今朝のWBC準決勝の熱い試合を経て、
こうなりゃ今日はトコトン野球の記事で
攻めてやろうと決めた男、編集者・Kでっす!!
そんなわけで「スポーツ名選手」、
福留孝介を取り上げさせていただきます。
なぜ、福留かって?
そりゃ、今朝の試合で村上が復活したからですよ。
はい、
皆さん、どういうことかは説明不要ですよね。
野球に明るくないわしでも分かるこのハナシ、
皆さんなら無問題で一発理解でしょう。
ていうか、なんなら村上は今大会の序盤の頃から
「福留枠」「生き返れ枠」とか言われてましたから。
あれは2006年の記念すべき第一回WBC、
準決勝の韓国戦にて、起死回生のホームランを
打ったのは、不振にあえぎスタメン外だった男、
代打・福留だったんですよね。
ご存知名、あのときの名実況、
「生き返れ、福留」からの「生き返ったぞ、福留」。
あれは興奮しました。クソ興奮しました。
当時、まだブログ歴1年にも満たないケツの青い
ブロガーだった編集者・Kも、このはしゃぎよう。
↓
※いまとは随分違う、なんか尖りたい盛りの
ムカつくブロガーの文章(恥ずかしい…!!)。
これ、本当の本当に嬉しかったんですよね。
だって、
福留さんって、わしの学年のスターだから。
彼は1977年4月生まれ、
そう、わしと同じ学年なのです。
3年前に実施した「年度別ドリームチーム」の
企画でも77年度のメンバーに入っています。
※あの「生き返れ」のインパクトが強いせいか、
やっぱり6thマン(切り札)としての登録だね
↓
わしの世代を代表するアスリートですよ。
あ、因みに同じ中日ドラゴンズだった荒木雅博や
ソフトバンクの斎藤和巳なんかもこの学年で、
サッカーだと柳沢敦や三都主アレサンドロらも。
別に知り合いでも友達でも何でもないんだけど、
同じ学年って思うと、ちょっと親近感わくというか、
応援したくなっちゃうじゃないですか。
ん?
ちょっと待った。
「知り合い」だなんてことは決して言えないけど、
わし、名古屋の編集部時代に、若き日の福留さんを
取材したことあったぞ、そういえば。
あれは2002年か2003年あたりだったかな。
わし、取材で福留さんと会話したことがあって、
そのときにも「ワタシ、福留さんと同じ学年で〜」
なんていうハナシをしたんだったわ。
まだ25歳くらいの時ですね。わしも福留さんも。
なんか友達みたいな雰囲気で喋ってくれたのを
よく覚えています。すげえイイ人でした。
それがまさか、2022年まで現役を続ける
レジェンドプレイヤーになるとは。
去年よ、去年。
わしはもう肩コリだの腰痛だの片頭痛だの
なんだかんだで体中ガタガタなのに(苦笑)。
ホント凄い人だよなあ、福留さん。
そして、
福留さんが引退した年に最年少三冠王に輝いた
村上選手は、あのときの福留さんのように、
今日生き返りました。
あのサヨナラ打のときに、17年前の福留さんの
姿を思い出した方も多いのではないでしょうか。
まだ23歳、よくぞこの重圧を跳ね返したものです。
これから10年・20年と活躍して、福留さんのように
長く永くそのプレイを披露してもらいたいもの。
生き返れ枠の元祖、福留孝介。
文句なく、野球史に残る名選手でしょう。
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いやあ、サイコーにカッコよかったなあ、
このときの福留孝介!!
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嗚呼、スポーツ名選手/福留孝介 へのコメント一覧
ベストイレブンものにはあまり出てこないが、走攻守・アベレージとパワーの総合力は相当に高い選手でした。
あの生き返れのシーンは本当に村上と被りますね!
村上のサヨナラタイムリーは、大谷が先頭打者でツーベースを打ち、両手を突き上げ鼓舞。
チームの鼓舞が、福留や村上の復活に繋がったと思います。
否定できない!!
そうだったかもしれないですねえ。
でも、ドラゴンズの歴史には確実に残ってますよ。
歴史は繰り返されました!
こういう巡り合わせを紐解くの大好きです。
えてしてこういうモノなんですよねえ。