本日は名選手コラムをお届けします。
以前の伊藤智仁に続き、再び野球選手です。
ここで我がブログとしては珍しく
トップ中のトップを取り上げたいと思います。
いや、やっぱり野球は人気だということを、
「背番号総選挙」にて日々体感しておりまして、
これを扱わない手はないだろうと。
※実際、伊藤のときもコメント多かったしね。
今日はこの人、
野茂英雄
でございます。
いやあ、もう説明するのが恥ずかしいくらいの
スーパースターですよね。なので説明については
割愛させていただきます(笑)。
で、今日は彼に関するわしの思い出なんぞを
つらつら語りたいと思っとるのですが、
わしにとって野茂英雄といえば、ふたつの衝撃が
印象として強く残っています。
1つは言うまでもない、MLBでの活躍、
もう1つは、1989年のドラフト会議です。
いずれも
「なんじゃこりゃ!!」「野茂、マジスゲー!」
な日でした。
ドラフト会議、なぜかすげー覚えてます。
リアルタイムで中継を見ていました。
1989年11月なので、当時のわしは小学6年生。
日曜の夕方、シチュエーションはまったく
覚えておりませんが、おそらくは父親の横で
テレビを見ていたのでしょう。
この年のドラフトはのちに「史上最も豊作」と
呼ばれることになるのですが、確かに面子を見ると
かなりエゲツないラインナップです。
パッと見渡して、誰でもわかる有名選手を
ピックアップしても、この陣容ですよ。
↓
野茂 英雄(今回の主役)
潮崎 哲也(魔球・シンカー + 超イケメン)
与田 剛 (当時日本最速のクローザー)
佐々岡真司(100勝100セーブ)
大森 剛 (元木が泣いたアレの巨人1位指名)
小宮山 悟(謎の魔球・シェイク)
佐々木主浩(御存知、大魔神)
元木大介 (クセモノ)
佐藤 和弘(パンチ佐藤として有名)
岩本 勉 (まいど!ガンちゃん)
古田 敦也(説明不要の名キャッチャー)
井上 一樹(名古屋人にはかなりのヒーロー)
吉岡 雄二(リアル野球盤・石橋JAPANでも有名)
石井 浩郎(サムライと呼ばれた男)
前田 智徳(天才)
新庄 剛志(現・BIG BOSS)
種田 仁 (必殺・ガニマタ打法)
入来 智 (兄のほう)
いやあ、凄い年ですねえ。
と、漫画「スラムダンク」や
某ブログに出てくる名前が多いですねえ(笑)。
はい、そういう年なんです、ここ。
が、
こんなもの凄い面子がそろっていながら、
野茂英雄はなんと8球団から1位指名されます。
上記の候補が揃っていながら、8球団ですよ。
もうメチャクチャ覚えています、
パンチョさんのコール。
「第一回選択希望選手、 〇〇(球団名)、
ノモ ヒデオ、 21歳、 投手、 新日鐵堺」
パンチョさんは1球団につき2回繰り返すので、
1巡目でこれを16回聞いたんですよ、我々。
テレビを見ながら「おいおいおいおい!!」です。
この人、どれだけ指名されるのよ、と。
小学生ながら、その凄さは分かります。
※余談ですが、翌年のドラフトでも小池秀郎が
8球団に指名され「またピッチャーでヒデオかよ」
と思ったのは、わしだけじゃないはず。
そして、プロ入り後はあのトルネード投法で
世間の話題を独り占め。まあ当時の小中学生が
あれをマネしないわけがありません(笑)。
そりゃわしも、やりまくりましたよ。
右投げなので、まんまマネできますからね
(そこが、のちのイチローのマネとの大きな違い)。
「え? Kさん、野球やってたの?」って?
いや、あの時代の子供たちはみんなやってたから。
野球部じゃなくてもグローブ持ってて、男はみんな
キャッチボールくらいできたんです(コチラ参照)。
はたして日本を代表する投手となった野茂は、
その後、MLBへ。
皆さんご存じの伝説を残していきます。
すんごいフィーバーでしたよね、あのころ。
スポーツニュースは、毎日「NOMO」。
笑っていいとものゲストも野茂の話。
そういや「♪ 野茂が投げれば大丈夫〜」の歌、
流行ったよなあ。
マッシー村上という存在はありますが、
でもやっぱり、野茂がパイオニアですよね。
歴史を変えましたよ。
MLBに「挑戦した」とか「出場した」とか
「通用した」とか、そんなレベルじゃない、
「活躍」、いや「大活躍」したんですから。
これまで勝手に設定されていた数々の常識、
もう木端微塵です、完全にぶち壊されました。
「日本の野球はレベルが低い」
「アメリカじゃ誰も通用しない」
みんながそう思っていた時代に、
野茂は奪三振ショーを披露したのですから。
まさに、扉を開いた男ですよね。
その後、中田英寿や錦織圭も新たな扉を開き、
いま八村塁も扉に手をかけています。
だから、わしにとって野茂英雄っていうのは、
野球だけでなく、「日本人が世界で勝つ」という
ロードの先駆者でもあるんです。
※奥寺康彦や三浦知良、松岡修造、田臥勇太ら
偉大なるアスリートは過去にもいましたが、
いまの「行くべくして世界で戦う」流れってのは、
この野茂英雄からスタートした気がするんですよ。
イチロー、松井秀喜、佐々木主浩、松坂大輔、
ダルビッシュ有、そして大谷翔平と、
メジャーリーグで大活躍の日本人はいまでこそ
数多く存在しますが、
すべては野茂から始まった、
これは間違いないのではないでしょうか。
そして、あのフィーバーが四半世紀以上前だと
ふと冷静に思い、わしも年をとったもんだと
しみじみしながら、今日はこのへんで。
ではでは。
----
カッコええなあ。「日本人もやれる!」
まさに、常識を変えた男の奪三振ショー。
↓
ついでに、伝説的な1989年ドラフト会議。
野茂、野茂、野茂です…!!!
↓
----

![]() |
嗚呼、スポーツ名選手/野茂英雄 へのコメント一覧
野茂は三振か四球かという感じでしたね(笑)
型にはまらないタイプなので、結果的に時代背景も良かったですね。
それまでファミスタシリーズのピッチングフォームには、
左右とオーバー/サイド/アンダーしかなかたっところを、
「おも」専用にトルネード投法を再現しててビビりました!
1イニング3四球&3三振というマッチポンプ投球も懐かしい。
仰木監督から鈴木監督に代わってから何か球団とおかしくなっていった感じでしたね。自由契約でなく任意引退、団野村、ドジャース移籍、オールスター、ノーヒッター、色んなこと思い出しました。
正に今の時代を作ったパイオニアという名がふさわしいですが、仰木さんが続けていたらメジャー移籍はなかったかもと思うと、何だか不思議な感じです。
ドクターKやっべがったっすもんね。
あれも、こっでらんにがったっすもん。
仰木監督との信頼関係が、さらに野茂を野茂にしたんでしょうね。
何か、上手く表現できませんが…。
伊藤といい、懐かしいなー。
本当にこの頃の、野球、よがったなー。(今の野球が駄目なわけじゃないですよ。)
メジャーに挑戦したころ小学五年生くらいで、所属してたソフトボール部のチーム名がドジャースをもじった名前に変更になったくらいでした。ホントに大活躍でしたね。
近鉄時代の野茂と西武時代の清原との力勝負も痺れた。
191球 ←まぁわかる
16与四球 ←はっ?
歌になった稀有な野球選手
て曲ですね。
大丈夫〜のところが「皆三振」が強いです。2番の歌詞?なのかな。
ドラフトメンバーのクセが強い!!
191球のうち、ボール球106球も追加で
佐々木は一つしかない。
田中は年代が違いすぎ
わしは野茂以外だと、サンチェのマネしてました(笑)
その極端さがイイ!
星飛雄馬の消える魔球と共に特別扱いですな
運命的な何かがあるんでしょうねえ
おー、「ドクターK」の異名、懐かしい!
色んなところで影響与えてますねえ
そうですね、言われ方は様々ながらも。
野球に限らず、競技って、なにかと洗練される手前のほうが個性が光りやすい面もありますからね。
その数字、リーグ屈指ですから。
たしかに、値するかも!
何度も聴いた歌でした
「笑っていいとも」で清水圭さんがこの歌を紹介したときは「皆三振」でしたね。
それもまた味で。
2個目の佐々木は消しましたー
おお、歴史の証人!!!
当初間違えて2回書いていたのです。
大変申し訳ありませんでした。
ここで木村政彦!?