バスケ大好きオッサン、編集者・Kでっす!!
たまーに更新しておりますこのコラム
「平成を振り返る」企画ですが、
いよいよわしがよく把握していないゾーンに
入ってきてしまいました(苦笑)。
平成23年、いまからちょうど10年前かあ…。
つまり震災の頃だよなあ。
うーん、あまりバスケは見てなかったなあ。
NBAはちょいちょい見てたけどさ。
Kの部屋を開始して5年ほど経過したころで、
当時のバスケ関連記事もそれなりにはありますが、
この頃は90年代ほどマニアックには見てないし、
わしの記事の説得力はかなり落ちちゃうかなあと。
なんてことを言ってもしょうがないので、
自分の記憶とデータを頼りに、アレコレと
書かせてもらいますが、
いまのバスケファンにとっても、凄く面白い
エピソードがありましたね、この年は。
ひとつめは、
男子の高校バスケです。
主役となるのは、延岡学園と尽誠学園。
これでピンとくる方、ケッコーいるのでは?
そう、ベンドラメ礼生と渡邊雄太です。
この年、ベンドラメが高3、渡邊が高2、
ふたりは全国大会の決勝で戦っているんです。
ちょっとデータを確認してみましょう。
高校各大会の決勝戦(左が勝者)
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総体:
男子=延岡学園×福岡第一
女子=金沢総合×大阪薫英女学院
国体:
男子=宮崎県(延岡学園)×愛知県
女子=北海道×山形県
選抜:
男子=延岡学園×尽誠学園
女子=札幌山の手×山形市立商業
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うわお…!!
前年に続き、女子の決勝に
桜花学園の名前がない…!!
こんな時代もあったんですね。
まあ、当時の札幌山の手はめちゃくちゃ
強かったんですがね(この記事参照)。
この年の延岡学園は、田臥の能代以来となる
三冠を達成しており、バスケファンの間では
「高校史上最強チームの一角に入る」ともされる
好チームとして知られています。
その軸は当然ベンドラメなのですが、
彼らの三冠ロード最後の相手(冬の選抜決勝)が
渡邊雄太のいる尽誠学園というのが、これまた
ドラマチックじゃないですか。
これは、わしが読者の皆さんに聞きたいなあ。
このときの延岡学園がどれほど強かったのか。
詳しい方、コメントちょうだいな。
そして、大学も面白いですよ。
って、前年と同じ話題になるんですが、
ここは青山学院大と東海大の対決ですよね。
特に、比江島と田中大貴がバリバリと
やり合ってたのって、いいですよねえ。
比江島と田中って、わしのなかで、
この世代の2番のポジションの2大スター的な
印象を持ってて(因みに比江島の2個上が金丸)。
1学年違いってこともあって、
なんつーか、仙道と流川みたいな感じなんです。
てなわけで、
大学でも高校でも、現在の日本代表選手が
直接対決を繰り広げた年ってことになります。
ここで「あれ? 富樫は??」となる方も
いるかもしれませんね。
彼もちょうどこのとき高校生ですからね。
ベンドラメと渡邊が日本一を争っていた、
なんていう情報を知ると、気になるでしょう。
富樫は、このとき米国でプレイしています。
彼は日本の高校には進学していないのです。
※本場でバリバリ活躍してましたから、
この年に日本代表候補にも名を連ねていますよ
(この頃から超絶凄かったということですな)。
いいなあ、歴史だなあ。
トップリーグは、敢えて女子に注目。
シーズンベスト5はこの5人なのですが、
ご覧いただきたいのは4番・5番ですよ。
G : 大神雄子 (JX)
G : 岩村裕美 (日本航空)
F : 櫻田佳恵 (トヨタ自動車)
F : 渡嘉敷来夢 (JX)
C : 高田真希 (デンソー)
このあたりから、この渡嘉敷&高田に
間宮をくわえた3人がずっとベスト5の
4番・5番ポジションに君臨し続けます。
時代が来るわけですね。
因みに、渡嘉敷はこの年のルーキーで、
いうまでもありませんが、新人王です。
で、MVPでもあります(わお!!)。
高田と渡嘉敷は別のチームですから、
これまた直接対決していたってことですよ。
アツいなあ、こういうエピソードを振り返るの
本当に楽しいよなあ。
野球やサッカーでもあるけどさ、甲子園や選手権で
のちのスーパースターが戦ってたってやつ。
バスケの世界にもたくさんあるんですよ。
さてさて、
前述の通り、この年にはKの部屋はとっくに
始動しており、6年目に入るわけですが、
この頃どんな記事を書いていたかというと、
ダラス・マーベリックス、
ていうか、ノヴィツキーのハナシばかりでした。
↓
思い返してみると、この時点では、
やっぱりノヴィツキーが「世界一凄い選手」
だったんじゃないかなあ。
対抗馬は、コービーとレブロンになると思うけど、
あの異常な確率で決めるタフショットは、
ちょっと他の追随を許さないものがありました。
「あとは優勝さえすれば…」みたいな感じで
この年についに優勝しちゃったんで、つまりは
世界ナンバーワンの称号を得たかな、と。
このときから10年経ったいまでも、
ノヴィツキーのプレイは「異端」な気がします。
いまのNBAはデカくて上手い奴がたくさんいるし、
アンソニー・デイビスやヨキッチ、ヤニスのような
異次元な能力の選手もたくさん出てきていますが、
あのノヴィツキーのタフショットは、それらとも
何か違うんですよね。
なんつーか、理解不能というか(笑)。
大変なことがあった年だったけど、
日本もアメリカもバスケはアツかったんだなあ。
そういやKの部屋は、500話を超えた頃でしたね。
そうかあ、あれからもう10年かあ。
いろいろしみじみ思い出すものです。
以上、平成23年(2011年)のバスケ界でした。
※次はあるのか?
本気でそろそろ「さすがにもう懐かしくない」
感じになってきてしまったぞ(苦笑)
ではでは。
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その他の年のプレイバックは
コチラからどうぞ〜〜。
↓
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平成23年(2011年)のバスケットボール/日本代表選手の直接対決 へのコメント一覧
1番〜5番まで自分の役割をこなす上に、流れを変えるタイミングで岡本が入ってくるのは脅威でした。
軸はベンドラメとバンバで両選手とも色々なパターンから得点を量産できるタイプです。
1番の寺本、3番の岩田はゲームコントロールが上手い印象でした。
4番の黒木はゴール下での役割、特にリバウンドが強くこの選手がいるから外からの攻撃に安定がある感じです。
そしてなんといってもこの延岡はゾーンDFが非常に強力でした。5人のDFスキルはもちろん、連携、カバースピード、そこからのブレイクで相手の得点を止めて点差を広げるのは、スラムダンクの山王のような怖さがありました。
その頃から2年生主体のチームだったので、まぁ未来は見えてましたよね笑笑
この年の前2年時のウインターカップは50点、この年3年時は51点。両方ともウインターカップ記録です。
見てて笑えました。相手はたまったモンじゃないでしょうが。
前の時が確か町田がPGで、この時からオフボールの長岡に町田が供給していた記憶があって、凄いパスを出す選手がいるなぁ〜って思ってて、町田が卒業した学年では流石に点が落ちるかと思いきや・・・。
そしてその町田が今や長岡を差し置いて世界のスーパースターですからね〜。
感慨深いです。
そして山形の監督の顔を団旗??みたいなのにしてたのも、なんだか女子チームって感じがしましたね笑
確か無名高を一気に決勝まで引っ張ったとか何とか解説の人が言っていた気がします。
長岡は既にスーパースターだったんですが、この年はベンチ含めて山形の事が凄く印象に残ってます。
大学は辻直人、比江島の青学がとんでもなかったです。
コメントで
【日本一練習してます】
って言ってたのが印象的で今でも覚えてます。
青学時代の辻直人を見て、リアル神宗一郎だなって思ったシーンがありました。
DALが3キングスの個人技をプリンストンオフェンスで撃破して一気に駆け上がりましたよね。
確かこの年からMIAがホーンズをNBAで使いだして
『何だこのエントリーは?』
って思ったような記憶があります。
その後、ノビツキーのシュートはドイツの科学者だったか数学者だったかが考えたフォームで、ターンした時に逆の前足を出して体を傾ける事によって上に飛ばす力と相手との距離を作るからブロック不可能。
みたいな3Dの解説が話題になってから、今のカリーの1モーションシュートみたいに皆真似して練習してたのを思い出しました笑
寺本選手ではなく寺原選手でした。失礼しました。
3ピリの比江島が特にやばかったですね。
東海からファールをもらいまくってフリースローで稼ぎ、ダンク、バスカンと大活躍。更に速攻から辻のスリーで青学ベンチはお祭り騒ぎ。見てて楽しい試合でしたね。
それでも東海も崩れず最後まで引き締まった試合でした。