Kの部屋 - 格闘技系
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編集者・Kが「スポーツ」「漫画」「テレビゲーム」などなどを大いに語っております。
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嗚呼、名チーム/全日本プロレス テリー・ゴディ&スティーブ・ウィリアムス組
https://knoheya.blog.jp/archives/52039255.html
どーも!!!そろそろバスケ以外の話もせねばというモードの男、編集者・Kでっす!!※しかし、ホントにバスケ日本代表のことで頭がいっぱいだったなあ(最高だったぜ)で、そういや最近、やけにプロレス関連の本を読んでる気がするなあ、と思い。いやあ、なんか読んじゃうん...
jungle123
2023-09-14T12:26:35+09:00
格闘技系
そろそろバスケ以外の話もせねばという
モードの男、編集者・Kでっす!!
※しかし、ホントにバスケ日本代表のことで
頭がいっぱいだったなあ(最高だったぜ)
で、
そういや最近、やけにプロレス関連の本を
読んでる気がするなあ、と思い。
いやあ、なんか読んじゃうんですよねえ。
kindleアンリミテッドにケッコーあるし。
こないだ「シン・日本プロレス」読破しました。
UWFの歴史は、誰視点で振り返るかによって、
色んな出来事の解釈が変わってくるから面白い。
「シン・日本プロレス」は前田日明でしたが、
佐山や高田の視点とはまた違いましたね。
てことで、わしに再びプロレス熱が来てるので、
今日はプロレスのハナシをしようかと。
あ、UWFじゃないんだけど(どないやねん)。
いや、名チームのコラムでUWFはないでしょ、
あれは個人戦だったから。
名チームコラムってのはこれです。
いろんな「チーム」をわしなりに語っております。
↓
今日は、全日本プロレスを中心に一時代を築いた、
「殺人魚雷コンビ」こと、
テリー・ゴディ&スティーブ・ウィリアムスです。
「殺人医師」ことウィリアムスと
「人間魚雷」ことゴディで、「殺人魚雷」ね。
※なんとも恐ろしい名前だこと
このふたりは、文句無しに強かったですねえ。
憎らしいほどに強かったと思います。
ていうか、憎らしかった。
※わしは、三沢&川田が大好きだったから
全日本プロレスでは、ハンセン&ブロディや
ハンセン&ベイダーなど、スーパータッグが
他にもありますが、「タッグチーム」としての
印象だと、このふたりは最高峰なんじゃないかと。
なんか「凄い二人が組んだ」っていうだけじゃなく
タッグだからこそさらに生きる二人というかさ。
ゴディもウィリアムスも、個人としてハンセンを
上回ったかというと、そうじゃない気がするけど、
タッグは本当に凄かったから。
・90年にコンビ結成
・世界王座初挑戦で「ハンセン&天龍」を撃破
・その年の世界最強タッグリーグで優勝
・翌年の世界最強タッグリーグも優勝
90年&91年の世界最強タッグ決定リーグ戦の
連覇の時なんて、なんか強すぎたせいで、
別にヒールのポジションなわけじゃないのに、
えらい腹が立ったもんなあ。
北の湖ばりに、「強すぎて嫌われていた」
存在だったかもしれませんぜ。
あの91年の世界最強タッグリーグ、
「勝った方が優勝」となった最終戦のカードが、
殺人魚雷コンビ vs 三沢&川田だったんだよね。
こんなん、みんな三沢&川田を応援するじゃん。
それがやっぱり負けちゃってさ、
「ああ、もう勝てねえよ、チキショウ!」ってさ。
※あの試合は、三沢がなんかダメだったなあ。
川田の方が孤軍奮闘してた感じだった
ホント、憎らしかった。
何も悪いことしてないのに(笑)。
※彼らは反則もしないし、ダーティなファイトも
ほとんどないです。ただただ「強い」んです。
で、決定的に「このタッグは強い」となったのが、
米国マット「WCW」(懐かしい…!)で実現した、
スタイナーブラザーズとの一戦じゃないかな。
殺人魚雷コンビは、上述の通り全日本プロレスの
最強コンビだったわけですが、新日本に目を移すと
その座にいたのは、スタイナーブラザーズだった
気がするんですよね。
あ、ベイダー&ビガロってのもあったけど、
コンビと言えば、やっぱりスタイナーでしょう。
スタイナーブラザーズは、全日本における
殺人魚雷コンビほどの参加頻度じゃないけど、
新日で無敵の強さを誇っていたと思うので。
※そうそう、当時、馳にぶちかました
「スタイナースクリュードライバー」の衝撃は
忘れようにも忘れられん(ありゃヤバいわ)。
米国で実現した、この両チームの戦いは
「世界最強決定戦」的な試合だったと思うんです。
そして、新日vs全日のニオイもあるという。
ある意味、猪木×馬場であり、三沢×武藤だった
気もしますよ。そういう対決だったんです。
これ、殺人魚雷コンビが勝ったからね。
わし、雑誌でそれを知った瞬間、
思わずガッツポーズですよ。
ゴリッゴリの全日派だったので、この頂上決戦は
どうしてもゴディ&ウィリアムスに勝ってほしいと
思ってたんですよね。
一方で「これ、どっちかが勝っちゃっていいの?」
と、勝手に心配もした、中学生時代のわし(笑)。
いや、引き分けにしそうじゃん、アレコレ絡んで。
それが、「うわ、片方が勝っちゃっていいのかよ」
っていう驚き。
ケッコーなニュースだったんで、たしか当時の
新日の放送でも、解説者が「あっちのリングで、
ゴディ&ウィリアムスがスタイナーに勝った」って
言ってた気がするもん。
おお、新日の放送内でゴディ&ウィリアムスの名を
聞くことになるとは! と、これまた驚き。
どちらもシングルプレイヤーとして三冠王者に
輝いてますし、特にゴディが戦線離脱した後の
ウィリアムスは、「殺人バックドロップ」で
猛威を奮ってくれましたが、
※こんな感じでね(もうサムネがヤベエ…!)
↓
いやはや、でもタッグでしょう。
ゴディ&ウィリアムスはタッグでしょう。
あのスタイナーブラザーズをも破って
世界の頂点に立った、スーパーコンビ。
シングルでも強いけど、ふたりで組むと、
1+1が3にも4にもなる、そんなデュオでした。
もうふたりとも故人なんですよね。
ああ、プロレス面白いなあ。
また何か書こ。古いやつを(笑)。
てな感じで、今日はこのへんで。
ではでは。
--
日テレのチャンネルに動画があったので
貼っておきますね(三沢&川田じゃないけど)。
↓
--]]>
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嗚呼、名勝負(37) 全日本プロレス 92.5.25アジアタッグ選手権/小橋・菊地 × カンナム・エキスプレス
https://knoheya.blog.jp/archives/52038492.html
どーも!!!今日は久々の「名勝負」コラムでございます。これ更新するの、4か月ぶりですね。※こんな感じで、わしなりの観点でいろいろ語らせてもらっております。↓
今回は、全日本プロレスで行きましょう。あ、何度かこのブログでも述べておりますが、わし、全日派だった...
jungle123
2023-07-27T12:04:21+09:00
格闘技系
今日は久々の「名勝負」コラムでございます。
これ更新するの、4か月ぶりですね。
※こんな感じで、わしなりの観点で
いろいろ語らせてもらっております。
↓
今回は、全日本プロレスで行きましょう。
あ、何度かこのブログでも述べておりますが、
わし、全日派だったんですよ。わしの年代では
マイノリティになるのかな。
そして、若い読者の皆様、すみません。
かなり古いやつをピックアップしちゃいます。
1992年、いまから30年以上前の試合です。
でも、是非観ていただきたい。
今日の一戦は、わしが観たバトルのなかで、
「最も会場の一体感が凄かった試合」なんですよ。
いや、公式動画があったので貼っておきますが、
これ観たら、ビックリすると思いますよ。
昔のプロレスってこんな雰囲気だったの? って。
そのくらいの超熱気。凄まじい「うねり」。
一見の価値ありの試合なんです。
てことで、こちら。
↓
※この「日テレプロレス中継アーカイ部」って
かなり神ってません? なぜ登録者がこんなに
少ないのか不思議になるくらいなんですが。
んじゃ、試合のハナシ。
ときは、1992年5月25日、
場所は、今は亡き宮城県スポーツセンター。
全日本プロレスの中堅タイトル的な存在、
アジアタッグ選手権の試合です。
このアジアタッグって、他団体には類似例がない
絶妙なポジショニングのベルトなんですよね。
団体最高タイトルである世界タッグ選手権の
手前の登竜門的位置付けで、日本の若手選手や
中堅外国人選手が凌ぎを削るタイトルって感じ。
トップ戦線でスポットライトを浴びる前の選手に
こういうベルトがあるのって面白いですよね。
この日のカードは、
王者が、「カンナム・エキスプレス」こと
ダグ・ファーナス&ダニー・クロファット。
挑戦者が、小橋健太&菊地毅。
はい、あの小橋です。
のちに「絶対王者」と呼ばれ、団体の枠を超えて
業界全体を代表するレスラーとなる小橋ですが、
このときはまだ25歳。
若手のホープとして、前述のアジアタッグという
中堅タイトルに挑戦していた頃です。
んで、相手の「カンナム・エキスプレス」がまた
素晴らしい存在感。
ハンセンやゴディのようなスーパーヘビーの
外国人と比べると一段落ちるのですが、
このアジアタッグ戦線で無類の強さを誇り、
若手日本人選手の大きな壁だったんですよ。
実力はもちろんのこと、場慣れしてるんで、
いい感じに憎たらしい、っていうね(笑)。
※役割をキッチリ果たしてたよなあ、ホント。
さて、
この日の会場の仙台は、菊地の故郷。
まだタイトルには無縁の菊地にとっては、
地元で初戴冠のチャンスということで、
会場も物凄い熱気になってたんですよね。
実況は福澤“ジャストミート”朗さん。
噂によると、彼の実況の思い出のなかでも
この試合はトップの熱気だったとか。
30年前です。
プロレスという競技に対する視線は
今とは随分違うと思います。
なんというか「いろいろ分かる前」ですよ。
そこにエンタメ性が散りばめられていることは
分かっていながらも、何もかもが明らかには
なっていなくて、今の興奮とは違う雰囲気で、
客がエキサイトしていた頃ですね。
あ、
でも猪木や長州・藤波、馬場や鶴田・天龍の頃とも
ちょっと違うと思います。
あの頃のピュアな見方はもうなくなってるけど
でもいい感じの緊張と興奮があった感じ。
そんな中で行われた当時のアジアタッグ選手権。
説明したとおり中堅レスラーや若手の舞台なので、
鶴田・三沢・ハンセンのようなレベルのバトルでは
ないです、正直言って。
どこか粗さがあって、ガムシャラさがあって、
でも王者のカンナムは貫禄があって。
ただ、それはそれで魅力がある。
トップレベルではないからこその面白さがある。
小橋はここから急加速的に成長していくので、
トップ戦線でない彼のファイトって、このへんが
ラストなんですよね。そういう意味でも貴重です。
※この翌年、小橋は世界タッグ王者になるので。
この試合は、内容も抜群でしたよ。
序盤から菊地がボコスコにやられるのですが、
耐えに耐えて、何とか小橋にタッチ。
その小橋も王者の連係の前にピンチに陥るものの、
復活した菊地に助けられ形勢逆転。
最後は小橋のムーンサルトでフィニッシュ。
観る側にとってサイコーの展開だったと言えます。
ホント、信じられない盛り上がりだったよなあ。
「あの試合、また観てみたいなあ」と思ってたら
ちょうど日テレのチャンネルに上がっていたと。
で、記事化ってことで。
てなわけで、
久々の名勝負コラムでした。
ではでは。
---
この試合、知ってた人いるかなあ。
全日ファンにとってはわりと伝説的な一戦ですよ。
↓
あ、そうそう。小橋&菊地はコンビの時のみの
入場テーマがあるんですが、それも発見しました。
これは嬉しいなあ。
↓
----]]>
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編集者・K的ランキング/バックドロップの名手ベスト10
https://knoheya.blog.jp/archives/52034553.html
どーも!!!スポーツ大好き、漫画大好き、ゲーム大好き、いろいろ大好き、編集者・Kでっす!尚、スポーツのなかでは、バスケ、サッカー、そして格闘技が特に大好きで、当然ながらプロレスも大好きでっす!!そんなわけで、今日のランキングはプロレスから。こんなのいかがで...
jungle123
2023-04-11T12:05:01+09:00
格闘技系
スポーツ大好き、漫画大好き、ゲーム大好き、
いろいろ大好き、編集者・Kでっす!
尚、スポーツのなかでは、バスケ、サッカー、
そして格闘技が特に大好きで、当然ながら
プロレスも大好きでっす!!
そんなわけで、
今日のランキングはプロレスから。
こんなのいかがでしょう、
「誰のバックドロップが一番好きか」。
言うまでもなく、バックドロップといえば、
プロレスを代表する技です。
※上記の通り、「いらすとや」のなかにも
そのまんまのイラストがありまして(笑)。
これを使わない選手はほとんどいないのですが、
「名手」というと何人かに絞られてきますよね。
わしが選ぶので、どうしてもやや古い選手に
なっちまう気がしますが、まあ聞いてくださいよ。
で、
この技の評価基準って、美しさからエグさまで
色々あるのですが、
わし的には、ふんわりした表現でゴメンですが、
「何度でも見たくなる」っていうのをポイントに
させてもらおうかなと。
いいバックドロップって、そうじゃないですか。
YouTubeなんかで不意に出会ったとき、
何度も何度も見ちゃうじゃないですか。
そんな感じで選んでいきますね。
さあ、プロレスファンのそこのアナタ、
アナタの選ぶ名手と一致するか否か、はたして?
ベスト10で行きましょう!
第10位:
森嶋猛
全日やNOAHで活躍した森嶋。
今日のランキングでは一番最近の選手です
(ごめん、一番最近でも森嶋なんだわ:笑)。
彼のバックドロップは、分かりやすく「危険」
でしたねえ。形としては「横抱え」タイプで、
大きな体を生かした落差がポイント。
※因みに「横抱え式バックドロップ」は、
前述のいらすとやの画がいい見本。
かなりの名手だと思いますが、
「何度も見たいか」というと、意外とそうでもない。
なぜだろう?
第9位:
マサ斎藤
ご存知、マサさん。
プロレスラーって、基本ファンからは呼び捨てに
されるけど、この人は「マサさん」ですよね。
※さん付けでいうと、「馬場さん」と二大巨頭か?
マサさんのは、捻りが効いたタイプで
相当にエグイですよね。
多分だけど、時代が違えばもっとヤバイ角度で
やってた気がするんだよなあ。昔のプロレスは
平成以降よりも、ややマイルドだったから。
第8位:
ダイナマイト・キッド
くりぃむしちゅーの有田さんが
「史上最高の外国人レスラーかもしれない」と
ラジオで言っていた、ダイナマイト・キッド。
初代タイガーマスクとの数々の名勝負は
プロレス史に残るハイレベルなものでしたが、
彼のバックドロップもまた凄かったですよね。
落差でいえば、ベスト3に入るかも。
ただ、この人のは片手を相手の股に差し込む
タイプの投げ方なんですよ。これがわし的に
ちょっと減点(何を偉そうに…)。
やっぱり両手を腰に回すタイプが好きだなあ。
第7位:
高田延彦
意外かもしれませんが、実はこの人も名手です。
わし的に「横抱え式」のバックドロップといえば
実はこの人だったり。ファイプロでも、ちゃんと
この人のは横抱えになってた気がするし。
落差や角度ではそこまで激しいものはないかも
しれませんが、いわゆるU系でありながらも、
あんなに上手だなんてね。
武藤戦でもいいのを決めてましたよ。
第6位:
馳浩
いまは政治家のイメージかもしれませんが、
現役時代は相当な名勝負製造機でした。
馳の試合にハズレはまずない、というね。
で、
馳といえば、ノーザンライトスープレックスと
裏投げがフェイバリット・ホールドになると
思いますが、実はバックドロップも非常に美しい。
馳はブリッジがメチャクチャ奇麗なので、
バックドロップも画になるんですよ。
新日の三銃士周辺世代では一番の使い手カモ?
第5位:
スティーブ・ウィリアムス
人によっては、この人が1位かもしれませんね。
確かに「エグさ」という点でなら、わし的にも
この人を1位にするかも。
誰が呼んだか「殺人バックドロップ」。
その角度たるやまさに「真っ逆さま」「垂直落下」。
小橋に放った三連発は伝説ですよね。
それは、受けた小橋も含めて。
※あ、そういう記事を書きましたね、以前。
↓もうサムネの時点でクソヤバイわ、コレ(笑)
ただ、ちょっと大味なんですよねえ。
美しさまで加味すると、5位くらいになっちゃう。
第4位:
後藤達俊
この人は名手として有名ですよね。
一時期は、新日のなかで最も怖いバックドロップの
使い手だったかもしれません。
個人的には、この人と同じバックドロップなのが
今回のランク10位・森嶋だと思ってます。
横捻り式で凄くよく似ているなと。
この人、馳浩の心臓を一度止めちゃったという
本当にヤバイ一発を持ってますからねえ。
第3位:
長州力
ご存知、昭和→平成を代表するトップレスラー。
彼の必殺技といえば、リキ・ラリアットと
サソリ固めが、代名詞的な存在ですが、
バックドロップの名手としても非常に有名。
あのUインターとの全面戦争の時も
安生洋二に美しい一発を決めていますよね。
長州のバックドロップはよく「ぶっこ抜き」と
表現されます。低い体勢から真上に持ち上げて
真っ逆さまに落とす様は、まさにその通り。
長州自身の背はさほど高くないですが、
落差は史上屈指のものがありますよ。
第2位:
川田利明
通称「デンジャラス・K」。
その異名の通り、彼の技はことごとく「危険」。
ブレーンバスターもパワーボムも何もかも
垂直落下で、恐ろしいパターンばかり。
そして、デンジャラス・Kのバックドロップは
やはりデンジャラスです。
「四天王プロレス」と呼ばれた、あの時代の
全日本のファイトは危険な技の応酬が見ものと
なっていましたが、その象徴といえるのが、
川田のバックドロップだったと思うんですよね。
新日本のリングに立った時は、一撃必殺レベルに
なってましたからね。
三沢の影に隠れがちでしたが、実は川田って
メチャクチャ器用で運動神経よくて、変なハナシ、
たぶん三沢に出来ることって、だいたい川田も
出来たんじゃないかなと、そう思ってます。
そんな川田は、ブリッジも非常に美しい。
うん、バックドロップも、美しさでいえば、
もしかしたら彼が史上ナンバーワンかも。
第1位:
ジャンボ鶴田
まあ、予想はついていたかと思いますが、
やはりバックドロップといえば、この人です。
色んなオリジナルホールドが開発された
昭和後期~平成初期のプロレスにおいて、
オーソドックスなバックドロップを必殺技に
していたのは、逆に新鮮。
彼独特の技というのは、ほとんどなくて
(強いて言えば、ジャンピング・ニーパットかな)、
誰もが使う技を駆使しながら、その体の大きさと
圧倒的身体能力から醸しだす説得力で、すべてを
「必殺技」にしちゃったというね。
美しさも高さもエグさも、何かもが凄かった。
いま見ても「うわ、やべえ」と思いますし、
「うお、メチャきれい」と思いますし、
つまりは「何度でも見たくなる」のですよ。
あ、そういや冒頭のマサ斎藤のところで、
「昔のプロレスは平成以降よりも、ややマイルド」
なんて書きましたが、鶴田のバックドロップは
例外だったかな。
結構古い映像も入ってますが見てくださいよ。
コレですよコレ。三沢戦とかシャレにならんす。
↓
以上、
わし的なバックドロップのランキングでした。
なんだかんだで、1位は普通の結果でしたな。
まあ10人中8~9人が1位はジャンボ鶴田というと
思いますので、このランキング。
んじゃ今日はこのへんで。
ではでは。
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嗚呼、名勝負(35) PRIDEグランプリ2000 桜庭和志×ホイス・グレイシー
https://knoheya.blog.jp/archives/52030076.html
どーも!!!「ブレイキングダウンが大好き!」と言いつつ、そもそもはゴリッゴリ本格派の格闘技ファン、編集者・Kでっす!!※これまで色々記事を書かせてもらってますが、かつてのPRIDEから、K-1、プロレス、大相撲までわりと満遍なく大好きであります。↓
そんなわけで、この...
jungle123
2023-03-03T19:00:34+09:00
格闘技系
「ブレイキングダウンが大好き!」と言いつつ、
そもそもはゴリッゴリ本格派の格闘技ファン、
編集者・Kでっす!!
※これまで色々記事を書かせてもらってますが、
かつてのPRIDEから、K-1、プロレス、大相撲まで
わりと満遍なく大好きであります。
↓
そんなわけで、この「名勝負コラム」でも
格闘技の試合はちょいちょい取り上げさせて
もらっているのですが、今日は久々にPRIDEから
名勝負を一丁振り返らせてもらおうかと。
いや、これはもう、名勝負っていうか、
「過去最高の一戦」になるかもしれんね。
桜庭和志 × ホイス・グレイシー
の一戦です。
いやあ、これはホントに伝説ですし、
感動ですし、サイコーでしょう。
※ダメだ、凄すぎたせいで、気の利いた表現が
出てこない、語彙がなくなっとる(笑)。
日本のプロレスラーが完璧にグレイシーに勝った、
という、本当に格闘技界の分岐点になったような
勝負だったと思います。
ときは西暦2000年、舞台はPRIDEグランプリ、
これは、手前のストーリーから全部含めて
もの凄い日になったんですよね。
20年以上前です。
「総合格闘技」の世界は、いまとは取り巻く環境が
まったく違いました。黎明期も黎明期ですよ。
当時、「総合格闘技」の技術は、まだいまのように
確立されていません。ルールはほとんど同じですが、
「総合格闘技の戦い方」というのは、なかったと
言ってしまってもよいと思います。
じゃあみんな、どうやって戦っていたか。
柔道や空手、レスリング、キックボクシングなど、
各々が「元々やっていた競技」の技術のうえに、
総合格闘技(対策)のエッセンスを加えることで、
この舞台に立っていたのです。
そう、そこでやっていたのは「異種格闘技戦」、
柔道×レスリング、キックボクシング×柔術、
ストリートファイト×空手、のように色んな競技が
まさにその「プライド」を賭けてぶつかり合う、
PRIDEって、そんな舞台だったんですよ。
だからみんな戦い方が違いましたよ。
いまのようなMMAファイターの像はまだなく、
なんなら「スト2」や「KOF」のような世界。
様々な格闘家が個性をもって戦っていましたね。
そんなわけで、たとえば「小川×佐竹」なんかは、
このふたりはどっちが強い? という視点と共に、
「柔道と空手、どっちが強い?」みたいに言われた
ものでした。
もうバックボーンの競技そのものを背負わされる
という、とんでもない重圧。
そして、プロレスです。
やっぱり知名度は抜群に高いのですよ。
空手やレスリングの選手をテレビや一般雑誌で
見ることはあまりありませんが、プロレスラーは
有名じゃないですか。
そのぶん昔からのファンも突出して多いですし、
「プロレスラーは強いのだ」という幻想だって
みんなが持っています。
「どうせ八百長、ヤラセ」みたいに言われてきた
プロレスラーが「こういうルールで戦ったって
本当に強い」というのを披露してほしいんです。
長い方は20年・30年もファンですから。
世間から馬鹿にされていたプロレスラーが
正当に評価される日を待っていたのですよ。
が、
プロレスラー、全然勝てません。
負け続ける中、世間から声が飛び始めます。
「ほら見ろ、プロレスは弱いんだよ」
「所詮はショーだったんだよ」
これがもうファン的には悔しくて仕方がない。
反比例的に「強い」と評価を得たのが、
柔術を武器とするグレイシー一族でした。
当時、日本のファンから「アルティメット大会」と
呼ばれていたUFCで、大男たちを極めて締めて
葬り続けた一族は一躍名を馳せることに。
その後「自分たちこそ最強」とプロレスラーが、
グレイシー一族に何度も挑んでいくのですが、
これがまた、ことごとく敗れ去ってしまいます。
そりゃまあ、ジャーマンスープレックスとか
卍固めとかムーンサルトプレスが、あのなかで
決まるこたぁないとは思っていましたが、
とはいえ、みんなあのルールでもちゃんと強いと
思っていたのに、こんなに勝てないとは…。
「プロレスは終わった」
そんな空気に包まれようとしていたなか、
ひとりの救世主が現れます。
UWFの血を引き継ぐ男、桜庭和志。
彼はプロレスラーです。
「プロレスのリングにも立つ格闘家」じゃなく
プロレス団体に所属してきたプロレスラーです。
武藤×高田でお馴染み、新日本×Uインターの
興業にも出ていますからね。
当時、Uインターの後継団体所属の桜庭和志は、
日本で行われたヴァーリ・トゥードの大会で
優勝を果たして脚光を浴びると、PRIDEでも
並みいる強豪を倒し続け、日本のエースのような
存在にまで駆け上がります。
なかでも彼がUFC-JAPANを制したときの
「プロレスラーは本当は強いんです」は、
もう名言中の名言でしょう。
全てのファンが、マジのガチで涙しました。
これを言ってほしかったんです。
完全にプロレス界の救世主となった彼は、
ついにグレイシー一族との勝負の舞台にまで
たどり着くことになります。
まずはホイラー・グレイシーでした。
この試合は桜庭が圧倒的に勝ったのですが、
決着が「レフェリーストップ」だったため、
一族はまったく敗北を認めようとしません。
「いやいやいや、桜庭の完勝だろうが!」
日本中のファンが怒り沸騰です。
何が無敗の一族だよ、認めねえだけなのかよ。
そして迎えた、PRIDEグランプリ。
1回戦を勝利した桜庭は、2回戦へ。
そこで待っていたのは、1回戦で高田延彦を破った
ホイス・グレイシーでした。
一族はホイラーがレフェリーストップで敗れたのが
よほど納得いかなかったのでしょう。
この桜庭との一戦について、超イレギュラーな
「15分無制限ラウンド」というルールを要求します。
自分たちの有利な土俵に桜庭を誘い込む作戦です。
「そうじゃなきゃ出場を辞退する」とまで。
再び日本中のファンが怒り沸騰ですよ。
憎きグレイシー、プロレスの敵・グレイシー、
ここでそんな我儘まで言い始めるのか、と。
はたして、
舞台は完全に整いました。
入場は、まさかのストロングマシン。
しかもマスク3人で登場しつまり、マシン軍団。
これまた「自分はプロレスラーだ」という
メッセージ性を感じるじゃないですか。
東京ドームの満員の観客が、全員桜庭を押します。
あの「うねり」は本当に凄かった。
映像でも伝わってくる「死んでも勝て」の熱気。
一方で、怖いのも事実。
ホイス・グレイシーが負けるところなんて、
見たことがないのですから。
当時のグレイシーの印象といえば、
「捕まったら負ける」
「上に乗っても、下から極められる」
「寝ころんだら逃げられない」
格闘技ファンは、欧米の大男がグレイシーに
締め落とされるのを何度も見てきました。
高田延彦もヒクソンに2度やられました。
死んでも勝ってほしい、
でも、怖すぎるホイス・グレイシー。
そんなうねりの中で行われた試合は
「桜庭劇場」でした。
なんなんでしょう。
あの「捕まったら負ける」と思われていた
グレイシー一族を相手に、もはやお祭りですよ。
のちに「サクラバ・ロック」として世界的に
有名になる腕関節技を披露する桜庭。
そこから、試合中にニヤリと笑う桜庭。
真剣勝負でモンゴリアンチョップを放つ桜庭。
コーナーでホイスの道着を脱がし始める桜庭。
通称「恥ずかし固め」で相手を転がし、
誰も考えたことのない形からパンチを落とす桜庭。
そして、
ホイスの作戦を完封し、あのグレイシー一族を、
「もう出来ることがない」状態に追い込んだ桜庭。
終わりなき戦いの様相を呈していた
15分無制限ラウンドの、「ラウンド6」。
エプロンサイドのホリオンが白いタオルを
持っている画が場内のモニタに映った瞬間は、
世界の格闘技史上に残るハイライトでしょう。
※わしの先輩はあの日ドームにいたのですが、
「あの瞬間の歓声はマジでヤバかった」とのこと。
90分近く戦った末のあのシーン。
ついに、
ついに、あのホイス・グレイシーが墜ちる。
しかも、日本人プロレスラ―・桜庭和志によって。
その後、ラウンド6後のインターバルで、
グレイシーサイドがタオルを投入し、
この90分の激闘に終止符が打たれます。
※「レフェリーストップ無し」を要求したのは
グレイシー側なので、自ら負けを認める以外に
試合を終わらせる方法がなかった、という。
伝説の夜でした。
総合格闘技は日々進化していますので、
技術的な面であの試合を上回る勝負はいくつも
あると思うのですが、
ことストーリー性においては、やはりいまでも
ナンバーワンに挙げられるのではないでしょうか。
桜庭×ホイス、
名勝負中の名勝負です。
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「名勝負」系あとがき/武藤敬司×高田延彦
https://knoheya.blog.jp/archives/52033016.html
おはようございます。今朝は一本、「昔の記事のあとがき」を。先日、武藤敬司の引退記事を書きつつ、「そういや、あの試合のことも書いたな」とあとから思い出しましてね。↓
読んでいただくとわかりますが、実は当時のわしは、Uインターを応援していた、というまさかの展開(...
jungle123
2023-02-26T08:00:03+09:00
格闘技系
今朝は一本、「昔の記事のあとがき」を。
先日、武藤敬司の引退記事を書きつつ、
「そういや、あの試合のことも書いたな」と
あとから思い出しましてね。
↓
読んでいただくとわかりますが、
実は当時のわしは、Uインターを応援していた、
というまさかの展開(笑)。
なんというか、年をとらないと、プロレスを
真に味わうことはできないのかもしれないなあ。
ま、気が向いたら読んでくださいな。
ではでは。
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嗚呼、スポーツ名選手/武藤敬司
https://knoheya.blog.jp/archives/52032973.html
どーも!!スポーツ大好き、バスケ大好き、サッカー大好き、格闘技大好き、そして、プロレス大好き、編集者・Kでっす!!今日は名選手コラムの更新なのですが、いまは、やはりこの人でしょう、2023年2月21日に、壮大なドラマと共に引退した、プロレスの天才、ミスタープロレス...
jungle123
2023-02-24T18:39:21+09:00
格闘技系
スポーツ大好き、
バスケ大好き、サッカー大好き、格闘技大好き、
そして、プロレス大好き、編集者・Kでっす!!
今日は名選手コラムの更新なのですが、
いまは、やはりこの人でしょう、
2023年2月21日に、壮大なドラマと共に引退した、
プロレスの天才、ミスタープロレス、
プロレスリング・マスター、武藤敬司です。
最高のプロレスラーでした。
力道山時代、
猪木・馬場時代、
格闘頂点(鶴田・藤波・長州・天龍)時代と続いた
日本のプロレスの歴史ですが、
現在45歳のわしに思い切りど真ん中なのは、
やはり、三銃士&四天王時代です。
武藤、蝶野、橋本、三沢、川田、田上、小橋
(もうふたりがこの世にはいないんだね…)。
小中高、いや大学までわしを直撃したこの時代、
双璧は、言うまでもなく三沢と武藤。
三沢光晴はある日伝説になってしまいましたが、
武藤敬司はちゃんと引退してくれました。
いろいろ語りつくされたレスラーだと思いますが、
わし、武藤については「だから、天才」だと
思うポイントがひとつあって、そんなハナシを。
プロレスといえば、数々の「技 (特に必殺技) 」が
大きな特徴であり、ファンの楽しみですよね。
その「技」ですが、
サブミッションと打撃(ラリアット含む)を除くと、
幾つかのパターンに分類できると思っていて、
さらに「いかにもプロレス」な必殺技ってのは、
極端に思い切りザックリと分けてしまうと、
・持ち上げて落とす
・後方に放り投げる
の2種類だよなあ、なんて考えてたんですよね。
前者の代表例は、パイルドライバーやパワーボム、
後者の代表例は、バックドロップやジャーマン。
で、そこにオリジナリティを加えることで、
様々な必殺技が生み出されてきたんだ、と。
三沢はタイガードライバーを生み出しましたが、
これの原型になるのはパワーボムでしょう。
藤波のドラゴンスープレックスも、クラッチの
仕方がオリジナルではありつつ、やはり原型は
ジャーマンスープレックスだろうと。
パワーボムとジャーマン、ってことはつまり、
ルー・テーズとカール・ゴッチですよ。
※テーズにはバックドロップもありますが。
原型はやはり伝説のふたりになる、と。
持ち上げて落とす、後方に投げる、の派生は、
いっぱいありますよ。
ライガーボム、タイガースープレックス、裏投げ、
エクスプロイダー、喉輪落とし、垂直落下式DDT、
バーニングハンマー… etc.
この2パターンに当てはまらないのが出たら、
それは「発明」だと思うんです。
わしが初めて「新しいパターン」だと思ったのは、
フランケンシュタイナーでした。あの技は、
持ち上げて落とすでも、後方に投げるでもない、
そう、発明だったのだ、と。
※誰が作ったんだろう? スコット・スタイナー?
わしは、ダグ・ファーナスのが好きだったけど。
で、その後、
新たな発明にはなかなか出会えなかったんです。
※あ、番外編で「キン肉バスター」という
発明があるけど、それはまた別のハナシ(笑)。
絶えず進化していくプロレスの世界、
色んな技が生み出されていくんだけど、やっぱり、
持ち上げて落とすか、後方に投げるか、なんです。
上記の例のようにね。
また、スター選手もやはり年はとるわけで、
色々難しさが出てくる面もあったでしょう。
特に後方に投げる系は、ブリッジが効かなくなると
美しさが半減してしまいます。
ベテランになった藤波がドラゴンスープレックスを
披露する機会はなかったですし、三沢も晩年は、
投げ捨て式しかやらなくなりました。
持ち上げる系も、三沢は最終的にかなりシンプルな
形にしたんですよね。エメラルド・フロウジョンは
ベテランでもイケるやり方だったんだと思います。
さて、武藤敬司です。
なかなか体にも無理が生じるようになったなか、
彼は、持ち上げるでもなく、投げるでもない技を、
生み出しました。
シャイニング・ウィザードです。
凄まじい発明だったと思います。
プロレス技には、もう既存技の派生しかないと
思っていたら、こんな手が残っていたとは。
年をとった武藤でも出来る形だったんですよね。
それでいて何とも類似しないオリジナル。
そのうえで、美しい。
フランケンシュタイナーの次に現れた、
まったく新しい必殺技だったんじゃないかな。
その後、このシャイニング・ウィザードから
派生技がたくさん生まれたのはご存知の通り。
ほぼまんまといえるシャイニング・ケンカキック、
ボマイェ、カミゴェ、などなど。
ということは、武藤は原型を創ったということ。
こんなもん、問答無用の天才でしょう。
武藤の強さやカッコよさは、いろんなところで
語られていると思いますが、この発明のハナシって
意外と聞いたことなかったんで、
わしが一丁勝手に唱えてやろうかと(笑)。
いや、もう天才の中の天才ですよ。
プロレスリング・マスター、その通りですよ。
カッコよすぎたわ、武藤敬司。
美しすぎたわ、武藤敬司。
武藤さん、ありがとうございました。
そして、お疲れさまでした。
最後に、ふと思いました。
プロレスを好きでよかった、と。
以上、
名選手コラム、武藤敬司でした。
---
最高だろ、この入場。
↓
この武藤×蝶野の幕開け、クソヤベエな。
曲が「FANTASTIC CITY」なのが尚ヤベエ。
↓
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テンションの上がる曲27/武藤敬司のテーマ「HOLD OUT」(鈴木修)
https://knoheya.blog.jp/archives/52031504.html
どーも!!!今日は久々の「テンション上がる曲」です!!先日、武藤敬司の引退試合の相手が決まったということで、彼のテーマ曲でいきましょう。※昨日、内藤哲也戦が決定↓で、武藤の曲といえば、カッチョイイのが幾つもあるのですが、やっぱりこれでしょう。『HOLD OUT』...
jungle123
2023-01-22T17:13:06+09:00
格闘技系
今日は久々の「テンション上がる曲」です!!
先日、武藤敬司の引退試合の相手が決まったと
いうことで、彼のテーマ曲でいきましょう。
※昨日、内藤哲也戦が決定
↓
で、武藤の曲といえば、カッチョイイのが
幾つもあるのですが、やっぱりこれでしょう。
『HOLD OUT』でございます。
死ぬほどカッコイイ曲ですよね。
作曲は、鈴木修さん。
以前、小橋建太のテーマの際にもお伝えしましたが
この方、プロレス入場テーマのなかで「名曲」と
されるものを幾つも生み出した偉大な方です。
↓
上記の記事にも書きましたが、氏の曲の共通点は
「選手のコールがしやすい」ことだと思います。
この「HOLD OUT」も小橋の「GRAND SWORD」も
橋本の「爆勝宣言」も全部そう。
聴けば、一斉に選手のコールがスタート、
あの一体感はプロレスの醍醐味の一つじゃないかと。
※そういえば、やっとスポーツ会場も歓声OKに
なってきましたね。嬉しいことです。
この曲を聴くと、最も身体能力に長けていたころの
武藤の姿を思い出しますよね。
あの、ロープを掴んで宙返りからリングインする、
オレンジ色のパンツの武藤の姿を。
「ラウンディング・ボディプレス」とも呼ばれた
飛距離の長いムーンサルトプレスを。
フランケンシュタイナーを、
スペース・ローリング・エルボーを、
フラッシング・エルボーを。
※あ、ドラゴンスクリューは思い出しません。
あれは「TRIUMPH」の武藤のイメージ。
188cmの巨体であの動き、本当に凄い選手ですよ。
プロレスラーの身長って、何かとアレコレと
言われたりしますが、武藤が本当にデカいのは
ケッコー有名なハナシですよね。
三沢光晴と武藤敬司は、何かと比較される
ふたりですが、飛んだり跳ねたりの華麗さでは
やはり武藤に軍配が上がるのではないでしょうか。
※三沢も体操経験者だけにハンパないけどさ
そんな彼もついに引退です。
史上最高のプロレスラーのひとりに数えられる
(というか、筆頭候補)男がリングを去ります。
猪木馬場から、格闘頂点(鶴藤長天)の時代、
そして三銃士&四天王の時代と繋がった
プロレスの歴史に、ひとつの区切りですね。
入場曲がたくさんある武藤敬司、
引退試合はどの曲で入場するのか分からないけど、
興業のタイトルが
「プロレス ”ラスト” LOVE~HOLD OUT~」だから
やっぱりこの「HOLD OUT」になるのかなあ。
だったら嬉しいなあ。
以上、テンション上がる曲でした。
====
いやあ、カッコいい!!!!
↓
====]]>
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嗚呼、名勝負(34) K-1 World GP 1998 決勝 アーツ×フグ
https://knoheya.blog.jp/archives/52027812.html
どーも!!!バスケ大好き、サッカー大好き、プロレス大好き、漫画大好き、ゲーム大好き、そして、格闘技大好き、編集者・Kでっす!というわけで、ワールドカップが盛り上がる中、今日は格闘技のワールドGPのハナシを。「名勝負」コラム、いきましょう。このコラム、ここしばらく...
jungle123
2022-11-25T12:10:56+09:00
格闘技系
バスケ大好き、サッカー大好き、プロレス大好き、
漫画大好き、ゲーム大好き、
そして、格闘技大好き、編集者・Kでっす!
というわけで、ワールドカップが盛り上がる中、
今日は格闘技のワールドGPのハナシを。
「名勝負」コラム、いきましょう。
このコラム、ここしばらく格闘技から離れていた
気がするので、今日はK-1からピックアップです。
1998年のワールドGP決勝、
ピーター・アーツ×アンディ・フグ
これは、いい大会でしたねえ。
試合はもちろん素晴らしかったし、
その後のエンディングも感動的だったし、
かなりパーフェクトな興行だったと思いますよ。
んで、まだちょっと粗削りでね。
それはそれで味があってよかったんですよね。
現代格闘技って、総合・打撃、いずれにおいても
どんどん洗練されていって、戦いの「型」が
かなり整ってきてるじゃないですか。
言うなれば、
みんなが同じスタイルになりつつある。
これは格闘技に限らず、バスケなんかもそうで、
みんなトータルな技術を持ち始めてますよね。
いまはスリーを撃たない選手なんてほぼいないし、
逆に小柄な選手もポストプレイが上手いし。
昔は違いましたから。シュートに特化した選手、
インサイドに特化した選手ってのがいたんです。
時代を経て選手像は大きく変わりました。
で、総合格闘技でいえば、
打撃はほとんどなくて寝業のみっていう選手は
もう見当たらないと思いますし、逆パターンで、
打撃は強いが寝たらアウト、みたいなのもいない。
昔は上記のタイプがウジャウジャいました。
これは、打撃系格闘技も同じかな。
昔はキックはあまり得意じゃなくてパンチばかりの
選手とか、そもそも全体的に技術があまりなくて
ただ剛腕なだけ、みたいなのもいたわけですよ。
それらを混ぜ混ぜした感じが面白かったんです。
総合ならば、「柔術家×キックボクサー」とかさ、
「空手家×レスラー」とかさ、そういう競技同士の
ぶつかり合いにロマンがあった。もちろん中心に
「プロレスラー」ってのがいてね。
打撃も同じです。
「K-1のKは、空手、キックボクシング、功夫など
頭に“K”がつく競技のこと」と言ってまして、
それらがひとつのリングに集うのが魅力でした。
今回取り上げる98年はまだそういう時代です
K-1のリングには、キックボクサーがいれば、
空手家もいて、ボクサーやムエタイ選手もいる。
彼らが、わりとそのスタイルを引きずりながら
戦っていた時代だったと思うんです。
まだ「K-1ファイター」という像がしっかりと
確立されてなくて、分野分野のトップ選手が
その競技をも背負いながら戦ってた感じかな。
で、
この決勝ですよ。
空手家であるアンディ・フグと、
キックボクサーであるピーター・アーツ。
いいですよね、競技軸でも争いがあって。
ふたりともえらい人気がありました。
アーツは「20世紀最強のキックボクサー」と呼ばれ
その盤石の強さで人気を誇っていました。
一方のフグは、強さはもちろん当然のことながら
何かとストーリー的に熱い展開が多い男で
その生きざま自体でも支持を集めていました。
※んでまた、日本発祥の「空手」の選手だしさ。
K-1グランプリは、93年に第1回大会が行われて
いまして、歴代優勝者は下記の通り。
※カッコ内が準優勝選手
93年…ブランコ・シカティック (ホースト)
94年…ピーター・アーツ (佐竹)
95年…ピーター・アーツ (バンナ)
96年…アンディ・フグ (ベルナルド)
97年…アーネスト・ホースト (フグ)
この98年大会は、
既に2度優勝しているアーツが久々に決勝に進み
前々回、前回のファイナリストであるフグと
戦うという構図だったわけですね。
これは最高のカードのひとつだったと思いますよ。
アーツはかつての絶対的な強さを取り戻したい、
フグは前回準優勝の雪辱を晴らして返り咲きたい、
お互いに燃えるものがありましたからね。
はたして勝者は、
かつて最強の名を欲しいままにしていた
キックボクサーなのか、
それともファイナルに連続で進出している
いま最もいい状態にある空手家なのか。
前者でした。
20世紀最強のキックボクサー、完全復活。
この大会のアーツは強すぎました。
なんと8人で争うファイナルラウンドの3試合、
すべて1ラウンドKO。この決勝のフグ戦すら、
よもやの1ラウンドKO。
観客席も実況席も「強い!! 強すぎる!!」
と、唸るしかない結末。
んでまた最後の左ハイの音が凄かった。
カタカナで書くと『ガポッ!!!!』という感じ。
なんともいえない打撃音。
もう入った瞬間「終わった」と思いました。
あれは、K-1決勝戦史上に残る劇的なKOだったと
思いますね。ヘタしたら一番かも?
アーツは3度目の優勝を果たし、
「20世紀最強」の異名を取り戻したのでした。
その後、決勝後の優勝セレモニーの場では、
ご存じ「第九」が場内に流れたんですけど、
これがまた、最強王者・アーツを称える瞬間に
絶妙にマッチしてたんですよね。
なんか妙に感動的だったよなあ。
ゲストの長嶋一茂さんも「格闘技のセレモニーと
第九がこんなに合うとは」って驚いてた気が。
そんなわけで、
わしが「決勝戦史上最高のKO劇」のひとつだと
思っている、あの日のファイナル、ご覧あれ。
聴いてよ、この音。
入った瞬間「終わった」と確信するでしょ?
↓
以上、
古き良き時代のK-1の名勝負でした。
ではでは。
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その他名勝負のバックナンバーはこちらから
野球・サッカー・バスケ・相撲・プロレス、
はてまたアイススケートまで色々ありますよ。
↓
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嗚呼、スポーツ名選手/アントニオ猪木
https://knoheya.blog.jp/archives/52027791.html
どーも!!プロレス大好きっ子、編集者・Kでっす!!30歳くらいまでいわゆる「プヲタ」でした!!※ああ、小中学生時代は後ろ指を指されたものよ(プロレスってそういうジャンルだったからね)。で、今日は明るくこの人のことを語ります。燃える闘魂・アントニオ猪木です。そりゃ...
jungle123
2022-10-14T12:00:43+09:00
格闘技系
プロレス大好きっ子、編集者・Kでっす!!
30歳くらいまでいわゆる「プヲタ」でした!!
※ああ、小中学生時代は後ろ指を指されたものよ
(プロレスってそういうジャンルだったからね)。
で、
今日は明るくこの人のことを語ります。
燃える闘魂・アントニオ猪木です。
そりゃあの日はケッコー沈んじゃいましたけど、
でも闘魂ですから、しんみりしてもしょうがない。
明るく行きましょうや。
言ってましたよ、本人も。
「道はどんなに険しくとも、笑いながら歩こうぜ」
ってさ。
猪木ファンにとって、猪木がこの世を去るなんて
まさに「険しい」ことだけどさ、でも猪木が
言うんだから、笑ってなきゃいけないでしょう。
ということで、
先日は引退後の「猪木さん」を少し語りましたが、
今日は、プロレスラー「アントニオ猪木」について
語らせていただこうと。
ハッキリ言って、大好きでした。
アントニオ猪木といえば、当時のプロレス界の
最大のスターですよ(当時っていうか、ずっとか)。
もちろんジャイアント馬場さんも有名だったけど、
派手さでは猪木さんの方がやっぱり上でした。
知名度は間違いなく日本一だったでしょう。
日本に猪木を知らない人はいなかったでしょう。
でも、当時のわしって、そのアントニオ猪木を
「一番好き」と言うのにちょっと抵抗あったんです。
なんつーか「結局そこかよ」みたいなのが嫌で。
プロレスファンならもうちょい渋いトコ突けよ、
みたいな風に思われそうな気がしてね。
ファンだからこそ猪木が好きって、言えなかった。
が、実はものすっごい好きでした(笑)。
やっぱりどんなマッチメイクだったとしても
猪木を応援してたもん(口には出さないけど)。
大人のファンは違った気がするんですよね。
例えばわしの父親などは「猪木が負けるところ」を
わりと期待してた方だった気がします。
長州が猪木に勝ったときとか、ウチの父親は
「おお、やった!」って、喜んでましたから。
会場も、猪木×長州なら応援は真っ二つでしたね。
猪木を倒せと祈るファンはたくさんいたわけです。
わしは違いました。
猪木が負けると悔しかった。
猪木にはいつも勝ってほしかった。
で、後から聞くと、あの頃まだ少年だった世代
(つまりわし世代)は、猪木が一番好きだったと
いう人間が多いみたいなんですよね。
大人は全員が全員猪木ファンじゃなかった模様。
少年はかなりの確率で猪木ファンだった模様。
※あくまでもわし調べですよ。
あの感覚、何かに似てると思っていたのですが、
最近分かったんですよね。
ウルトラマンや仮面ライダーに似てるんですよ。
うん、特にウルトラマンかな。
あのヒーローが負けるところを見たい子供は
まあ普通に考えて、いないじゃないですか。
それと同じだったんですよね、アントニオ猪木。
よくよく考えてみたら、ホントにそうで、
当時の生放送の新日本プロレスのリングにおいて、
猪木っていうのは、最後の試合(メイン)に現れ、
何度も何度もピンチに陥りながら、最後の最後に
必殺技で相手を倒すんです。
そう、まるでウルトラマンがスペシウム光線で
怪獣をやっつけるかのごとく。
延髄斬り、卍固め、それで決着ですよ。
これまたウルトラマンっぽいよなあ。
ウルトラマンって、スペシウム光線と八つ裂き光輪
以外にこれといった「必殺技」はないじゃない?
猪木もね、意外とそうだったんですよ。
必殺技といえば、延髄斬りと卍固めのふたつ。
あとは、パンチだキックだスープレックスだと
アレコレあれど、それは他の選手も頻繁に使う技で
「これぞ猪木」なのは、延髄斬りと卍固めくらい。
※さらに言うと、その延髄斬りと卍固めですら、
他にも使い手がいたし(藤波とか天龍とか)。
でもね、それで十分だったんです。
だって、その「誰でもやる技」だって
猪木がやると、なんか違いましたもん。
ただのパンチが「ナックルアロー」でっせ。
いや、そもそも反則だし。
ただのスリーパーが「魔性のスリーパー」でっせ。
いや、あれもチョークで反則だし。
ただのローキックが「アリキック」でっせ。
いや、これは素晴らしい発明だった。
何もかもが芸術的に美しかったと思います。
パンチ一発がカッコいい。キックで会場が沸く。
弓矢固めとか、インディアンデスロックとか
腕殺しとかフライング・二―ドロップとか、
なんかもう、そのビジュアルがたまらん。
一個一個の形がいちいち美しかったのは、
マイケル・ジョーダンに通ずるものがあったかも。
いやあ、そうか。それだったんだなあ。
ウルトラマンと重なるって、
もうこれ以上のヒーローはいないんじゃないか。
ゴールデンタイムに新日本プロレスが生中継で
放送されていた頃、わしは幼稚園~小学校低学年
という、ゴリッゴリの子供でした。
あのときのアントニオ猪木はウルトラマンのような
存在だったんだと思います。
そしてなにより、
強さ、美しさ、カッコよさ、面白さ、
猪木はいろんな面で素晴らしかったけど、
わしは「いつも観客を興奮させたこと」こそが
アントニオ猪木の素晴らしさだったと思うなあ。
それはまるで、遊園地やデパートの屋上に
ヒーローショーとしてウルトラマンがやってきた
ときのような。
それを大人に対してもやっていたという凄さ。
ん?
つまり大人にとってもウルトラマンだったのか?
アントニオ猪木、おそるべし。
以上、稀代のスーパーヒーロー、
アントニオ猪木のハナシでした。
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新日本プロレスの公式動画より。
見てよ、この熱狂。
※まあ、この試合は負けるんだけど。
↓
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テンションの上がる曲26/アントニオ猪木のテーマ「炎のファイター ~INOKI BOM-BA-YE~」
https://knoheya.blog.jp/archives/52027490.html
皆さんこんばんは、今日はこの曲を紹介させていただきます。タイトルを見れば、誰の曲か一発で分かり、そして日本人ならみんな聴いたことあるだろう、「INOKI BOM-BA-YE」であります。2022年10月1日、アントニオ猪木が、この世を去ってしまいました。かなり厳しい状態なのは、...
jungle123
2022-10-01T22:48:05+09:00
格闘技系
今日はこの曲を紹介させていただきます。
タイトルを見れば、誰の曲か一発で分かり、
そして日本人ならみんな聴いたことあるだろう、
「INOKI BOM-BA-YE」であります。
2022年10月1日、
アントニオ猪木が、
この世を去ってしまいました。
かなり厳しい状態なのは、もちろん分かってたし
24時間テレビのときも「ああ…」ってなったけど
猪木をもってしても、勝てなかったか…。
現役時の「アントニオ猪木」については、
また今度どこかで書くとして、
今日はある程度若い世代も認識あるであろう、
引退後の「猪木さん」のハナシを少々。
さて、皆さんにとって、猪木さんって、
どんな存在ですか? どんな印象ですか?
強い
カッコいい
おもしろい
まあ、さまざまな感想があると思うのですが、
わしにとっての猪木さんって、
なんというか「ありがたい」んですよね。
どう説明したもんか、なかなか難しいのですが、
ええっと例えば、景色の中に富士山が見えたら、
嬉しくなりますよね。普段の景色でも旅行中でも
何でもいいのですが、見えたら嬉しいじゃん。
あれに近いんですよね、猪木さんって。
猪木さんがテレビに映ると「わぁ~」です。
わしは若い頃、格闘技&プロレスの会場に
よく足を運びましたが、猪木さんが現われたら
もうなんか「御来光」の気分ですよ。
んでまた、大変ありがたいことに、
かつて仕事を一緒にしたことあるんですよね。
20年前だから、猪木さんが老若男女問わず
最も有名だった時かもしれませんね。
様々なテレビ番組やイベントに
スペシャルゲストとして登場し、
「元気ですかーーーー!!!」と叫び
そこに居る人全員にビンタをかまし(笑)、
「1・2・3・ダーーー!!!!!」で帰る、
この一連のパッケージで、何もかも成立してた頃。
※実際、どこに現れてもこれしかやらない(笑)
で、
その猪木さんが登場する時の曲が、まさにこれ、
「イノキ・ボンバイエ」なわけですね。
※下記に動画添付したのは、現役時のじゃなくて
アレンジされたバージョンかな。
この曲をわしが初めて聴いたのは
(その認識があるのは)おそらく幼稚園の頃。
新日本プロレスが「生」で毎週放送されてた
まさに黄金期(実況が古舘さんの頃ね)。
猪木さんは必ずメインイベントで登場するので
この曲を必然的にほぼ毎週聴くことに。
で、
ガキの頃のわしは、曲名も歌詞も知らないので
「イノキ・ガンバレ」と言ってると思ってた。
でも「ゴンバレ」って聴こえる、とも思ってた。
それが「ボンバイエ」だってことは、随分後に
なってから知りました。
当時はやっぱり「入場曲」のイメージ、
でも引退後の猪木さんの思い出の中では、
「テーマ曲」とか「主題歌」のイメージかな。
テレビ番組でもイベントでも、この曲がかかると、
絶対みんなテンション上がるじゃん。
で、全員笑顔になるじゃん。
なんつーか、この時だけは色んなイヤなことが
全部どうでもよくなるような、それくらいの威力。
あれが素晴らしいと思うんです。
だから、わしにとっては「ありがたい」んです。
毎日「元気ですか」と問いかけるこの人に
ホントに元気をもらった人、なんだかんだで
めちゃくちゃ沢山いると思うんですよね。
わしは知り合いでも何でもないけど、
ただのイチファンだけど、
本当に感謝だなあ。
なので、今夜はこの曲で。
ありがとう、
さようなら、アントニオ猪木。
----
日本一有名な入場曲だろうなあ。
↓
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嗚呼、スポーツ名選手/ブアカーオ・ポー.プラムック
https://knoheya.blog.jp/archives/52027032.html
どーも!!ここ数日、やや動きが鈍っている編集者・K、本日は「スポーツ名選手」をお届けです。※更新止まってる、やべえ、やべえと思ってたら、ちょっと前に書き溜めていたやつがあったこんな感じで、わしなりに色んな名選手を紹介させてもらっております。↓
ここしばらくは...
jungle123
2022-09-29T19:01:00+09:00
格闘技系
ここ数日、やや動きが鈍っている編集者・K、
本日は「スポーツ名選手」をお届けです。
※更新止まってる、やべえ、やべえと思ってたら、
ちょっと前に書き溜めていたやつがあった
こんな感じで、わしなりに色んな名選手を
紹介させてもらっております。
↓
ここしばらくは球技の選手が多かったので
今日は格闘家でいきましょう。
先日、格闘技界隈で話題になったあの試合から
この選手をピックアップさせていただきます。
ムエタイのレジェンド、
ブアカーオ・ポー.プラムックです。
いまから約1か月前、
タイ・ラジャダムナンスタジアムにて、
ひとりの若き日本人キックボクサーが、
このレジェンドに挑み、そして敗れました。
御存知、三浦カズの次男・三浦孝太です。
試合後「入場の時、リング上がりたくないと
正直、思ってしまいました」と当時の心境を
吐露していましたが、察するにブアカーオは
とんでもないオーラを発していたのでしょう。
このブアカーオが、日本で認知度を高めたのは
2004年からだったですかね。
魔裟斗を中心にグイグイと存在感を高めていた
K-1中量級の舞台で、まあ恐ろしいまでの強さを
披露してくれました。
特に序盤はかなり衝撃的でしたよね。
よくぞ、ムエタイの世界から入ってきて、
肘撃ちのないK-1ルールに早々に慣れたものだ。
初出場で、いきなり優勝だったからねえ。
絶対的な存在だった魔裟斗を倒して。
※因みにそこから3年連続で決勝進出してて、
うち2回は優勝を果たしています
超絶バチバチに殴って蹴ってそのまま勝つという
なんか格闘ゲームのキャラクターが現実の世界に
現われたかのような、戦いっぷり。
連発モードに入ったら、もうホントに凄いもんね。
格ゲーで、すげえ上手い人が、相手に休む間を
一切与えず攻め続けて追い詰めるときのような。
そう、まるでウメハラのバイソンのような
(いや、ボクサーじゃないから、技は違うよ)。
※ハナシ逸れるけど、ウメハラのバイソン大好き。
気になる方は是非Youtubeで検索してみて
お前は脛に痛神経が通っていないのか、と
問いたくなるような、キックの連打。
絶え間なく繰り出される攻撃の数々に、
「おおおーーーー!!!」
「おおおーーーーー!!!!」
「おおおおおおーーーーー!!!!!」
と、会場がどよめき続けるんですよ。
たぶん、みんな凄すぎて笑ってたと思う。
少なくともわしはテレビで彼の試合を見ながら、
笑ってしまっていた。いや、面白いとかじゃなく
なんかホントに凄すぎて。笑うしかない的な。
あの前蹴りが連続で出るときとか、
どうしようもないのよ。対処不能というか。
ちょっと気になって、戦績を確認したんだけど、
やっぱり判定のときは、ほとんどが「3-0」で
勝ってますね。
オフェンシブだったもんなあ。
メチャクチャ攻め込んでいた印象になるよなあ。
何度も見たい類の格闘家だと思いますよ。
わりと若い世代の方にもお馴染みかな?
見た目もカッコよくて、人気抜群だしね。
みんな大好きでしょ? ブアカーオ。
というわけで、
スポーツ名選手でした。
ではでは。
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練習も試合も画になる人だなあ。
↓
猛烈なラッシュはこっちの動画の方が
分かりやすいかも。何度見ても凄い。
↓
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スポーツの「もしも」/総合格闘技に、[全盛期の]ジャイアント馬場が参戦したら?
https://knoheya.blog.jp/archives/52027034.html
どーも!!!!スポーツ大好き、格闘技大好き、妄想大好き、編集者・Kでっす!そんなわけで、我がKの部屋では、スポーツにおける「もしも」なハナシをチョクチョク妄想させてもらっております。↓こんな感じで
こういうの大好きなんですよねえ。男のロマンじゃないですか、こ...
jungle123
2022-09-22T18:00:18+09:00
格闘技系
スポーツ大好き、格闘技大好き、
妄想大好き、編集者・Kでっす!
そんなわけで、我がKの部屋では、
スポーツにおける「もしも」なハナシを
チョクチョク妄想させてもらっております。
↓こんな感じで
こういうの大好きなんですよねえ。
男のロマンじゃないですか、こういうの。
で、
今回は前回の記事の続きのような話題です。
先日、こんな記事を書きました。
↓
わしはプロレスが大好きなので、プロレスラーが
総合格闘技で勝つのを見るのが何より嬉しくてね。
桜庭和志なんて、本当に救世主だし、
船木や藤田にもロマンをたっぷり感じました。
そんななか、プロレス界で「最強説」の根強い
ジャンボ鶴田はどうだい、みたいなハナシを
させてもらったのですが、同記事にて、
「本当はもうひとり凄いのがいるんだけど…」と
意味深な一言を残しておりました。
このとき、ジャンボ鶴田の何よりの魅力として
「体がデカイ」ということを挙げています。
「デカいほうが強い」ってのは、基本ですよね。
これはもう揺らぎません。デカいほうが有利です。
素材の時点で生じている絶対的な差なんです。
だからこそ格闘技には「階級」があるわけで。
※それがなきゃ、基本的にデカいほうが勝ちます。
特に裸の競技では尚更です(桜庭の本に書いてた)
で、
デカいって言ったら、この人じゃないですか。
ジャイアント馬場。
いや、この人でしょ。
これよりデカい日本人レスラー、いないじゃん。
209cmですよ。「東洋の巨人」ですよ。
デカい日本人の代名詞のような人ですよ。
ん?
おっと、聴こえる聴こえる。
「いや、デカいのは確かだけどさあ…」
「いや、馬場さんって…」
「いや、馬場さんのことは好きだけどさ…」
分かります。言いたいことは分かります。
いまアナタは、大ベテランとなって細い体で
十六文キックとチョップを繰り出す馬場さんを
思い出してますよね?
大きくて、動きが遅い馬場さんでしょ?
違うんです。
わしが言っているのは、この時の馬場さんです。
ちょうどイイ感じのところから再生になるので
さあ、スイッチオン。
↓
どうですか、この筋骨隆々の身体。
どうですか、それでいて、この動き。
アメリカのリングで暴れまわっていた頃の
その名も「ショーヘイ・ビッグ・ババ」。
調べたところ、209cm・145㎏だったそうな。
いや、身長・体重比でいったら、
シャキール・オニールよりゴツイやないかい。
相手のハンス・シュミットは193cmの
カナダ人レスラーなんですが、もはや小兵。
この馬場さんの、大きさたるや。
馬場さんは、アメリカでもっとも成功した
日本人プロレスラーと言われています。
武藤や中邑も、当時の馬場さんには敵わないと。
まあ、アメリカにいても、デカいんですから。
そりゃ存在感が違いすぎますよね。
で、もちろん動けますから。
デカいだけの人が巨人軍のピッチャーになんて
なれるわけないでしょうが。
※これは有名なのでみんな知ってますよね?
馬場さんはかつてプロ野球選手でした。
いやあ、ホントにこの時の馬場さんを
リアルタイムで見たかった。
ぜひともあの時の姿と能力で、2000年代の
総合格闘技のリングに現われて欲しい。
グラップラー刃牙のマウント斗羽が、
あながちファンタジーじゃなくなってくる。
ノゲイラ、ヒョードル、ミルコ、バーネット、
みんな見下ろすジャイアント馬場。
「デカすぎて卑怯」とか言われる馬場。
「ヘビー級より上の階級を作れ」とか
「馬場対策のハンデルールを考えろ」とか
そんなことを言われる馬場。
欧米の選手たちが「デカい奴に挑む」という
姿勢で日本人に向かってくるんですよ。
なんていう、妄想。
いやあ、でもホントに強かったんだろうなあ。
規格外だったんだろうなあ。
本当に昔からプロレス見てたおっさんは、
「馬場はマジで強かった」って言うもんなあ。
皆さん、どうです?
上記の動画見たら、考え方変わりません?
日本に、こんなに大きくて強い人がいたんです。
そしてきっと、これからまた現れますよ。
その日を待ちつつ、
これからも格闘技を楽しみましょうね。
ではでは。
---
その他の「もしも」はこちらから。
↓
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嗚呼、名勝負(32) 全日本プロレス 1992.8.22三冠ヘビー級選手権/三沢×ハンセン
https://knoheya.blog.jp/archives/52026312.html
どーも!!!!プロレス大好きっ子、編集者・K、先日の日記からコラムへ突っ走ります!このあいだ、夜な夜な書いたこの記事、30年前を思い出し、しみじみ書いたこの記事、
これをフックに、今日は「名勝負」シリーズの更新です。もちろん三沢とハンセンの三冠戦でございます。...
jungle123
2022-08-28T13:00:44+09:00
格闘技系
プロレス大好きっ子、編集者・K、
先日の日記からコラムへ突っ走ります!
このあいだ、夜な夜な書いたこの記事、
30年前を思い出し、しみじみ書いたこの記事、
これをフックに、
今日は「名勝負」シリーズの更新です。
もちろん三沢とハンセンの三冠戦でございます。
あ、初めて三沢が三冠を獲った試合ね
(他にも名勝負はいっぱいあるけどさ)。
ときは1992年の8月22日、
なんともう30年前のハナシになります。
※いやあ、これはマジで年を感じるわい。
当時のわしは中学生3年生。
猛烈な全日本プロレスファン。
全日の放送を録画したビデオテープを
クラスメイトに多少強引に貸しまくり、
いわゆる「布教活動」をしていた頃でしたね。
これがまあ、ハマりましてね。
わしの周囲に全日ファンが増殖したんですよ。
当時の認知度は圧倒的に「新日 > 全日」でした。
猪木や長州、武藤やライガーあたりの存在は
わりとみんな知ってるんですよね。
わしの地域では夕方にテレビでやってたし。
でも、全日となると馬場&鶴田くらいしか
知らないんですよ。
そこに放り込んでやったわけです、わしが。
「コッチも観てくれ、絶対に面白いから!」と。
で、全弾命中(笑)。
そして、みんなこうなるのです。
「三沢ってマジでサイコーだな!!」
「すげえカッコいいじゃん、三沢!!!」
そんな布教が進んだ中、迎えた三冠戦でした。
みんな全日を見始めて数か月なんですが、
この試合の重要性は分かっていました。
わしがビデオを見せまくり、セミナー的な回も
開きまくっていたので(笑)。
三冠ベルトの重み、三沢光晴への期待、
全日本プロレスのこれからのストーリー、
全部認識できていたんですよね。
もう放送前から「いよいよ今週だな」とワクテカ。
先に結果を知ってしまわぬよう、週刊プロレスや
週刊ゴングを視界から遠ざけ、その日に備える。
※ネット社会の今よりネタバレ回避はラクだった。
そして日曜深夜、放送を観る。
三沢が、勝った。
「うおおおおおーーーーーーー!!!!!!!」
「やったあああああーーーーー!!!!!!!」
もう大興奮ですよ、
…と、言いたいところですが、
わしはそうじゃなかった。
「3つ、入った……!!!」
茫然となった記憶。
うん、時間が止まったんですよね。
フィニッシュとなったエルボー、
崩れ落ちるハンセン、
ジョー樋口レフェリーの、遅いカウント。
3つめが入った時、時間が止まったんです。
「……!!!!!!!」
「は、入った……!!!!!」
いや、もう当時の全日って、ハンセンを倒す画が
全く想像できない世界だったんですよ。
それができるのは鶴田しかいないんだっていう。
※ちなみに、このあたりから、その鶴田は
第一線を退いちゃうんだけどさ…
三沢や川田、田上ではまだ歯が絶たない。
ゴディやウィリアムスでも1ランク落ちる。
そんな絶対王者だった、スタン・ハンセン。
この1992年、
1月の三冠戦でハンセンが当時の王者・鶴田を
破って王座に就くと、王者はそこから連勝街道。
3月に三沢が敗れ、
6月に川田が敗れ、
7月に田上が敗れ、
のちに小橋を加えて「四天王」と呼ばれる
ことになるこの世代は、ことごとくハンセンに
葬られていたんです。全部ラリアットで。
※さらに4月のチャンピオンカーニバル決勝も
三沢はハンセンに敗れてますからね。
ホント何度も何度も敗れてたから。
ハンセンが負ける姿は全く想像できなかった。
そんななかの、カウント3。
歓喜よりも、驚きが先でした。
ただ、もうその後は大興奮スペシャルですよ
放送では、三沢がベルトを巻く姿まで
しっかり流してくれたんですが、
「スパルタンX」が流れる中のあの映像、
はじめてスポーツを見て泣きそうになった日
だったかもしれません。
試合内容自体は、3月の三冠戦(三沢は敗北)
の方が面白かったと記憶してます。
あれはマジで興奮しました。
終盤のトペ・エルボーやフェイスロックの時の
会場の大騒ぎも相当なものでしたし。
※ついでに解説の渕さんも超興奮してた(笑)
わしのプロレス観戦歴のなかでもかなりの上位。
内容的にはあの試合の方が上だったと思います。
でもね、
「三沢がハンセンに勝った」
「三沢が三冠を獲った」
というこの日の試合は、内容よりも結果ですよ。
もう、どんだけ待たされたことか。
何度負ける姿を見せられたことか。
何度意気消沈されられたことか。
待ってたんです、この日を待ってたんです。
素晴らしい夜でした。
そして、
全日本プロレスの「時代」が変わった夜でした。
ここから、新チャンピオンの三沢を頂点に、
川田、田上、小橋が台頭する、新たな物語が
始まることになるのです。
そうかあ、
あの試合が30年前かあ。
「プロレスを好きでよかった」と
思わせてくれた三沢光晴さんに
改めて御礼。
ありがとう、三沢さん。
ということで、30年前の名勝負でした。
ではでは。
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嗚呼、スポーツ名選手/初代タイガーマスク
https://knoheya.blog.jp/archives/52022015.html
どーも!!!スポーツ大好き、そしてプロレス大好き、そんなオッサン、編集者・Kでっす!最近、更新頻度の高いこのコラム、ついに鉄板中の鉄板、行ってみたいと思います!ちなみにこんなコラムです。わりと「おっさんホイホイ」かもしれません。↓
この人、誰が何と言おうと、...
jungle123
2022-05-08T12:30:00+09:00
格闘技系
スポーツ大好き、そしてプロレス大好き、
そんなオッサン、編集者・Kでっす!
最近、更新頻度の高いこのコラム、
ついに鉄板中の鉄板、行ってみたいと思います!
ちなみにこんなコラムです。
わりと「おっさんホイホイ」かもしれません。
↓
この人、
誰が何と言おうと、問答無用で「最高」の
プロレスラーでしょう。異論はナシでしょう。
初代タイガーマスクでございます。
その正体は、天才・佐山聡。
日本のプロレス人気を頂点にまで押し上げた
伝説のスーパースターであり、おそらくは、
いま世界中に広まっている総合格闘技を最初に
「定義」した人物でありましょう。
プロレス界、格闘技界、双方における
レジェンド中のレジェンドであります。
タイガーマスクのデビューは1981年、
そして引退は1983年、1977年生まれのわしは
当時、4歳~6歳ということになりますが、
よほどのインパクトだったのでしょうか、
タイガーマスクのことはうっすら覚えています。
特に、欽ちゃんの番組でマスクを脱いだ瞬間は
メチャクチャ鮮明に覚えていますね。
テレビの前で父親と一緒に「おおおーー!!」と
叫んだあの日、うん、よく覚えています。
さてさて、
御存知の通り、タイガーマスクはもともとは、
漫画&アニメから生まれたヒーローです。
♪行け、行け、タイガー の歌でお馴染みの
あのアニメ、当時の少年たちはみんな見ていた
ことでしょう。
※放映時はわしは生まれておりませんが、
再放送で当然ガッツリ見ております
その後、そのタイガーマスクが実際に
新日本プロレスのリングに上がることに
なるわけですが、
(最初のカッコ悪いマスクの話はおいといて)、
なんとまあ、信じられないことに、生身の人間が
アニメを超えた動きをするわけですよ。
誰が呼んだか「四次元殺法」、それまで誰も
見たことのない動きと技の数々、もう驚くほか
ないわけです。毎週ワクワクの連続。
バカみたいに跳ぶ、
いちいちあらゆる技がカッコいい、
さらに、相手に投げられても着地する、
なんつーか、弱点がない(笑)。
さらにそのうえ、「強い」ときたもんだ。
なんせ、彼は結局デビューから引退までのあいだ
一度も負けてませんから(正確には、反則負けが
一度ありますが、まあそこはノーカンで)。
こんなもん、人気が出ないわけがありません。
いまでも史上最高のレスラーにタイガーマスクを
挙げるファンは少なくないのも頷けます。
で、
こんなエピソードがあります。
わし「くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン」
が大好きなのですが、そのなかで「昭和プロレス
スペシャル」という、一般の若いリスナーを完全に
無視した企画をやったときのことです。
くりぃむしちゅーの二人と、ますだおかだの二人が
アツくアツくプロレスを語ったこの回にて、
リスナーからこんなハガキが届くんですね。
「自分はプロレスをあまり知らないのだが、
どの試合を見ればその素晴らしさが分かるか」
これに対し、上田さんが「答え」を出します。
「それはもう、初代タイガーマスクを
見てもらえれば一発なんじゃない?」
※くりぃむしちゅーといえば、有田さんの方が
プロレスファンの印象が強いかと思いますが、
実は、有田さんのプロレスの師匠的な存在は
上田さんなんですよ
これには誰も異論なし。
増田さんは、「『アメトーーク!』のなかで
プロレス大好き芸人をやったとき、プロレスに
興味のない女性客が、初代タイガーの映像には
大興奮だった」と語り、
上田さんも「昔のテレビ映像(漫才とか)は、
それがどんな名作でも少し古臭く感じるものだが、
タイガーマスクの動きだけはいま見てもまったく
古くない」と凄さを説明。
が、そのとき、有田さんがこう言うのです。
「ただし、ちょっと気を付けて欲しい部分もある。
最初に初代タイガーマスクの映像を見てしまうと、
その後、他のレスラーの試合を見てもつまらない
ものに映ってしまうかもしれない。なぜならば、
タイガーマスクは『最高』だから」
そう、最高なのです。
わしが冒頭で最高と言ったのは、こんなラジオの
エピソードも込みの断言でございます。
そして、わしは思うんです。
四次元殺法の素晴らしさは当然として、
やっぱり戦績がとんでもないよな、って。
無敗、って。
いやいや、無敗って。
(1度の反則負けを例外とし)、ただの一度も
敗北なく引退したプロレスラーなんて、
おそらく他にはいないんじゃないかしら。
馬場も猪木も鶴田も長州も前田も三沢も武藤も
何度も負けてます。どんなヒーロー、レジェンドも
「負けたことがない」なんてことはありません。
いまの時代、プロレスという競技の仕組みは
皆さん知っているでしょうから、いちいち語りは
しませんが、つまり初代タイガーマスクは、
一度も「負けさせる」話にならなかったっていう
ことですからね。誰もそうできなかった。
タイガーマスクに勝っていいポジションにまで
上がる選手が、最後まで出てこなかったんです。
だって、最高だから。
これってある意味、リアルファイトの無敗よりも
価値が上なんじゃないかとすら思うんですよね。
この世に、初代タイガーマスクが負けるところを
見たことがある人は一人もいないんですよ。
わしはいつも、初代タイガーマスクを語るとき、
そこを一番のポイントにしています。
もう一度言います。
初代タイガーマスクは、最高です。
まだ見たことがない方、悪いことは言いません。
初代タイガーマスクの試合は、見ときなさい。
--
ほら、全然古くないでしょ。
これが40年前の試合なんですよ。
↓
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早くもファイナルアンサーのような選手を
紹介しちゃいましたが、プロレスラーの話は
今後も書いていく予定でございます。
プロレスファンの皆さん、お楽しみに~。
ではでは。
-]]>
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嗚呼、スポーツ名選手/アレクセイ・イグナショフ
https://knoheya.blog.jp/archives/52018274.html
どーも!!!!バスケ大好き、サッカーも大好き、そして、格闘技も大好きな男、編集者・Kでっす!うーん、たぶん2000~2006年くらいを思い出すともしかしたらバスケよりハマってたかもしれん。もうとんでもなくハマっていた時期がありました。いわゆる、PRIDE&K-1の黄金期で...
jungle123
2022-03-17T12:02:21+09:00
格闘技系
バスケ大好き、サッカーも大好き、
そして、格闘技も大好きな男、編集者・Kでっす!
うーん、たぶん2000~2006年くらいを思い出すと
もしかしたらバスケよりハマってたかもしれん。
もうとんでもなくハマっていた時期がありました。
いわゆる、PRIDE&K-1の黄金期ですよね。
いや、格闘技の第一黄金期と言ってもいいかな。
※いまもまた人気出てきてますよね(嬉しい!)
当時はほとんどの興行を会場で観てたもんなあ。
※名古屋から首都圏や関西に遠征してましたよ。
あれ、いくら使ったんだ、ホントに(笑)。
というなか、
当時わしが「これ、最強の座にイケるんじゃね?」
とワクワクしたのが、今日紹介する選手、
アレクセイ・イグナショフ です。
この人。
↓
はい、アーツやホースト、バンナじゃなく、
ここでイグナショフをピックアップするのが
Kの部屋ですよ~(そういうポリシーさ)。
プロレスも、ハンセンやベイダーじゃなくて
スティーブ・ウィリアムスだったもんね(笑)。
彼を始めてちゃんと認識したのは、
名古屋レインボーホールの興行でした。
※いまの日本ガイシホールだね
K-1の名古屋大会ですね。
当時名古屋にいたわしは、当たり前のように
会場に足を運びましたよ、と。
当時は世界各地で、東京ドーム進出をかけた
予選トーナメントをやってたんですよね。
確か、この時の名古屋大会の本命は、
ベルナルドとアビディだったと記憶しています。
わしが担当した雑誌のスポーツページでも、
ベルナルドとアビディを大きく取り上げました
(巻頭ページをムリヤリもらったんだよなあ)。
が、
いざ蓋を開けてみると、
アビディは早々に負け、
ベルナルドも怪我をしてしまい、
「レッド・スコーピオン」と呼ばれる長身選手が
決勝戦に上がってきたのでした。
※あ、ちなみに、入場曲を聞いた瞬間、
「コイツは旧ソ連の国の選手だ」と気付きました。
それは「プロレス・格闘技ファンあるある」かも。
だって、その時の入場曲がこれだったんだもん
(その後、変更したっぽいけど)。
↓
わしは彼のことを写真と文字の情報でしか
見たことなく、この日の名古屋大会ではじめて
戦っている姿を見たのですが、
「これは本当の『ヘビー級のムエタイ選手』だ」
と思ったことをよく覚えています。
これ、K-1の思想通りの選手じゃね?って。
構えがムエタイ型だったんですね。
あの前の足を軽く浮かせてヒョイヒョイやる
ストリートファイターのアドン的なやつ。
で、すごく動きがダイナミックで、能力の高さと
スター性を感じたし、東京ドームでも台風の目に
なるんじゃないかという予感がありました。
その後の東京ドームで実際に台風の目になったのは
このイグナショフではなく、マーク・ハントでしたが
でもわしは、あの日イグナショフに抱いた期待感を
忘れることはないでしょう。
ホント、「スゲエの出てきた」って思ったんです。
東京ドームの戦いぶりもよかったよなあ。
その日の優勝候補だったフィリォを、
猛烈に追い詰めてましたから。
ずっと涼しい顔してたのが、初めてムキになって
ガンガン行きはじめた時は胸が高鳴ったさ。
たしか石井館長も「ついに感情を出しましたね」
って解説で言ってた気がするんだけど、
あ、コイツ、マジになったらすげえ強そ、って。
その後、
無敵状態だったシュルトをボコボコにしたり、
ちょいちょい見せ場はあったものの、
それほどパッとした実績を残せず、気づいたら
目立たなくなっちゃってました。
なんかプロレスラーの天敵みたいなポジションに
なった時期もあったし(それはそれでケッコー
面白かったかもしれないけど)。
体もデカいし、完成度も抜群に高かったし、
天下を獲れる人間だったと思うんだけどなあ。
でも大成しなかった。
どこか「タマにキズ」的な面があったんだろうな。
世界一になれる素材だったのに、そうならない。
うん、ラシード・ウォーレスと同じタイプだわ。
あるいは、パトリック・クライファートとか。
そういうの、大好き(笑)。
という、思い出のファイターでした。
格闘技好きな皆さん、覚えてますよね?
イグナショフ、凄かったですよね??
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もう一丁動画貼っときまっす。
このシュルトをボコってるの、凄くね?
あの無敵時代の時のシュルトよ、マジで。
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