今年45歳になる、
オッサンの中のオッサン、編集者・Kです!
今日は、久々更新となる
「おっさんホイホイ」をお送りいたします。
今年45歳になるオッサンの中のオッサン、
編集者・Kが、昔はこうだった的なことを
アレコレ語るコラムでございますよ。
こんなの。
↓
さて、
今日のテーマはコチラです。
昔は毎日ゴールデンタイムに
プロ野球の試合が生放送されていた!
あ、
これ、大袈裟じゃなく、ホントのホントに
「毎日」レベルですよ。ガチで。
毎日のようにどこかの局はプロ野球の
ナイター中継を放送してたんですよ。
もちろん地上波ですよ。ネットなんかないし、
BSやCSなんてモンもない(あったとしても
全然普及してない)時代ですからね。
当時、世のお父さんたちは、こぞって野球好きで
子供たちは、アニメやバラエティ番組が見たいのに
グッと我慢していたものです。
テレビって1家に1台しかなかったからさ。
分かりやすく言うとサザエさんの家みたいな。
茶の間にテレビがあって家族で見るっていう。
特に巨人戦は本当にナイター中継の頻度が
高かったですから、毎日のように選手がテレビに
映っているわけで、芸能人よりも認知度が高い
選手だらけだったと思います。
あの頃の巨人の選手って、
ホント、異常に知名度高いですよ。
原、中畑、篠塚、クロマティ、吉村、岡崎、
駒田、江川、桑田、槇原、斎藤 etc.
↑
このへんを「知らん」というオッサンは
いないんじゃないかなあ。
特別野球に興味がなくてもみんな知ってたはず。
変なハナシ、いまの明石家さんまさんよりも
テレビに出てたようなもんだからね。
やっぱり野球って特別でした。
まだサッカーはプロ化しておらず、
相撲は18時に終わるから、見てない子供も
たくさんいて(わしはめちゃくちゃ見てたけど)、
バスケやバレーにいたっては、選手どころか
ルールすら一般的にはあまり知られてない。
※スラムダンク連載前はバスケのルールなんて
ホントに誰も知らんかったですよ
スポーツといえば、
なにはともあれ「野球」です。
みんな選手を知ってます。
みんなルールを知ってます。
いまとは立ち位置が全然違ったと思います。
運動神経のいい奴、ガタイのいい奴は、
みんな野球やってました。
いまは分散しますもんね。
競技人口はもうサッカーの方が多いですし
バスケやバレー、テニスも強いですし、
かつては地味な競技の代名詞だった卓球だって
いまは人気競技のひとつですから。
でも、昔はもう完全に野球だったんです。
だから当時のプロ野球選手って、間違いなく
日本のフィジカルエリートの集団だったと
思いますよ。まさに、選りすぐり。
みんなデカいしさ、運動神経凄いしさ。
それはやっぱり、プロ野球をみんな毎日見てた
からだと思うんですよね。スポーツ界において
その立ち位置は圧倒的なものがありました。
あ、そうそう、だから昔の子供はみんな
キャッチボールができましたよ。
野球やってなくてもみんなグローブ持ってて、
友人や親とキャッチボールしてましたもん。
いまは出来ない子ケッコーいるんじゃない?
家にグローブない子、普通にいるでしょ?
若い子にこの話したらビックリされますもん。
「え? 地上波で毎日ですか?」
「ゴールデンタイムにですか?」
「CSや日本シリーズじゃなくてもですか?」
※当時CSなんかなかったし(笑)
「え? 野球やってないのにグローブが?」
「野球部じゃないのに野球ができる?」
※はい、一応できるんです
※わしですら、それなりに出来た
かつての当たり前が、いまはそうじゃない
っていうパターンの代表例のひとつかも。
世のオッサンの皆さん、
プロ野球、毎日放送されてましたよね?
で、少なからず見てましたよね?
そして、あなたの家にもグローブがあって
キャッチボールくらいはやってましたよね?
そんな少年時代の思い出でした。
ではでは。
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あの時のアレは凄かった 〜毎日プロ野球の試合が生放送されていた〜 へのコメント一覧
しかも延長放送とかほぼ毎試合だった様な気がする。
21時からのバラエティやドラマの開始時間遅れて
悲しかったな。
やるスポーツもまずは野球からだったなぁ
野球でレギュラー取れない人がサッカーとかバスケとかに流れていくイメージだった
(番組予約でなく、時間予約だったなー。)
なんだよ〜ナイター中継かよ〜
ってありましたね!
さらには星一徹ばりのスパルタで野球教えてもらってました。
2年前にガンで亡くなったのですが、昨夏の甲子園で父親の母校が初戦勝利した際に、おめでとうと連絡しようとした瞬間にもういないことを思い返して涙。
当時の時代の影響もありますが、父親との思い出はほぼ野球しかないです。
そんな家庭も多かったんではないでしょうか。
僕らの世代が休み時間や放課後、家に帰ってからまた集まってとか、
日常的に空き地やお寺や神社の境内などで野球で友達と遊んでた最後の世代かもしれません。
5才下の弟の時には、もうそういう外遊び文化は廃れていましたから。
・・・何と言っても、その頃から急速にテレビゲーム→電子ゲーム→ファミコンの流れが押し寄せましたしね・・・。
スポーツといえば野球!の最後の頃の世代だと思っています。
周りには少しずつサッカー(キャプテン翼は大好きですよ)やバスケ(これは確実にスラムダンクの影響)をやり始める子が増えてきていました。
それでもまだ正直野球が格上で、実際私の周りもそうでした。
野球部が、陸上部の大会に出るなんて、当たり前(特にリレーや駅伝)。
バスケの練習試合の相手に野球部がなるなんてこともありました。(そしてルールは体育で習ったぐらいしか知らないけど、個人技だけで野球部が勝ってしまう。←中学生の話です。これはうちのバスケ部が弱かっただけだと思いますが。)
やったことないけど、テニスでテニス部の補欠には勝つ(体育の時)。
やったことないけど、剣道で剣道部の補欠には勝つ(同じく体育の時)。
でも、卓球とバドミントンはかなわなかった思い出が・・・。
運動神経の塊(言い換えると脳筋軍団)は、野球部から。
ついでに、うちの中学には体育祭で部活動対抗リレーなるものがありました。(結構メジャーな競技ですよね?)
真面目にやる部活と、ふざける部活がはっきりと分かれる、ギャグ要素の強い種目。
ふざけ倒して、先生に怒られるのも野球部の伝統でしたね。
多分当時は今より魅力的だったんだろうと思う。
ニュースの1コーナーじゃなくて成立するんだからすごかった
プロ野球が生活の中心にあった感じかも
日本シリーズの西武は普段見慣れていないので、何となくラスボス感あったなぁ。しかも日本シリーズはデーゲーム多くて新鮮だった。巨人戦はナイターばかりだから。(札幌円山だけはデーゲームだった、あの吉村事故の試合とか)
懐かしいです!
ファミスタも面白かった。
サッカーでも下手すると代表戦すら放送なし。
そしてプロ野球でもセパの格差が凄かった。
巨人と阪神のいるセリーグの人気は凄くてもパリーグは殆どマイナー扱い。
ホークスやファイターズなんて弱小の代名詞的な扱いでしたからねぇ。
今では考えられない。
しかし、自分は恐らくKさんとほぼ同年代なのに野球をやったことないんですよ。
田舎の学校で只でさえ子供が少ないのに自分の学年は特に男子が少なくチームが組めなかったから。
一度くらい体験してみたかったなぁとオッサンになってから思います。
よく公園の広場で野球して遊んでました。
見知らぬ集団がきて『俺たちが野球やるから、
広場から出て行け』とか言われて、どっちの
集団が広場で野球するか決める為に、、、
その集団と【野球で試合して】決めました。
延長11回までいって、夕暮れになって
みんな解散しました。昭和55年生まれの41歳です。
そして風呂入ってるときはラジオで❗
私は、地元九州の内之倉選手がホークスにドラフト二位で入団したあたりから興味をもち、西武ライオンズから秋山選手がホークスにトレードできたあたりから、完全にホークスファンになりました。
じいちゃんがアンチ読売と言いながら読売新聞を読み、巨人が負けるのが観たいと毎日巨人戦を見る(笑)
外での遊びはグローブ持って公園で野球、今どきは絶対出来ないだろうな…。
そして私も親になり、そう言えば我が家に1度もグローブの存在は無いなぁ…。息子はキャッチボール出来るのかしら(汗)
(相撲、プロレスはあったけどプロスポーツでは無かった気がします。)
サッカーがプロ化してから、色々なスポーツがプロっていうものを意識したと思います。
まぁ、当時は野球の延長のせいで見たいものが見れなくて(録画失敗とか)野球無くなれって思っていましたがw
あとラジオも野球中継ばっかりでしたね。
当時パリーグはTV放送無かったので西武ファンの親父がラジオよく聞いてました。
中畑やクロマティはさすがに現役の姿を見たことないですが、篠塚以下はよく知っています。
小学2年生のときにJリーグが始まり、私もそれから今に至るまでずっとサッカーを続けていますが、テレビで観るのは専ら野球でしたね。
なんならテレビのドラゴンボール世代ど真ん中であるにもかかわらず、一切興味を持たずに野球を観てました笑
月曜日だけはプロ野球中継がないのでチャンネル権を放棄していましたが、弟がドラえもんを観たいと言っても妹がセーラームーンを観たいと言っても絶対に譲らずに毎日のように巨人戦を観ていました。
ちなみに当時は大のアンチ巨人で、常に相手チームを応援していました。
今は野球大好き人間ですけど、昔はアニメやバラエティを見たかった(そういやアニメをゴールデンでやってるのも今となっては昔あるあるですね)
親父は巨人ファンで、うちは地方なのでもちろん地上波は巨人戦ばかりで。
他のテレビみたいのになぁて時はありましたけど、上原が先発の時は「よっしゃ!」と思ってました。テンポが早くてすぐ終わるのでテレビ権が回ってくるw
こっちにテレビ権がある時も親父はcmの時に野球に変えて、チャンスやピンチの時は元の番組になかなか戻してくれず「も〜っ!」ってなったのは思い出ですねw
毎日のようにね、プロ野球放送ありました。
それで、覚えたのが、8時54分に、【一部の地域を除いて、延長いたします】。という案内のあとで、延長されなかった時、『あ、うち、一部の地域だったんだ〜』。
今と違って、ビデオ録画も、新聞のテレビ欄見ながら、
時間指定予約していました。
小学校低学年(3,4年)に、サッカー部に所属しながら、
学校から一旦、家に戻って、みんなで野球道具持って、野球で遊んだ後にサッカー部の練習に参加していました。
サッカーのスパイク履いて、サッカーの恰好して、サッカーボールとグローブとバット持って。。。
今考えると、とてもおかしいけど、普通でしたね。
うちの小学校は、人数少なかったから、
ソフトボールとサッカー部だったけど、人数足りないからって、お互いの部に補完してたり。。。
なんてことも、あったりしました。
当時の野球は「地上波」で「ゴールデン」で【放送時間を最低一時間ぐらい延長】して放送してた。
そのせいでみんな野球以外の番組録画予約が時間がズレてできなくなったり、最悪一番組丸々潰れたりしてた。
一番大きな影響としては日曜日にフジテレビ系列のヤクルトの日本シリーズをダウンタウンのごっつええ感じを差し替えて放送した事で松本激怒。
その後二週ぐらいは総集編で繋いだものの、結局番組打ち切りにまで発展した。
野球人気は凄かったけど、それと互角の勝負をするぐらいに他コンテンツを望む人達から盛大に嫌われていた事もまた時代を正確に捉えるのに必要な事実。
(それは関東住まいだから?)
当時そこまで野球好きでなかったから好きなアニメやバラエティと被ってほしくないと
思ってましたね笑
たまに雨で試合中止、
通常通りドラゴンボール放送→見逃す
のような事があったような、なかったような笑
それ以来、試合会場をチェックする様になったなぁ
東京ドーム以外は中止の可能性ありましたからね〜
少年野球はずっと補欠だったけど、ほぼ毎日の巨人戦を見ながら、
自然に巨人ファンになりました。83年の日本シリーズで手痛い敗北を喫してから
西武嫌いになりつつもパ・リーグにも興味を広げ、94年には大学生として
東京にいたのをいいことに、13時間半並んで第7戦のチケットを手に入れました。
まあ、4連敗で紙切れにさせられ、悔しくて払い戻しもせず、今でも持っています。
あと、85年の阪神は、敵ながら(阪神ファン込みで)ヤバかった。
ブライアントのいた近鉄といい、黄金期の西武をねじ伏せることが出来たのは、
後にやっとリベンジを果たしてくれた長嶋巨人を除けば、
ああいう訳のわからんパワーをもったチームだったと思います。
そして、そういった感想を、今とはケタ違いの人数が共有していたのが、
毎日ナイター時代の凄さなのではないでしょうか!?
ファミスタのデータを元に、仮想最強チームや日本代表チームを
(まだWBCはおろか、オリンピックもアマチュアのみだった時代)、
授業中ノートの端っこに延々書き続けていた頃が懐かしいwww。
野球中継の延長は、みんなの「あるある」ネタですね。
で、「一部の地域を除き延長、の一部の地域ってどこだよ」のやつ(笑)
おおおっと、「一部の地域」の方登場…!!!
実在したんですね!!
ルールは勝手に覚えますよね、ホントに。
日本国民がみんな野球を見ていた時代ですな。
延長を見越して1時間長く録画予約(笑)
「今日は野球ないよな?」って思いながら新聞のラテ欄を見る。
昔は男の親子のコミュニケーションといえば
キャッチボールと相場は決まってましたね。
今年45歳のわしは、野球やってましたよ(笑)
エリートは野球にことごとく流れた時代だったかもしれません。
そのくらい当時の野球というのは凄い競技でした。
競技自体のレベルは確実に今のほうが上なんですけどね。
相撲でもサッカーでもNBAでも、色んな競技で言われることですね。
全員がルールを知っている前提で会話ができる競技って、いまはもうないかもしれませんね。
その後、サッカー番組も登場しますが、
やはり時間が経つと終わっちゃいましたね…。
ああ、西武は「普段は見ることが出来ないけど、一番強いチーム」って感じでしたね。
あるあるです!!!
選手名の普及は、ファミスタの影響はあるでしょうね。
サッカーでは圧倒的にウイイレ。
サッカーはJリーグが始まる前は全然でしたね。
そして、あの「セ・パ格差」。
イチローが現われるまでのパ・リーグの辛さらるや…。
おっと、同世代で野球をやってないとは、珍しい。
って、わしもチームなんてなかったですけどね。
ただ集まってやってただけで。
もちろんガチな奴は少年野球やってしたけど。
広場の取り合い、は田舎の恒例行事ですな。
まあ、ウチの周りは、取り合いが不要なくらい広場がありましたけど(笑)
現役組!!!
野球ファンの息の長さ!
いまや最強軍団の一角も、当時は弱小球団でしたね。
ファミスタでも「レールウェイズ」でまとめられて(笑)
ちょっとやってなきゃキャッチボールはできないですよね。
あの頃の常識はいまの非常識ってことで。
間違いなく流れを変えたのは、サッカーですね。
で、「世界までつながる」という点で、
サッカーが勝り、逆転現象が起き始める、と。
バスケがいまそれに続きたいと頑張っている最中ですな。
特に理由なく「アンチ巨人」は、あるあるです。
因みに、わしもそうでした(笑)
おお、上原。
巨人は好きじゃないのに、松井と上原は好きだったのは、わしです。
はい、10年名古屋に住んでいたKさんですよ(笑)。
中日戦は平気で全国ネットのゴールデンの番組をつぶすので、
ネット上で話題になっているシーンを名古屋人だけ見てないのも、あるある。
まあ、当時の野球は、いまでいう「スマホゲーム」くらいに
普段の遊びだったので、部活関係なくやりますよね。
はいはいはい、延長問題ですね。
ほかの方からもコメントたくさんもらってます。
わしは名古屋に10年いた際に、さらなる衝撃として、
「東海地区だけ、中日戦で全国ゴールデン番組がつぶれる」という
怪現象を目撃しましたね。
で、現地の人間はそれを分かってなかったという。
「え? 先週めちゃイケ休みだったでしょ?」とか。
※いや、そうなったのは東海地区だぞ、っていう。
いや、全国的に巨人戦は放送されてましたよ。
明らかに特別な存在でしたから。
ああ、その頃だと「西武×ヤクルト」のガチ勝負の思い出もありますねえ。
とにかく西武ってのは最強で、セ・リーグを制しても、最後に西武に負けるってのが王道のように見えた時代ですな。