職場に若い人材が多くなったこともあり、
昔を思い出す機会が増えた気がしている男、
編集者・Kでっす!!
※あ、昔を思い出すことはチョイチョイあれど
「わしの若い頃はなあ〜」的なことを言う
メンドクセー奴じゃないので、ご安心ください
さてさて、
最近の「あのときの編集者・K」企画は、
20年以上前のことを思い出しながら書いている
最中でありますが、
しばらく続いている「編集者になった」の記事、
ここから第2章に突入です。
前回のハナシはコチラ。
※昔ながらの指導を頂戴していた、若き日の
編集者・Kであります
↓
編集部に入って3か月ほど経ったころ、
人事異動があり、体制が大きく変わります。
ここで、編集者・Kに転機が訪れるのです。
わしに「担当ページ」が誕生するのですよ。
ある日、新しい上司に呼ばれ、告げられます。
上司 「K君はまだ入ったばかりなんだよね」
わし 「はい、いま3か月くらいです」
上司 「君は『打たれ強い』と聞いているよ」
わし 「え?」
上司 「毎日、怒られてたんだろ?」
わし 「ええっと、はい、まあ…」
新しい上司は笑顔で伝えてきました。
「前任から色々聞いているよ。かなり厳しく
鍛えたって。よく頑張ったね。強いことは
いいことだから。期待してるよ」
わし 「は、はい…、頑張ります…!」
上司 「そろそろページを持ってみようか」
わし 「……!!?」
あの「シゴキ」とも表現していい3か月を
過ごしたことは、ちょっぴり評価もされていた
らしいのでした。
というわけで、
3か月間、自分の担当ページのない雑用係として
先輩方のお手伝いをしていたわしに、
ついにハッキリとした「主務」が誕生します。
いまはどうなのか分かりませんが、
当時はおそらく多くの雑誌編集部において
若手の登竜門的なページだったであろう、
「読者ハガキ」のコーナーでございます。
だいたい巻末にありますよね。
読者投稿で作るページ。
一番有名なのは、当時の週刊少年ジャンプに
あった「ジャンプ放送局」かな。
ああいう感じのをやることになったのですよ。
このページ、それまで担当していたのは、
5歳ほど先輩の女性編集者でした。
さっそく引継ぎに入ります。
わしはこのページ、毎号たくさんのハガキが届き
その中から面白いものを選んで掲載するのだと
思っていました。
が、全然違ったのです。
先輩 「そんなに来ないんだよね、ハガキ」
わし 「え?」
先輩 「昔は多かったんだけどね」
わし 「そうなんですか…」
先輩 「だから自分で書くこともあるのよ」
わし 「なぬ…!?」
募集しているハガキは毎号テーマがあるのですが、
おおよそ、よくあるものでして
「最近面白かったこと」
「〇〇の思い出」
「〇〇に対して、ひとこと」
みたいな感じで、ちょっとした大喜利っぽい
部分もあるコーナーです。
ラジオ番組に似ているかもしれませんね。
が、これがまあ、当時投稿してくれていた皆様には
申し訳ないですが、そもそも投稿数が少ないうえに
なかなかレベル的にも厳しくてですね、
「こりゃ、このまま載せたら死ぬほど寒いページに
なってしまうぞ…」と、まだキャリア3か月の
わしでも思うような状態だったのです。
前述のジャンプ放送局なら全然そんなことは
ないでしょうが、わしがいた編集部は、
ローカル情報誌の編集部です。
ジャンプ放送局のような、ハガキ職人の猛者が
集う場所ではありません。
インターネットの登場により需要が減ってしまい、
情報誌の発行部数がドンドン減ってた頃でもあり
ハガキコーナーは非常に辛い状態だったんですよ。
先輩 「ケッコー大変なのよ、このページ」
わし 「そ、そのようですね」
先輩 「自分で書くの大変だけど、頑張って」
わし 「は、はい…!!」
なかなか大変であるという説明を聞きつつ、
しかしわしは、ちょっと嬉しくてコブシを
ひそかにギュッと握っておりました。
これ、見方を変えると、
「自分が書いたものが雑誌に載りまくる」という
ことでもありまして、駆け出し編集者のわしには、
ちょっと嬉しいことでもあったのです。
件の先輩は「んじゃ、とりあえず書いてみて。
全部埋まったら私に見せてね。チェックするから」
と、わしに告げ、自分の仕事に戻っていきました。
よし、やってやろうじゃないか。
原稿なんて書いたことはないですが、こちとら、
高校時代は大した成績ではなかったながらも、
先生に「文章だけは上手いな」と言われてきた
男ですよ。やるだけやってやろう、と。
とりあえず、面白いこと書けばいいんだよな、
わしは、一心不乱に筆を進めてみました。
で、調子が良かったのか、思いのほかサクッと
書きあげることができました。
わし、先輩のところに原稿を持っていきます。
「できました! チェックお願いします!」
先輩 「え? もう出来たの!?」
わし 「はい、今日はこれしか仕事ないんで!」
先輩 「ええーー、ホントにちゃんと書いた?」
わし 「はい、頑張りましたです!」
先輩、たいそう不安そうな顔で原稿をとり、
「じゃあ、あとで戻すから待ってて」と、
わしの原稿チェックを始めました。
まあ、ドキドキしますよね。
自分が書いたものを採点されるわけですから。
で、待っている間に自分が書いたものを
改めて見返すと「あー、こう書きゃよかった」
的な部分をポコポコと発見したりもするもの。
しまった、もうチェックに出しちゃったぞ、と。
随分不完全なものを出してしまった。
これはボコボコにされるかもしれん、と。
そして、運命のジャッジ。
先輩から質問。
「これ、どのくらいK君が書いたの?」
わし、返答。
「あ、幾つかはハガキを採用しましたけど、
7割くらい自分です。投稿が少なかったんで」
先輩 「そっか…」
やべえ、やっぱりちゃんと書き直してから
出せばよかった、これ「ボツ!」ってなる
パターンのやつや…!!!
が、
先輩のリアクションは違いました。
先輩はちょっと驚いた顔で。
「K君、上手いじゃん…!」
わし 「へ…!?」
先輩にとっては予想外だった模様。
「うそー、K君がこんな原稿書けるなんて
全然思ってなかった」
わし 「え…、あ、ありがとうございます…!!」
先輩 「ほとんど直すところないよーー」
わし 「ホ、ホントですか!!?」
先輩 「原稿書くの、ホントに初めてなの?」
わし 「はい、たぶん…」
ここで、「趣味でブログをやってまして」とか
言うと、読者の皆さんにはドラマチックな話に
見えるのだと思いますが、
これ、2000年のことです。
わしがKの部屋をはじめたのは2005年ですので
それより5年も前のハナシということになります。
のちの「Kの部屋の編集者・K」から見たら、
全然ヘタクソな原稿だったと思うのですが、
一旦、当時の先輩の採点は潜り抜けられる
レベルにあったようでした。
かくして、アルバイト入社から3か月、
ついに自分の担当ページを得たK君は、
なかなか幸先の良いスタートを切ったのでした。
というわけで、このコーナーでは珍しく
ほろ苦い思い出じゃないハナシになったところで
今日はこのへんで。
続きはまた今度。
ではでは。
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こんなわしの昔話、
バックナンバーはコチラです。
※一部、「読むと、昔の辛い時代を思い出す」
という意見もいただいておりますが(苦笑)
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2000年8月の編集者・K 〜自分の担当ページが誕生した〜 へのコメント一覧
水を差すつもりはまったくなくて、今回も面白かったんですが、ハガキが足りない分を自分で書くってことは自作自演のやらせじゃん、なんて言う輩が出てこないか老婆心ながら心配です。。
ありがとうございます。
まあ20年以上前のハナシですが、
そうなったら、記事消します(笑)。
飛行機の話とかバスで携帯なくすとかwww
好きなことを仕事にできるって良いですよね
好きなことを職として頑張ってる人って
どれくらいいるんでしょうね
なんとなく就活して、なんとなく合格した
会社に入社して、そんなに好きでもない
仕事をする人の方が多いのかな
新人が配属される時期によく思います
好きなものは「好きなもの」にしておくほうがいいという考えもあるんですよねえ。
仕事にしたら好きじゃなくなった、っていう感想を聞いたこともありますし。
うーん、難しい!