この企画、今後の主力になる予感満載です!
「あの時のアレは凄かった」のコーナー!!
※毎度、企画名が「そのまんま」でゴメン。
老若男女が集う我がKの部屋にて、
若い読者さんが体感していない時代のハナシを
40代のオジサン・Kが語るという企画です。
これ、前回の記事が手応え抜群でして、
サイコーな気分になっております。
※すっげーたくさんコメントが来たっすよ!!
↓
さてさて、今回のテーマはコレ。
「ゲームソフトの貸し借りの文化」
おお、もうハッキリと聞こえるぜ、
「あった、あった」の大合唱が。
おっと、ついでにこんな声も聞こえます。
「俺はソフトに名前を書いていた」と(笑)。
ゲームの貸し借りってのは、
いまもないわけじゃないでしょうが、
昔は比べもんにならんほど盛んだったんですよ。
で、このハナシをするとき、わしが毎度持ち出す
エピソードがございます。
これです。
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「スパルタンX」をやったことがない人に
会ったことがない
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※同様に「アイスクライマー」をやったことが
ない人にも会ったことがなかったりする
「スパルタンX」はかなり有名なゲームでして、
先日「思い出の強敵」コラムでも取り上げてます
↓
そういや、このときも「みんなやってる」と
書いてましたね。
いや、大袈裟でなくわしらの世代の人との会話で
ホントに会ったことないんですよ。
「スパルタンX」をやったことない人に。
そうなると、このソフトは1000万本以上
売れていなきゃいけない計算になるのですが、
まあそんなことはなくてですね。
ファミコンソフトの売上の歴代1位は
皆さんご存知「スーパーマリオブラザーズ」で、
約680万本ですから。
つまり、「持ってなかったけどプレイはした」
って人がワンサカいるということなんですね。
思い出しますねえ、あの少年時代。
いまみたいに、自分専用のゲーム機ってのは、
なかったわけです。全くパーソナルじゃない。
いまなら、dsだったり、スマホだったり、
個人のデバイスで、どんな場所でもゲームが
楽しめますが、昔はそうじゃなかった。
いわゆる「据置」のハードしかなく、なんなら
テレビも1家に1台が普通だったりしますから、
友人の家に行っても、そいつの部屋じゃなくて、
居間のテレビでゲームするんですよね。
「他人の家に遊びに行く」のがいまより全然
普通だったんです。で、居間ね、居間。
すぐ横に、親御さんや兄弟もいるのよ。
※自分の部屋にテレビとゲームがある奴は、
ちょっと金持ちっていう印象だったなあ
いまの子供たちって、みんなでds持って
どこかに集まってゲームするじゃないですか。
あれはないです。ハードを持ち歩けないですから。
そういや、自分が持ってるゲームソフトを持って
友人の家に行くことは多々ありましたね。
「これ、みんなでやろうぜ」というハナシで。
もちろん逆も然り。
「アイツの家にはあのゲームがある」となると、
みんなでそいつの家に行くっていうね。
で、本題。
帰り際に言うんですよ
「これ面白いな、貸してくれや」と。
あるいは「俺の〇〇と交換してくれや」と。
全然クリアしてなくても貸すからね。
酷いと買って1週間でも貸すからね(笑)。
なんだったんだろ、あの頃の流通速度。
※そもそもゲームに「クリアする」って概念が
なかったってのもあるかな(クリアできない、
そもそもクリアがない)。
そして、時折こういう答えが返ってきます。
「いや、このゲーム、借りモンだから」。
そう、そいつの家にあるそのゲームが、
そもそもそいつのものじゃないというパターン。
わしもそうだったよなあ。
家にゲームソフトが20本あったとして、
ヘタしたらそのうち半分が他人のものだったり、
自分のソフトの半分は、他人に貸していたり。
もう、どれがどれだか分からなくなるため、
「また貸し」禁止令が発動されることも。
でも横行します、また貸しが。
「これは〇〇君が〇〇君に貸したゲームだけど
いまは俺の家にある」ってね。
いまどこにあるか分からなくなることもしばしば。
結果、ソフトに名前を書く奴が現れます。
「佐藤」と書かれたゲームがウチにあるけど、
それは鈴木から借りた、みたいなことがある(笑)。
先ほど「すぐに貸す」と書きましたが、
逆に3日くらいで返したりもするからね。
当時のは、じっくりやるゲームじゃないから。
ポケモンやドラクエ、どうぶつの森を3日間だけ
借りるって、ちょっとあり得ないと思うけど、
昔のファミコンはわりとイケるものなんです。
その代表が、「スパルタンX」なのかも。
あれはアッサリしてて、サクッと貸せて
サクッと返せるタイプのゲームだったから。
結果、やったことがない人がいない、という。
そんなハナシ。
このへんの文化って、地域や時期によって
色んなルールがあったじゃないかなあ。
いろいろ聞いてみたいなあ。
皆さん、どんな感じでした?
あの時のアレは凄かった 〜ゲームソフトは貸し借りするものだった〜 へのコメント一覧
私の母はスパルタンXのやりすぎで腱鞘炎になりました。子供達にはゲームは1日1時間と制限しておいて子供達が学校に行ってる間にやりこんでたみたいで、腱鞘炎のせいでそれがバレてしまいました。どうりで家族内で母が一番上手かったわけです。
中古ゲーム屋でも普通にソフトの後ろにフルネームで名前書いてある中古ソフトが売ってたり(笑)
今の時代ではなかなかあり得ないことだと思います!
あとはソフト自体は借りなくても友達の家のRPGソフトのセーブデータの枠を1つ貰って友達の家に行ってそのゲームを進めてクリアするとかもありました!
自分はKさんより少し下の世代ですが聖剣伝説2をそうやって友達の家でエンディングまで進めました(笑)
有名タイトルは買った記憶ないけど、やった記憶はあるもんなぁ(*´艸`)
ゲームクリアってどのゲームからなんですかね?
スーパーマリオブラザーズ?ドラクエ?
マリオならクッパ倒せばクリア?
ドラクエなら竜王倒せばクリア?
それ以前のゲームはひたすら同じとこループしてたからなぁ…そんた飽きたら貸しちゃうw
んで、裏ワザ見つけてまたやるみたいなww
有名なコ〇ミコマンドとかありましたねぇww
もう1件自分の部屋にテレビがある上級生のお兄さんがいて、近所の子供達は我が家とそのお兄さんの家を交互に使うという感じでした。
たまにゲームに夢中になりすぎて親から言われていた時間を過ぎると他人の子供だろうが構わず怒ってくれていたのを覚えています。
ピシッ!っとケースに入れてるやつ
床に散乱しているやつ
俺はタンスの引き出しに入れてましたw
誰かの家でゲームするのは常識、貸し借り当たり前。そうやって話題や空間を共有するのは悪くなかったなぁ。借りパク問題あるけど。
子供が遊びに行かない、貸し借りしないから、このスタイル勧めたら、妻は冷たい目線で見てました。誰が禁止したんだか。
小さい画面は目が悪くなりそうだから今は古いPCのモニターをゲーム用として流用です。家に息子の友達を招待しちゃう。で、息子と友達と親父で一緒に遊んでいます。
相手の親に気をつかわせるから辞めてくれとの圧力を感じながら。。
ファミコンしにみんなが家に集まる友人がいて、そいつの家(まさに居間)でやった記憶があります。
とりあえず全部消して、誤って落とした時に消えたことにしてました。全然解決にはなってないんだけど。
マナー的に又貸しはまあしてませんでしたが。
欲しいものは発売日にすぐ欲しいものですが、そこまでの対称でなければ子供は飽きやすいし成立するもんです。
小遣いの少ない子供には経済的ですし。
自分の周りだとファミコンなら桃太郎伝説、キン肉マン、聖闘士星矢辺りが流行りましたねぇ。
うちはソフトは毎度きちんとパッケージに内箱や説明書と合わせてしまって片付けてましたが
そこに一緒に、借りてきた剥き出しのソフトが常に2〜3本置いてありましたね
誰かの家に集まってもコントローラーには限りがあるから、
あぶれたヤツらは脇でゲームボーイやってたりして
せっかく同じ空間に集まってるのにバラバラなことして遊んでる様子を、親たちからは怪訝な目で見られていた気がします
借りパクって言葉が!と思ったらやはり先着がいましたね笑
RPGに限って言えば、セーブデータの空きを使わせてもらったのはスーファミになってからでした。皆ドラクエ3でトラウマになってたようなので(^_^;)。
ファミコンを買ってもらえなかったので、友達の家でしこたまゲームして
持ってる奴がほんとにうらやましかったなあ。
結局あとになって買ってもらえたけど。
隣に一人暮らししていたきれいなおねえさんとこに行って
ゼビウス一緒にしたのはいい思い出ですな。小学校2年生ぐらいだったかな。やさしかったなあ♡
でも確かに「アイツんちにゲームしようぜ」で約束してないのに男子いたりしたな笑『なにしてんの?』てきいたら『お前のおじさんとゲームしにきた』とか。
勝手に来んなと思ったことも。
ウチはゲームやると目が悪くなるって、ファミコン買ってもらえない家庭で、そのせいでゲームはことごとく下手っぴでしたが、それでも楽しかったっすねー。
ベストタイムを更新したら返す、また更新されたら貸してくる、
みたいなやり取りをしてましたね。
あれはまだ
「借りパク」
という言葉の無い時代の話。
勝手に連射してくれるコントローラー(ハドソン?)は
スターソルジャーやファミコンオリンピック?と一緒に
セットで借りてました
で、返したら「連射が利かなくなってる」って言われて
「お前が連射し過ぎたせいだ」みたいな展開になった苦い思い出w
で実際にはそいつの家のファミコンでのみ使えない謎の現象
今思えば、きっとあいつんちのファミコンの端子の問題だよなぁ
おおお、そうそう、そうです!!
借りパクってファミコンの文化から生まれた言葉かもしれませんね。
あと、お母様、面白いですね(笑)
なんと、クリアするまで通うとは、
当時ならではですねえ。
ああ、有名な裏ワザってのも面白い話題ですねえ。
これは次のネタにイケルかも!!
あ、それウチの近所もそうでした。
他所の子供でも普通に「早く帰りなさい」って言うんですよね。
わしは、ソフト20本くらい入る専用のケースに入れてましたね。
箱と説明書はすぐ捨ててましたけど。
わしもわりとそんなもんでしたよ。
いまは大人もゲームをやるのが、当時との違いですね。
「家に遊びに行く」ってのは、イコール「ファミコンをしに行く」でしたからね。
わしなら、放っておきますけどね(笑)。
「え? マジ? 消えたの?」って一緒にびっくりしてあげる。
そう、ガキなりに効率を考えていたということで。
※親の財布にも優しい文化。
かなりレアです…!!
キン肉マンはみんな好きですね。
いわゆる「ブロッケンの獲り合い」ですな。
貸したものが返ってこないから買うとは、なんという理不尽な世の中。
あるあるです。
多くの子供はコレクター精神がないですからね。
箱はすぐにポイッですよ。
それが、また貸しの恐怖です!!
なぜネットもない世の中で同じ言葉が浸透したのか、
ミステリーです。
ドラクエ3のデータ消去は誰もが通る道です!
珍しいですね、女性でゲーム好き。
当時は完全に男の世界でしたからね。
昔のガキは、約束なんてしないで、
いきなり家に行きますからね。
それが普通でしたし。
ファミコンがない家の理由は、だいたいそれでしたね。
まあ実際、わしも中学あたりから目が悪くなったわけですが。
それ、面白いルールですねえ。
地域性だなあ。
ここからそれは始まったのであります。
ダウンタウン
はいはいはい、ジョイカード・マーク2ですね。
ファミリーオリンピックにも使えましたっけ?
※あれは専用パッドだったから、定規でビヨンが鉄板でしたね。
自分も貸し借りじゃないですが、近所の友達がファミコン買ってもらえなくて、良くうちにファミコンやりに遊びに来てたのを思い出しました。
しかも、自分よりどのゲームも上手くなるっていうね(笑)ゲーム上手いとか連射が速いってのは当時尊敬の眼差しでしたよ。
極めつけは、そいつファミコンないのにスーパーマリオのソフトだけ買ってうちにやりに来てた事かな。さらにハドソンキャラバンで使うハドソンスティックもそれだけ買ってうちに持ち込んでシューティングゲームやってました。もちろん自分よりうまいの。
懐かしくてつい長文になり申し訳ありません。
貸した事を忘れてしまったり、逆に借りた事を忘れてしまったり・・・
でも、そういうかたちで友達と楽しみを共有出来ていた時代って、何か良い♪
そして全然クリアできない笑
昔は難しいゲームが多すぎた。一揆とか全然クリアできなかったもんな〜
僕は同級生に電気屋の息子がいたので、だいたい最初はそいつの家で集まってゲームしてましたね!
発売日の前からやれるので笑
で、面白かったらそこの電気屋で買うっていう
「できなかった…」
「いやいや、多分タイミングがあってな…」
みたいな話をしてた気がします
上上下下左右ひだり……なんてコマンドがいくつかありましたね
懐かしい
裏にしっかり名前書かれてましたよ
まさのりって…誰だ笑
元気にしてるかな…まさのり…笑
当時はネットなんかない時代だから、裏技を知ってる人は崇められてましたよね。
思い出すのは迷宮組曲とかリトル・マジックとか?地域差あるかもしれませんが。
あと難易度高すぎてクリアできない。
僕の唯一のゲーム自慢はアメトークで劇ムズと紹介された「トランスフォーマー コンボイの謎」をクリアしたことでですね。(ちなみに主人公がウルトラマグナスからロディマスコンボイに代わって、また始まります。)
コンボイの謎は・・・よくわかりませんでした。
正月休みは単純なゲームで家族で勝負したもんです。
よく考えたら小学校5年生ぐらいの時でした。
すみません。
その時ゼビウスてないだろが(岡山弁)って思われたら嫌だったので。。
ごめんなさい
いつも応援しています
ほんとなんで勝手にくるんでしょーね。
しかし、ソフトに名前を『わたし』で書いてて男子にツッコまれまくりましたな。
わかるからいーやんとおもた。
で当時ドラクエ3だけなんかできなくて、挫折したから友達にそのまんまあげちゃったな(笑)
いーよもっててって。
ソフトは貸し借りするもの・・・そのとおりでした。
それにも増して、ソフトは「雑誌を見ながら入力するものだった」という時代を懐かしく思い出しています。
PC88、98が全盛期だった時代。
あの時の・・・でぜひ取り上げて頂きたいです。
ゲームのプログラムがみっしりと印字された雑誌を見ながらコードを打ち込み、正しく動いたときにはなんとも言えない充実感がありました。
今思えば、ブラインドタイプやプログラミングや英語のスキルに少なからず影響している気がしています。