がちょっとズレますね。
こういうのも面白いですね。
それだけのパワーがある作品でしたからね。
休日の朝でもなく、深夜でもなく、ゴールデンだったんですよねえ。
おお、これは面白い意見!!
確かに、素晴らしい。
アニメスタッフが必死に考えたんでしょうね。
漫画だけじゃノーヒントですからねえ。
それは我が世代の「あるある」ネタですねえ。
ゲームソフトでは「if」ストーリーとして、アックマンが活躍する作品もあるとか。
鬼滅も全巻読んでるんですが、ドラゴンボールの方が面白いと。53年生まれの僕としては大満足です。
自分は人造人間編が思い入れあります。
トランクス登場シーンでは『あいつは何者なんだ!?』ってみんなで考察してた記憶が。
セルのタマゴが出てきたとことかもめっちゃゾワゾワしたなぁ。
確かに超サイヤ人が存在するってのはチョコチョコ触れられてましたしね
割とスッとなってますし
でも金髪になるっていうのを予想できた人ってあんまりいないんじゃないかなあ
変身シーンのインパクトという意味では微妙だったかもしれませんね
悟飯の超サイヤ人2のほうがインパクトあったのかな?あの絵は漫画史上トップクラスのカッコよさだと今でも思ってます。
ドラゴンボールは、小5-大4でした。
Kさんが言われるように、確かにブームはなかったですね。あの頃は最初から最後までドラゴンボール中心でしたからね。
ただ個人的にいくつかの盛り上がり箇所と
言われたら、思い当たるところはあります。
・占い魔女の館の最後の敵が孫悟飯(爺)
・タンバリンにクリリンが殺された時
・天下一武道会で悟空がデカくなった時
・フリーザの53万
セル編以降は、大学生になったのもあり、見てはいたんですが、そこまでの盛り上がりはなかったですかね。こち亀にフリーザが出てきたとかもありましたね。あの頃は、親父と弟と、家に3冊揃う週が何度もありました。。
界王拳が出た後は、みんなで倍数を競ったり、縛りを
つけたりまでした覚えがありますw
あと、この世代で語っていると、
[どこで連載がおわっていればよかった]
の、話になりませんか?
自分的には、23回天下一武闘会まで、又はフリーザ編まででが、1番すっきりかなと思ったりしてます。
もちろん、その前もその後とも面白いんですが。
ドラゴンボール、スラムダンク…語り尽くせませんね。
スカウターのおもちゃが欲しくて小遣い貯めて、ようやく買えたのにすぐに飽きてしまったのも良い思い出です笑
現在高校教師をしていますが、2005年生まれの子供たちまでドラゴンボールの真似をしてるんです
それほど世代を超えたマンガなんですね
今も床屋や汚いラーメン屋(笑)には必ず置いてますよね
自分はKさんより10ほど下の世代なので物心付いた頃にはドラゴンボールの連載がちょうど終了した頃で、アニメですら確かブウ編。
リアルタイムで見てたのはZよりむしろGTでした。
でも、小中校、ついでに大学に上がっても同世代とドラゴンボールの話で盛り上がれました。勿論上の世代とも、更に言えば甥っ子は今超に夢中です。
たぶんドラゴンボールは他のジャンプ作品と比べるものじゃないんですよね。
「ドラえもんの全盛期はいつ?」と聞かれても「え、そんなんずっとでしょ」となりますよね。そういう次元にいる作品だと思います。
どっちが面白いかは人によるんで、何とも言えませんが、
分かりやすいのは、ドラゴンボールでしょうね。
万人向けなのは間違いないと思います。
あ、ありました、ありました!
誰も当てることは出来ませんでしたが(笑)
インパクトは結構あったと思うんですが、
なにより「待たされた」ことがデカくて…(苦笑)
かめはめ波ゴッコはまあ鉄板ですね
ああ、そのへんはみんながザワついたシーンですねえ。
あとは、「悟空とピッコロがついに組むとき」とかね。
ぱふぱふ、いまはもうドラクエのネタですね。
誰の仕業かというと、鳥山先生よりも鳥嶋さんかなあ。
わしもかつてはそう思っていたのですが、いま読むと、フリーザ以降も結構面白いんですよね。大人になったら感覚が変わったのかなあ。
子供とはそういうものです。
買うまでのワクワクから買った瞬間までがピークなんです!
まあ、大人の男性が行くところに置いておけば、基本喜ばれますからね(笑)
そうですね、立ち位置的には、ドラえもんやアンパンマンなのかもしれません。
ちょっと大人ぶってる奴は、そこでビーバップですよ(笑)
はい、みんなやりました!
あれはホントに分かりませんでしたね。
個人的には悟空の敵役が、次の戦いでは仲間として戦うのが、好きでしたね。ラディッツ戦で悟空とピッコロが協力する所は、亀仙人のセリフとまさに一緒で、ワクワクが止まりませんでした。
幼稚園の頃?、どこかのラーメン屋に行ったときに、そこにジャンプがあって初めてジャンプを読みました。天下一武道会予選で、メカ桃白白にチャオズがやられてる会でショックを受けた記憶があります。。
カードダスも集めてて、確かキラカードは20枚に1枚。友達と近所のカードダスを張って、あいつ何枚引いてってキラなしだった、とか計算して引いてた思い出。1枚20円、100円でどうキラを集めるかに執念を燃やしてました(笑)
おもちゃ屋さんもカードダスの両替用に10円10枚セロテープで止めたの作ってました笑
最終フリーザがキレて飛んでくる場面のキラが3回で出たのがめっちゃ嬉しかったの今でも覚えてます!
「今のは痛かった…痛かったぞーー‼︎」のとこです笑
あとはジャンプを写してプラ板でキーホルダーとか作ってたなー
スーパーサイヤ人がでたときは、次の日から大ざるになってスーパーサイヤ人になったらどうなるんだろうという話をしていましたw
GTで見ることできてよかったですwww
漫画というジャンルを超えていると思っております
後、北斗の拳・キン肉マン・ジョジョ等等…
ターちゃんとかのギャグマンガも面白かったです。
この手の話題になると昔を思い出します。
歳やなー
ドラゴンボールはド世代です。
当時は、マンガ、アニメに加えてカードが出始めたんですよね。
スーパーとかの入り口付近に売ってあって、
「あと何枚でキラが出る!」なんて小さい穴からのぞいてたなあ・・・。
今でもキラだけは100枚くらい実家に残ってます。
たしか1枚20円だったかな〜
スーパーサイヤ人は、概念として呼ばれるもの、と想像していた記憶があり、プツンの後に悟空が逆立った金髪になった時は大興奮でしたね。変化形態だとは夢にも思ってなかったのです。
アニメの咆哮とともになる感じより、原作のプツン、ボワッ!の方が衝撃は何倍も大きかったです。
そしてギョーザはチャオズ。
ヤムチャ 飲茶
プーアル プーアル茶
ウーロン ウーロン茶
当時、ウーロン茶は知っていたけど、プーアル茶がある事は
知りませんでした。
子供達の会話の中に「ブルマ」がでてきて、
当時の大人はどう思ったのか?
あと「パンパン」とか「はいっ!!!」とか「ほれ!!」とか「ぱふぱふ」も。
あと、親が厳しくて、アニメ禁止とかジャンプ禁止だった方達の現在の
心境が知りたいです。禁止でよかったのか?親を恨むのか??
で結論が出てた・・・笑
書く事は他にないです(^^)
しかし今高3の息子が小さい頃から夢中になっていましたので、世代を超えていつの時代でも楽しめる作品なんだと思います。
確かにサザエさんに最も近い、ずっと当たり前のように頂点にいる存在の漫画なんでしょうね。
セル編、ブウ編あたりが印象に残ってる世代で、小学生の頃は友達とフュージョンしてました笑
天津飯の件はまさにで、バーミヤンで天津飯というメニューを初めて見た時の衝撃は忘れられません!
僕と同い年にあたるテニスのラファエル・ナダルは悟空みたいな身体を目指して筋トレしてたという逸話も聞いたことがあります🤔(遠征にドラゴンボールのDVDを持っていくそうです)
ナダルも自分たちと同じようにフュージョンとかかめはめ波やってたのかと親近感が湧いた思い出があります笑
何かあれば、拳を腰元に当てて気を溜めたり、記念写真は基本かめはめ波ポーズでした。
フリーザ編での一コマ、ポルンガを呼ぶ呪文
『タッカラプト ポッポルンガ プピリットパロ』を何故か必死で競って覚えてました(笑)
超サイヤ人2になった悟飯が悟空からのバトンを受け取ってセルをかめはめ波で倒すというのは、今読んでも感動です!!
なので今でも一番好きなキャラクターはセル編の悟飯です!笑
よく悟飯の絵も描きましたね〜
今見ても痺れる展開ですよね、戦闘力という数値も新登場してw
壊れたメガネの片方だけしてスカウターしてゴミめっ!ってやったり
羽交い絞めにして魔貫光殺砲したり
Kさんよりちょい下の世代ですが
ベジータ編〜フリーザ編がやっぱり一番熱かったですね!
当時はCMカットや頭出し機能なんてもちろんなかったので
はご〇もフーズのCM は何回見たかわかりませんww
ありがとうございます!
この企画、想定外のコメント数に驚いております!!
やはり「居酒屋で喋りそうなこと」はイケル!!
引き続き、面白いネタ考えてまいります!
天津飯あるある、分かります!
本当にそうでした。
ウーロンとプアールもお茶の名前だって後で知りましたね。彼らの初登場した連載初期、幼稚園児でしたから。
インパクトあるシーンは数えきれませんが
・ピッコロを「つらぬけーー!」
・トランクスの初登場
・占いババの館にて、ブルマの「ぷるるん」
(分かる人には分かるHなシーン・笑)
ですね!
結果は親父がブロリー、自分がフリーザ、そして息子は魔人ブウ。親子三世代で語り合えるアニメって、ドラゴンボールだけですよね笑笑
やっぱり印象に残ってるのはフリーザ編です。
自分はナメック星途中まではアニメ、フリーザと戦う辺りからジャンプでした。フリーザが変身してどんどん化け物じみた姿になり、クリリンが腹を貫かれ、ピッコロはひゃあの連続で瀕死に、そしてデンデとベジータが殺されて悟空もこいつには勝てないんじゃないかと本気で思いました。20倍界王拳かめはめ波も片手で防がれましたし。
そんなフリーザとはドラゴンボール超でまさか共闘するとは思いませんでしたね。Vジャンプは毎月買ってます。
自分としては超サイヤ人に変身するシーンよりも、ドラゴンボール超の漫画編での身勝手の極意に変身するときの方が印象深いですね。かつての師匠の亀仙人の語りかけがきっかけとなって、パワーを追い求めていた悟空が間違いに気付いてふっきれて変身したところですね。
妻の戦闘能力を例える時の固有名詞はフリーザ。
同世代はそれで亭主関白か嬶殿下か把握する82年産まれです。
…が、私はドラゴンボールにまったく興味がなかったド変態の非国民です笑
小学生の頃はテレビと言えば野球を観てました。
それこそ、コメントで誰かが「野球が雨で中止になることを祈ってた」とか書いてましたが、真逆の人間でした笑
しかしドラゴンボールの何がすごいって、そこまで徹底してドラゴンボールに微塵も興味のない人間が、ある程度の登場人物がわかるところですよ。
こんな私でも御多分に漏れず、天津飯=ドラゴンボールのキャラ(≠食べ物)、という認識でしたし。
私の中ではこれに近いのが浜崎あゆみでして、こちらは世代ど真ん中だったのですが大嫌いでして(ファンの方すみません)、CDを買ったことも、借りたことすらないのですが、今街中やラジオなどで聴くと懐かしく思うし、飲み屋でカラオケできるぐらいにはわかるんですよね。
嫌いな層や無関心な層でもある程度わかるというのが、ドラゴンボールや浜崎あゆみの絶大な影響力を表していると思います。
さて、鬼滅の刃はそのステージに立つことができるのかな?
少なくとも私は現状、鬼滅の刃について知っているのはタイトルのみですが…
おもちゃ屋さんの10円玉10枚のセロテープ!
当時の映像が蘇って来ました笑
あの頃はDBやガンダムと、1枚20円のカードがめちゃくちゃ流行ってましたねー
あの頃の500円玉のブルジョア感は
半端ねぇっす。。
常軌を逸した漫画でしたが、
それに乗じて、報道が煽る、
といった現象が何故無かったのか、
振り返ると不思議ですね。
もはやブームではない、という表現が
相応しくなるのですかね。
Kさんよりちょい上世代です。
個人的には、
桃白白の登場シーンで、
これ、悟空ダメなんじゃね、
と、感じた記憶があります。
石柱を人差し指で、軽くトントンして、
もぎ取り、それを上空に投げて、
それに飛び乗る、というね、
サイヤ人襲撃〜フリーザ編とダイの大冒険が
ドストライクの世代でした。
やはり、小学生の中〜高学年あたりのものが
一番強く脳内に焼きついていますね。
(その中でも初めて読んだコミックスの冒頭で
天津飯が腕を殴切断されるというトラウマが。。。)
コメントめちゃくちゃ来るね!
皆さん、ありがとうございます。
※このメンバーでZOOM呑み会でもやったら
アホみたいに盛り上がるんでしょうね(笑)
月曜日発売(たまに土曜日とかに買う猛者もいたが笑)だから火曜日はみんなドラゴンボールの話ししててね!熱かったなー!
調べたらスーパーサイヤ人になった年は1991だったので自分は9歳でした。ハチャメチャに盛り上がりましたよ!!
うおーーーーー!カッケーーーー!!!てなってました笑