Kの部屋 - スポーツ/嗚呼、名勝負
https://knoheya.blog.jp/
編集者・Kが「スポーツ」「漫画」「テレビゲーム」などなどを大いに語っております。
「スラムダンクの続きを~~」はINDEXから読むと便利です
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嗚呼、名勝負(37) 全日本プロレス 92.5.25アジアタッグ選手権/小橋・菊地 × カンナム・エキスプレス
https://knoheya.blog.jp/archives/52038492.html
どーも!!!今日は久々の「名勝負」コラムでございます。これ更新するの、4か月ぶりですね。※こんな感じで、わしなりの観点でいろいろ語らせてもらっております。↓
今回は、全日本プロレスで行きましょう。あ、何度かこのブログでも述べておりますが、わし、全日派だった...
jungle123
2023-07-27T12:04:21+09:00
スポーツ/嗚呼、名勝負
今日は久々の「名勝負」コラムでございます。
これ更新するの、4か月ぶりですね。
※こんな感じで、わしなりの観点で
いろいろ語らせてもらっております。
↓
今回は、全日本プロレスで行きましょう。
あ、何度かこのブログでも述べておりますが、
わし、全日派だったんですよ。わしの年代では
マイノリティになるのかな。
そして、若い読者の皆様、すみません。
かなり古いやつをピックアップしちゃいます。
1992年、いまから30年以上前の試合です。
でも、是非観ていただきたい。
今日の一戦は、わしが観たバトルのなかで、
「最も会場の一体感が凄かった試合」なんですよ。
いや、公式動画があったので貼っておきますが、
これ観たら、ビックリすると思いますよ。
昔のプロレスってこんな雰囲気だったの? って。
そのくらいの超熱気。凄まじい「うねり」。
一見の価値ありの試合なんです。
てことで、こちら。
↓
※この「日テレプロレス中継アーカイ部」って
かなり神ってません? なぜ登録者がこんなに
少ないのか不思議になるくらいなんですが。
んじゃ、試合のハナシ。
ときは、1992年5月25日、
場所は、今は亡き宮城県スポーツセンター。
全日本プロレスの中堅タイトル的な存在、
アジアタッグ選手権の試合です。
このアジアタッグって、他団体には類似例がない
絶妙なポジショニングのベルトなんですよね。
団体最高タイトルである世界タッグ選手権の
手前の登竜門的位置付けで、日本の若手選手や
中堅外国人選手が凌ぎを削るタイトルって感じ。
トップ戦線でスポットライトを浴びる前の選手に
こういうベルトがあるのって面白いですよね。
この日のカードは、
王者が、「カンナム・エキスプレス」こと
ダグ・ファーナス&ダニー・クロファット。
挑戦者が、小橋健太&菊地毅。
はい、あの小橋です。
のちに「絶対王者」と呼ばれ、団体の枠を超えて
業界全体を代表するレスラーとなる小橋ですが、
このときはまだ25歳。
若手のホープとして、前述のアジアタッグという
中堅タイトルに挑戦していた頃です。
んで、相手の「カンナム・エキスプレス」がまた
素晴らしい存在感。
ハンセンやゴディのようなスーパーヘビーの
外国人と比べると一段落ちるのですが、
このアジアタッグ戦線で無類の強さを誇り、
若手日本人選手の大きな壁だったんですよ。
実力はもちろんのこと、場慣れしてるんで、
いい感じに憎たらしい、っていうね(笑)。
※役割をキッチリ果たしてたよなあ、ホント。
さて、
この日の会場の仙台は、菊地の故郷。
まだタイトルには無縁の菊地にとっては、
地元で初戴冠のチャンスということで、
会場も物凄い熱気になってたんですよね。
実況は福澤“ジャストミート”朗さん。
噂によると、彼の実況の思い出のなかでも
この試合はトップの熱気だったとか。
30年前です。
プロレスという競技に対する視線は
今とは随分違うと思います。
なんというか「いろいろ分かる前」ですよ。
そこにエンタメ性が散りばめられていることは
分かっていながらも、何もかもが明らかには
なっていなくて、今の興奮とは違う雰囲気で、
客がエキサイトしていた頃ですね。
あ、
でも猪木や長州・藤波、馬場や鶴田・天龍の頃とも
ちょっと違うと思います。
あの頃のピュアな見方はもうなくなってるけど
でもいい感じの緊張と興奮があった感じ。
そんな中で行われた当時のアジアタッグ選手権。
説明したとおり中堅レスラーや若手の舞台なので、
鶴田・三沢・ハンセンのようなレベルのバトルでは
ないです、正直言って。
どこか粗さがあって、ガムシャラさがあって、
でも王者のカンナムは貫禄があって。
ただ、それはそれで魅力がある。
トップレベルではないからこその面白さがある。
小橋はここから急加速的に成長していくので、
トップ戦線でない彼のファイトって、このへんが
ラストなんですよね。そういう意味でも貴重です。
※この翌年、小橋は世界タッグ王者になるので。
この試合は、内容も抜群でしたよ。
序盤から菊地がボコスコにやられるのですが、
耐えに耐えて、何とか小橋にタッチ。
その小橋も王者の連係の前にピンチに陥るものの、
復活した菊地に助けられ形勢逆転。
最後は小橋のムーンサルトでフィニッシュ。
観る側にとってサイコーの展開だったと言えます。
ホント、信じられない盛り上がりだったよなあ。
「あの試合、また観てみたいなあ」と思ってたら
ちょうど日テレのチャンネルに上がっていたと。
で、記事化ってことで。
てなわけで、
久々の名勝負コラムでした。
ではでは。
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この試合、知ってた人いるかなあ。
全日ファンにとってはわりと伝説的な一戦ですよ。
↓
あ、そうそう。小橋&菊地はコンビの時のみの
入場テーマがあるんですが、それも発見しました。
これは嬉しいなあ。
↓
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嗚呼、名勝負(36) WBC2009決勝 日本×韓国
https://knoheya.blog.jp/archives/52033317.html
どーも!!!今日は「スポーツ名勝負」です!で、いまならコレしかないでしょう、熱いうちにコレ行っときましょう!2009年のワールド・ベースボール・クラシック、決勝戦でございます!!!「ええーーーっと、どの試合でしたっけ?」「試合がいっぱいあって、どれか分からん」と...
jungle123
2023-03-15T12:10:05+09:00
スポーツ/嗚呼、名勝負
今日は「スポーツ名勝負」です!
で、いまならコレしかないでしょう、
熱いうちにコレ行っときましょう!
2009年のワールド・ベースボール・クラシック、
決勝戦でございます!!!
「ええーーーっと、どの試合でしたっけ?」
「試合がいっぱいあって、どれか分からん」
と、なってしまっている、そこのアナタ、
「イチローが最後に打ったやつ」
ですよ。
はい、もう分かりますよね。そう、アレです。
この試合はですね、
我がブログのなかでも「記録」を持ってるんです。
それは、「談話室のコメント数」。
この記事です。
14年前の熱い記憶。
↑
いや、マジヤベーですよ、これ。
低スペックPCだと読み込めんかもしれんですよ。
事実、当時のわしのPCではページの読み込みが
途中で止まっちゃったもん(ホンマでっせ)。
いまならまあ大丈夫かな。あとスマホなら
コメント欄がページングされてるんで大丈夫。
コメント数、なんと4450…!!!!!
5ちゃんねる(旧・2ちゃんねる)でいうと、
数時間で5スレ目に突入でっせ。
サラリーマンのオッサンの個人ブログの分際で。
いやあ、あれは凄い日だったわ。
んで、もう14年も前のことなんですね。
あのWBC、我が国のスーパースターである
イチローは全然打ててなかったんです。
打率は確か、2割1分とかそんなもんでしたかね。
もうネット上では
「イチローはもういい」「ひっこめ、イチロー」
なんていう声も挙がっていたくらいですよ。
しかも、第1ラウンドの最終戦で韓国に負けて、
第2ラウンドでも同じ韓国に負けちゃってね。
敗者復活戦では一矢報いましたが、
わしらは何度こんなに悔しい思いをするのかと。
いやあ、なんなんだろうなあ、あれ。
ホントに悔しいもんね、韓国に負けると。
サッカーの代表戦とかでも同じだけどさ。
普段は好きも嫌いもないんですよ。
ていうか、むしろ好きですよ、韓国。
わし、韓国人の友人や同僚いますし、
バスケの教え子にも韓国の子いましたし、
韓国の料理好きだし。
それがサッカーしかり野球しかりバスケしかり
スポーツの戦いになると、もう親のカタキかと
いわんばかりの熱い感情が生まれるんですよね。
サイコーだと思います。
こんなにアツくなれる相手、いないですよ。
サイコーのライバルですよ、本当に有難い。
試合の内容については、見てない人なんて
ほとんどいないだろうから、深くは語りません。
でも、あの日の日本の熱狂は忘れられない。
イチローが打った瞬間の興奮は忘れられない。
今回のWBCもスッゴイやつ、見たいよなあ。
あのときのイチローと同じように、
日本のスーパースターがチームにいるしさ。
そんな期待もありつつ、
伝説の名勝負でした。
ではでは。
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あ、
ちなみに、あの伝説のイチローの打席は、
コメント3600あたりからなので、
当時の興奮を思い出したい方はコチラから。
※たぶんちょうどいいトコロになるはず。
今見ても興奮するで、マジで。
↓
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そうそう、最後に投げたのはダルビッシュ
でしたね、14年後の今もいるという凄さ。
↓
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嗚呼、名勝負(35) PRIDEグランプリ2000 桜庭和志×ホイス・グレイシー
https://knoheya.blog.jp/archives/52030076.html
どーも!!!「ブレイキングダウンが大好き!」と言いつつ、そもそもはゴリッゴリ本格派の格闘技ファン、編集者・Kでっす!!※これまで色々記事を書かせてもらってますが、かつてのPRIDEから、K-1、プロレス、大相撲までわりと満遍なく大好きであります。↓
そんなわけで、この...
jungle123
2023-03-03T19:00:34+09:00
スポーツ/嗚呼、名勝負
「ブレイキングダウンが大好き!」と言いつつ、
そもそもはゴリッゴリ本格派の格闘技ファン、
編集者・Kでっす!!
※これまで色々記事を書かせてもらってますが、
かつてのPRIDEから、K-1、プロレス、大相撲まで
わりと満遍なく大好きであります。
↓
そんなわけで、この「名勝負コラム」でも
格闘技の試合はちょいちょい取り上げさせて
もらっているのですが、今日は久々にPRIDEから
名勝負を一丁振り返らせてもらおうかと。
いや、これはもう、名勝負っていうか、
「過去最高の一戦」になるかもしれんね。
桜庭和志 × ホイス・グレイシー
の一戦です。
いやあ、これはホントに伝説ですし、
感動ですし、サイコーでしょう。
※ダメだ、凄すぎたせいで、気の利いた表現が
出てこない、語彙がなくなっとる(笑)。
日本のプロレスラーが完璧にグレイシーに勝った、
という、本当に格闘技界の分岐点になったような
勝負だったと思います。
ときは西暦2000年、舞台はPRIDEグランプリ、
これは、手前のストーリーから全部含めて
もの凄い日になったんですよね。
20年以上前です。
「総合格闘技」の世界は、いまとは取り巻く環境が
まったく違いました。黎明期も黎明期ですよ。
当時、「総合格闘技」の技術は、まだいまのように
確立されていません。ルールはほとんど同じですが、
「総合格闘技の戦い方」というのは、なかったと
言ってしまってもよいと思います。
じゃあみんな、どうやって戦っていたか。
柔道や空手、レスリング、キックボクシングなど、
各々が「元々やっていた競技」の技術のうえに、
総合格闘技(対策)のエッセンスを加えることで、
この舞台に立っていたのです。
そう、そこでやっていたのは「異種格闘技戦」、
柔道×レスリング、キックボクシング×柔術、
ストリートファイト×空手、のように色んな競技が
まさにその「プライド」を賭けてぶつかり合う、
PRIDEって、そんな舞台だったんですよ。
だからみんな戦い方が違いましたよ。
いまのようなMMAファイターの像はまだなく、
なんなら「スト2」や「KOF」のような世界。
様々な格闘家が個性をもって戦っていましたね。
そんなわけで、たとえば「小川×佐竹」なんかは、
このふたりはどっちが強い? という視点と共に、
「柔道と空手、どっちが強い?」みたいに言われた
ものでした。
もうバックボーンの競技そのものを背負わされる
という、とんでもない重圧。
そして、プロレスです。
やっぱり知名度は抜群に高いのですよ。
空手やレスリングの選手をテレビや一般雑誌で
見ることはあまりありませんが、プロレスラーは
有名じゃないですか。
そのぶん昔からのファンも突出して多いですし、
「プロレスラーは強いのだ」という幻想だって
みんなが持っています。
「どうせ八百長、ヤラセ」みたいに言われてきた
プロレスラーが「こういうルールで戦ったって
本当に強い」というのを披露してほしいんです。
長い方は20年・30年もファンですから。
世間から馬鹿にされていたプロレスラーが
正当に評価される日を待っていたのですよ。
が、
プロレスラー、全然勝てません。
負け続ける中、世間から声が飛び始めます。
「ほら見ろ、プロレスは弱いんだよ」
「所詮はショーだったんだよ」
これがもうファン的には悔しくて仕方がない。
反比例的に「強い」と評価を得たのが、
柔術を武器とするグレイシー一族でした。
当時、日本のファンから「アルティメット大会」と
呼ばれていたUFCで、大男たちを極めて締めて
葬り続けた一族は一躍名を馳せることに。
その後「自分たちこそ最強」とプロレスラーが、
グレイシー一族に何度も挑んでいくのですが、
これがまた、ことごとく敗れ去ってしまいます。
そりゃまあ、ジャーマンスープレックスとか
卍固めとかムーンサルトプレスが、あのなかで
決まるこたぁないとは思っていましたが、
とはいえ、みんなあのルールでもちゃんと強いと
思っていたのに、こんなに勝てないとは…。
「プロレスは終わった」
そんな空気に包まれようとしていたなか、
ひとりの救世主が現れます。
UWFの血を引き継ぐ男、桜庭和志。
彼はプロレスラーです。
「プロレスのリングにも立つ格闘家」じゃなく
プロレス団体に所属してきたプロレスラーです。
武藤×高田でお馴染み、新日本×Uインターの
興業にも出ていますからね。
当時、Uインターの後継団体所属の桜庭和志は、
日本で行われたヴァーリ・トゥードの大会で
優勝を果たして脚光を浴びると、PRIDEでも
並みいる強豪を倒し続け、日本のエースのような
存在にまで駆け上がります。
なかでも彼がUFC-JAPANを制したときの
「プロレスラーは本当は強いんです」は、
もう名言中の名言でしょう。
全てのファンが、マジのガチで涙しました。
これを言ってほしかったんです。
完全にプロレス界の救世主となった彼は、
ついにグレイシー一族との勝負の舞台にまで
たどり着くことになります。
まずはホイラー・グレイシーでした。
この試合は桜庭が圧倒的に勝ったのですが、
決着が「レフェリーストップ」だったため、
一族はまったく敗北を認めようとしません。
「いやいやいや、桜庭の完勝だろうが!」
日本中のファンが怒り沸騰です。
何が無敗の一族だよ、認めねえだけなのかよ。
そして迎えた、PRIDEグランプリ。
1回戦を勝利した桜庭は、2回戦へ。
そこで待っていたのは、1回戦で高田延彦を破った
ホイス・グレイシーでした。
一族はホイラーがレフェリーストップで敗れたのが
よほど納得いかなかったのでしょう。
この桜庭との一戦について、超イレギュラーな
「15分無制限ラウンド」というルールを要求します。
自分たちの有利な土俵に桜庭を誘い込む作戦です。
「そうじゃなきゃ出場を辞退する」とまで。
再び日本中のファンが怒り沸騰ですよ。
憎きグレイシー、プロレスの敵・グレイシー、
ここでそんな我儘まで言い始めるのか、と。
はたして、
舞台は完全に整いました。
入場は、まさかのストロングマシン。
しかもマスク3人で登場しつまり、マシン軍団。
これまた「自分はプロレスラーだ」という
メッセージ性を感じるじゃないですか。
東京ドームの満員の観客が、全員桜庭を押します。
あの「うねり」は本当に凄かった。
映像でも伝わってくる「死んでも勝て」の熱気。
一方で、怖いのも事実。
ホイス・グレイシーが負けるところなんて、
見たことがないのですから。
当時のグレイシーの印象といえば、
「捕まったら負ける」
「上に乗っても、下から極められる」
「寝ころんだら逃げられない」
格闘技ファンは、欧米の大男がグレイシーに
締め落とされるのを何度も見てきました。
高田延彦もヒクソンに2度やられました。
死んでも勝ってほしい、
でも、怖すぎるホイス・グレイシー。
そんなうねりの中で行われた試合は
「桜庭劇場」でした。
なんなんでしょう。
あの「捕まったら負ける」と思われていた
グレイシー一族を相手に、もはやお祭りですよ。
のちに「サクラバ・ロック」として世界的に
有名になる腕関節技を披露する桜庭。
そこから、試合中にニヤリと笑う桜庭。
真剣勝負でモンゴリアンチョップを放つ桜庭。
コーナーでホイスの道着を脱がし始める桜庭。
通称「恥ずかし固め」で相手を転がし、
誰も考えたことのない形からパンチを落とす桜庭。
そして、
ホイスの作戦を完封し、あのグレイシー一族を、
「もう出来ることがない」状態に追い込んだ桜庭。
終わりなき戦いの様相を呈していた
15分無制限ラウンドの、「ラウンド6」。
エプロンサイドのホリオンが白いタオルを
持っている画が場内のモニタに映った瞬間は、
世界の格闘技史上に残るハイライトでしょう。
※わしの先輩はあの日ドームにいたのですが、
「あの瞬間の歓声はマジでヤバかった」とのこと。
90分近く戦った末のあのシーン。
ついに、
ついに、あのホイス・グレイシーが墜ちる。
しかも、日本人プロレスラ―・桜庭和志によって。
その後、ラウンド6後のインターバルで、
グレイシーサイドがタオルを投入し、
この90分の激闘に終止符が打たれます。
※「レフェリーストップ無し」を要求したのは
グレイシー側なので、自ら負けを認める以外に
試合を終わらせる方法がなかった、という。
伝説の夜でした。
総合格闘技は日々進化していますので、
技術的な面であの試合を上回る勝負はいくつも
あると思うのですが、
ことストーリー性においては、やはりいまでも
ナンバーワンに挙げられるのではないでしょうか。
桜庭×ホイス、
名勝負中の名勝負です。
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嗚呼、名勝負(34) K-1 World GP 1998 決勝 アーツ×フグ
https://knoheya.blog.jp/archives/52027812.html
どーも!!!バスケ大好き、サッカー大好き、プロレス大好き、漫画大好き、ゲーム大好き、そして、格闘技大好き、編集者・Kでっす!というわけで、ワールドカップが盛り上がる中、今日は格闘技のワールドGPのハナシを。「名勝負」コラム、いきましょう。このコラム、ここしばらく...
jungle123
2022-11-25T12:10:56+09:00
スポーツ/嗚呼、名勝負
バスケ大好き、サッカー大好き、プロレス大好き、
漫画大好き、ゲーム大好き、
そして、格闘技大好き、編集者・Kでっす!
というわけで、ワールドカップが盛り上がる中、
今日は格闘技のワールドGPのハナシを。
「名勝負」コラム、いきましょう。
このコラム、ここしばらく格闘技から離れていた
気がするので、今日はK-1からピックアップです。
1998年のワールドGP決勝、
ピーター・アーツ×アンディ・フグ
これは、いい大会でしたねえ。
試合はもちろん素晴らしかったし、
その後のエンディングも感動的だったし、
かなりパーフェクトな興行だったと思いますよ。
んで、まだちょっと粗削りでね。
それはそれで味があってよかったんですよね。
現代格闘技って、総合・打撃、いずれにおいても
どんどん洗練されていって、戦いの「型」が
かなり整ってきてるじゃないですか。
言うなれば、
みんなが同じスタイルになりつつある。
これは格闘技に限らず、バスケなんかもそうで、
みんなトータルな技術を持ち始めてますよね。
いまはスリーを撃たない選手なんてほぼいないし、
逆に小柄な選手もポストプレイが上手いし。
昔は違いましたから。シュートに特化した選手、
インサイドに特化した選手ってのがいたんです。
時代を経て選手像は大きく変わりました。
で、総合格闘技でいえば、
打撃はほとんどなくて寝業のみっていう選手は
もう見当たらないと思いますし、逆パターンで、
打撃は強いが寝たらアウト、みたいなのもいない。
昔は上記のタイプがウジャウジャいました。
これは、打撃系格闘技も同じかな。
昔はキックはあまり得意じゃなくてパンチばかりの
選手とか、そもそも全体的に技術があまりなくて
ただ剛腕なだけ、みたいなのもいたわけですよ。
それらを混ぜ混ぜした感じが面白かったんです。
総合ならば、「柔術家×キックボクサー」とかさ、
「空手家×レスラー」とかさ、そういう競技同士の
ぶつかり合いにロマンがあった。もちろん中心に
「プロレスラー」ってのがいてね。
打撃も同じです。
「K-1のKは、空手、キックボクシング、功夫など
頭に“K”がつく競技のこと」と言ってまして、
それらがひとつのリングに集うのが魅力でした。
今回取り上げる98年はまだそういう時代です
K-1のリングには、キックボクサーがいれば、
空手家もいて、ボクサーやムエタイ選手もいる。
彼らが、わりとそのスタイルを引きずりながら
戦っていた時代だったと思うんです。
まだ「K-1ファイター」という像がしっかりと
確立されてなくて、分野分野のトップ選手が
その競技をも背負いながら戦ってた感じかな。
で、
この決勝ですよ。
空手家であるアンディ・フグと、
キックボクサーであるピーター・アーツ。
いいですよね、競技軸でも争いがあって。
ふたりともえらい人気がありました。
アーツは「20世紀最強のキックボクサー」と呼ばれ
その盤石の強さで人気を誇っていました。
一方のフグは、強さはもちろん当然のことながら
何かとストーリー的に熱い展開が多い男で
その生きざま自体でも支持を集めていました。
※んでまた、日本発祥の「空手」の選手だしさ。
K-1グランプリは、93年に第1回大会が行われて
いまして、歴代優勝者は下記の通り。
※カッコ内が準優勝選手
93年…ブランコ・シカティック (ホースト)
94年…ピーター・アーツ (佐竹)
95年…ピーター・アーツ (バンナ)
96年…アンディ・フグ (ベルナルド)
97年…アーネスト・ホースト (フグ)
この98年大会は、
既に2度優勝しているアーツが久々に決勝に進み
前々回、前回のファイナリストであるフグと
戦うという構図だったわけですね。
これは最高のカードのひとつだったと思いますよ。
アーツはかつての絶対的な強さを取り戻したい、
フグは前回準優勝の雪辱を晴らして返り咲きたい、
お互いに燃えるものがありましたからね。
はたして勝者は、
かつて最強の名を欲しいままにしていた
キックボクサーなのか、
それともファイナルに連続で進出している
いま最もいい状態にある空手家なのか。
前者でした。
20世紀最強のキックボクサー、完全復活。
この大会のアーツは強すぎました。
なんと8人で争うファイナルラウンドの3試合、
すべて1ラウンドKO。この決勝のフグ戦すら、
よもやの1ラウンドKO。
観客席も実況席も「強い!! 強すぎる!!」
と、唸るしかない結末。
んでまた最後の左ハイの音が凄かった。
カタカナで書くと『ガポッ!!!!』という感じ。
なんともいえない打撃音。
もう入った瞬間「終わった」と思いました。
あれは、K-1決勝戦史上に残る劇的なKOだったと
思いますね。ヘタしたら一番かも?
アーツは3度目の優勝を果たし、
「20世紀最強」の異名を取り戻したのでした。
その後、決勝後の優勝セレモニーの場では、
ご存じ「第九」が場内に流れたんですけど、
これがまた、最強王者・アーツを称える瞬間に
絶妙にマッチしてたんですよね。
なんか妙に感動的だったよなあ。
ゲストの長嶋一茂さんも「格闘技のセレモニーと
第九がこんなに合うとは」って驚いてた気が。
そんなわけで、
わしが「決勝戦史上最高のKO劇」のひとつだと
思っている、あの日のファイナル、ご覧あれ。
聴いてよ、この音。
入った瞬間「終わった」と確信するでしょ?
↓
以上、
古き良き時代のK-1の名勝負でした。
ではでは。
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その他名勝負のバックナンバーはこちらから
野球・サッカー・バスケ・相撲・プロレス、
はてまたアイススケートまで色々ありますよ。
↓
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嗚呼、名勝負(33) BリーグFINAL 2016-17 川崎×栃木
https://knoheya.blog.jp/archives/52027794.html
どーも!!!!今年もBリーグが始まりましたね!!もう少し試合数が消化されたら(いま第2節)、今期の「Bリーグの部屋」の扉を開けようと思っておりますが、今日は折角なので、ちょいと昔のゲームを振り返ってみようかと。いつも昔の勝負を取り上げてきたこのコラムで初めて...
jungle123
2022-10-10T14:54:00+09:00
スポーツ/嗚呼、名勝負
今年もBリーグが始まりましたね!!
もう少し試合数が消化されたら(いま第2節)、
今期の「Bリーグの部屋」の扉を開けようと
思っておりますが、
今日は折角なので、ちょいと昔のゲームを
振り返ってみようかと。
いつも昔の勝負を取り上げてきたこのコラムで
初めての試みですが、わずか5年前の試合を
今回はピックアップさせていただきます。
※過去の記事は、もっとも最近の勝負でも
2008年なので、今日大幅に更新ですな。
↓
2017年、記念すべき初めてのBリーグFINAL、
川崎×栃木(現・宇都宮)でございます。
これは世代を問わないゲームですよね。
なんせ、つい5年と数か月前の出来事ですから。
我がブログの読者ならば、かなり多くの方が
ご覧になったゲームなんじゃないかと。
が、
わし、実はこの試合の記事は書いてないんです。
え? バスケ馬鹿のKさんが?
え? Bリーグをいつもゴリ押しのKさんが?
え? プロ化前から天皇杯決勝を書いてたKさんが?
分かる人には分かるハナシですが、
そう、ちょうど冬眠してた時だったんですよ。
Kの部屋は2017年のアタマから2018年の半ばまで
なんと1年半もの間、更新のなかった時期があり
(多くの方に「Kさん、〇んだ?」と思われた件)、
その間に、この記念すべき初のFINALがあって
わしはこの試合の記事を書いていないんです。
では、わしはこの試合を観たのか、というと、
もちろん観ましたよ。
しかも会場で(元気なんじゃねえかよ!!)。
国立代々木競技場第一体育館でした。
当時小学6年生、坊主頭の息子とふたりで
観に行ったんですよね。
ブログは冬眠してたくせに、こういうのは
ちゃっかり見に行った、あの日のKさん(笑)。
いやあ、素晴らしいゲームでした。
最高のゲームでした。
初年度のファイナルとして、本当に文句なしの
ゲームだったと思っています。
カードは、川崎と栃木(現・宇都宮)。
会場は、中立地の東京。
※確か、リーグ全体の順位的に考えて
正確には川崎のホーム扱いだったと思う。
でも、印象的にはお客さんのTシャツは、
黄色(栃木のカラー)の方が多かったかな。
応援団の人数は、やや栃木優勢だったかと。
やっぱり、田臥勇太の存在が大きかったかな。
なんというか「主人公チーム」のような
存在だったと思いますから、この年の栃木は。
当時のバスケ選手で、日本一有名だったのは
間違いなく田臥勇太でした。
その田臥が所属する栃木、
誰もハッキリとは言いませんが、彼らはまるで
漫画の主人公のように扱われていたと思います。
あ、当時の田臥はバリバリのスタメンですよ。
※さらに言うと、当時その次に有名だったのは
竹内兄弟だったような気がしますが、
その竹内兄弟の兄も栃木所属でしたからね。
そんななかの決勝戦。
いまでも思い出します。
とにかく観客の声量が、とんでもなかった。
Withコロナの世界に入って久しい今見ると、
もう信じられない絶叫ぶりです。
この年のリーグ最高勝率は川崎でした。
大黒柱のニック・ファジーカスは、チート級に
凄い選手で、まさしくアンストッパブル。
篠山&辻のガードコンビはともに日本代表。
うん、面子的には、川崎が一歩上だったかなと。
そこに田臥達が挑むという構図。
こんなの盛り上がらないわけがないんです。
まあ、お互い凄い声援だった。
ワンプレイごとに、ワンショットごとに
まるでブザービーターかのような大声援。
本当に最高の雰囲気でした。
下部に動画を貼っていますが、特に後半ですよ。
互いに自分たちのブースターが座る側に向かって
攻めることになるので、シュートが決まるごとに
全員総立ちです。スーパーエキサイティング。
結果は皆さんご存知の通り、
栃木が制して、初代王座に就くのですが、
第4クォーターの攻防は、いま動画で見ても
なんか鳥肌が立つんですよね。
あの選手と会場の一体感たるや。
MVPを受賞した古川のパフォーマンスは
エゲツナイくらいに凄かった。
あの全弾命中っぷりはちょっと異常です。
バンクショット、ハンパねえです。
それに匹敵する活躍を見せたのがギブス。
最後の時間帯は、田臥と並ぶもうひとりの
司令等のような役割を担ってましたね。
あのサイズであのプレイ、たまらんです。
川崎もまた素晴らしかった。
彼らが決勝に立ってくれて本当に良かった。
ファイナルに相応しいチームだった。
そして、
優勝セレモニーで、田臥がカップを掲げた時、
わしは涙をこらえるのに必死でした。
※横に息子がいるから、泣くわけにはイカン。
最高のファイナルが行われて、初代王者として
田臥がカップを掲げるなんて、漫画や映画の
ワンシーンかのような光景ですよ。
なんかね、色んな思い出が交錯してさ。
かつてこの名勝負コラムでも書きましたが、
田臥勇太はルーキーイヤーのシーズンで、
佐古賢一率いるベテラン軍団にファイナルで
敗れてるんですよね。
こちら参照
↓
あれから14年、
今度は田臥勇太がベテランの側になって
Bリーグ最初のファイナルの舞台に立ち、
今度は勝つんですよ。
こんなドラマ、なかなかありませんよ、ホント。
もう、「Bリーグは絶対面白くなる!」と
このときにわしは確信しましたもん。
そしてその通りに素晴らしいリーグに成長し、
今期もまた新しい戦いが始まりました。
あのときに確信した通り、
2022年のBリーグも、最高に面白いです。
皆さん、これからも一緒に日本のバスケを
盛り上げていきましょうね。
んじゃ、最後やっときますか。
せーの、
i love basketball!!!!!!!!!!!
ではでは。
----
初年度ファイナルを見ていないという方、
是非見て欲しいです、この熱狂を。
そして、早くこんな風に絶叫できる世界が
戻ってくることを祈ってます。
↓
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嗚呼、名勝負(32) 全日本プロレス 1992.8.22三冠ヘビー級選手権/三沢×ハンセン
https://knoheya.blog.jp/archives/52026312.html
どーも!!!!プロレス大好きっ子、編集者・K、先日の日記からコラムへ突っ走ります!このあいだ、夜な夜な書いたこの記事、30年前を思い出し、しみじみ書いたこの記事、
これをフックに、今日は「名勝負」シリーズの更新です。もちろん三沢とハンセンの三冠戦でございます。...
jungle123
2022-08-28T13:00:44+09:00
スポーツ/嗚呼、名勝負
プロレス大好きっ子、編集者・K、
先日の日記からコラムへ突っ走ります!
このあいだ、夜な夜な書いたこの記事、
30年前を思い出し、しみじみ書いたこの記事、
これをフックに、
今日は「名勝負」シリーズの更新です。
もちろん三沢とハンセンの三冠戦でございます。
あ、初めて三沢が三冠を獲った試合ね
(他にも名勝負はいっぱいあるけどさ)。
ときは1992年の8月22日、
なんともう30年前のハナシになります。
※いやあ、これはマジで年を感じるわい。
当時のわしは中学生3年生。
猛烈な全日本プロレスファン。
全日の放送を録画したビデオテープを
クラスメイトに多少強引に貸しまくり、
いわゆる「布教活動」をしていた頃でしたね。
これがまあ、ハマりましてね。
わしの周囲に全日ファンが増殖したんですよ。
当時の認知度は圧倒的に「新日 > 全日」でした。
猪木や長州、武藤やライガーあたりの存在は
わりとみんな知ってるんですよね。
わしの地域では夕方にテレビでやってたし。
でも、全日となると馬場&鶴田くらいしか
知らないんですよ。
そこに放り込んでやったわけです、わしが。
「コッチも観てくれ、絶対に面白いから!」と。
で、全弾命中(笑)。
そして、みんなこうなるのです。
「三沢ってマジでサイコーだな!!」
「すげえカッコいいじゃん、三沢!!!」
そんな布教が進んだ中、迎えた三冠戦でした。
みんな全日を見始めて数か月なんですが、
この試合の重要性は分かっていました。
わしがビデオを見せまくり、セミナー的な回も
開きまくっていたので(笑)。
三冠ベルトの重み、三沢光晴への期待、
全日本プロレスのこれからのストーリー、
全部認識できていたんですよね。
もう放送前から「いよいよ今週だな」とワクテカ。
先に結果を知ってしまわぬよう、週刊プロレスや
週刊ゴングを視界から遠ざけ、その日に備える。
※ネット社会の今よりネタバレ回避はラクだった。
そして日曜深夜、放送を観る。
三沢が、勝った。
「うおおおおおーーーーーーー!!!!!!!」
「やったあああああーーーーー!!!!!!!」
もう大興奮ですよ、
…と、言いたいところですが、
わしはそうじゃなかった。
「3つ、入った……!!!」
茫然となった記憶。
うん、時間が止まったんですよね。
フィニッシュとなったエルボー、
崩れ落ちるハンセン、
ジョー樋口レフェリーの、遅いカウント。
3つめが入った時、時間が止まったんです。
「……!!!!!!!」
「は、入った……!!!!!」
いや、もう当時の全日って、ハンセンを倒す画が
全く想像できない世界だったんですよ。
それができるのは鶴田しかいないんだっていう。
※ちなみに、このあたりから、その鶴田は
第一線を退いちゃうんだけどさ…
三沢や川田、田上ではまだ歯が絶たない。
ゴディやウィリアムスでも1ランク落ちる。
そんな絶対王者だった、スタン・ハンセン。
この1992年、
1月の三冠戦でハンセンが当時の王者・鶴田を
破って王座に就くと、王者はそこから連勝街道。
3月に三沢が敗れ、
6月に川田が敗れ、
7月に田上が敗れ、
のちに小橋を加えて「四天王」と呼ばれる
ことになるこの世代は、ことごとくハンセンに
葬られていたんです。全部ラリアットで。
※さらに4月のチャンピオンカーニバル決勝も
三沢はハンセンに敗れてますからね。
ホント何度も何度も敗れてたから。
ハンセンが負ける姿は全く想像できなかった。
そんななかの、カウント3。
歓喜よりも、驚きが先でした。
ただ、もうその後は大興奮スペシャルですよ
放送では、三沢がベルトを巻く姿まで
しっかり流してくれたんですが、
「スパルタンX」が流れる中のあの映像、
はじめてスポーツを見て泣きそうになった日
だったかもしれません。
試合内容自体は、3月の三冠戦(三沢は敗北)
の方が面白かったと記憶してます。
あれはマジで興奮しました。
終盤のトペ・エルボーやフェイスロックの時の
会場の大騒ぎも相当なものでしたし。
※ついでに解説の渕さんも超興奮してた(笑)
わしのプロレス観戦歴のなかでもかなりの上位。
内容的にはあの試合の方が上だったと思います。
でもね、
「三沢がハンセンに勝った」
「三沢が三冠を獲った」
というこの日の試合は、内容よりも結果ですよ。
もう、どんだけ待たされたことか。
何度負ける姿を見せられたことか。
何度意気消沈されられたことか。
待ってたんです、この日を待ってたんです。
素晴らしい夜でした。
そして、
全日本プロレスの「時代」が変わった夜でした。
ここから、新チャンピオンの三沢を頂点に、
川田、田上、小橋が台頭する、新たな物語が
始まることになるのです。
そうかあ、
あの試合が30年前かあ。
「プロレスを好きでよかった」と
思わせてくれた三沢光晴さんに
改めて御礼。
ありがとう、三沢さん。
ということで、30年前の名勝負でした。
ではでは。
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嗚呼、名勝負(31) 05年度 第84回全国高校サッカー選手権決勝 野洲×鹿児島実業
https://knoheya.blog.jp/archives/52022042.html
どーも!!!!ただいま「@仙台」な男、編集者・Kでっす!今日は久々の名勝負コラムでございます。このコラムでは初めて高校サッカーの試合をピックアップさせていただきますよ、と。いまから17年前、「高校サッカー史上最も美しいゴール」が飛び出したあの試合、覚えています...
jungle123
2022-05-10T12:00:34+09:00
スポーツ/嗚呼、名勝負
ただいま「@仙台」な男、
編集者・Kでっす!
今日は久々の名勝負コラムでございます。
このコラムでは初めて高校サッカーの試合を
ピックアップさせていただきますよ、と。
いまから17年前、
「高校サッカー史上最も美しいゴール」が
飛び出したあの試合、覚えていますか?
第84回高校サッカー選手権決勝、
野洲×鹿実の一戦でございます。
ありゃあ凄かったよなあ(しみじみ)。
年始の時期って、スポーツの大きな大会が
幾つもありまして、たとえばバスケ界も
天皇杯で盛り上がるときなのですが、
当時のスポーツニュースは高校サッカーに
話題を全部かっさらわれていました。
―― セクシーフットボール
なんともインパクト大のキーワードと共に
それまでまったく無名だった滋賀県のチームが
一躍脚光を浴びていたのです。
それが野洲高校。
このチームには、のちの日本代表である乾貴士が
いましたが、当時の野洲を「乾がいた野洲」として
記憶している人は、ほとんどいないんじゃないかと
思っています。それよりなにより「チーム」として
とんでもないプレイを見せ続けてくれたので。
それまでの常識をすべて覆すようなチームでした。
彼らのサッカーって、すげーカッコいいプレイ
だらけなのですよ。それで戦うんですよ。
…って、これじゃ伝わらんですよね(笑)。
なんといえばいいかなあ、
ええーーっと、ちょっと古いタイプの監督が
「そういうプレイはイラン!!!」
「カッコつけたいなら、よそに行け!!」
と怒り出しそうなプレイを連発する感じです。
たとえば、ノールックパスとかですね。
他の競技でもいるでしょうね、そういう監督。
バスケの世界にもいましたし(いや、今もいる?)。
ビハインドバックパスやレッグスルーをすると
「そういうのはいらーーーん!!」と怒るやつ。
まあ20年近く前の時代ですから。
そんな、
「カッコいいプレイ = 悪」
「泥臭いプレイ = 正義」
「フィジカル > テクニック」
みたいな風潮がまだまだ残っていた時代にて、
なんなら、多くの強豪校の選手たちが
みんな丸坊主だった、あの時代にて、
サラサラヘアのスマートな選手が並ぶ野洲は、
個の技術とイマジネーションを前面に押し出し、
なんとも華麗なサッカーで、並み居る強豪を倒し
決勝にまで辿りついてしまいます。
そしてついた異名は「セクシーフットボール」。
当時のスポーツニュースで何度も流れたよなあ
彼らのサッカー。すげー覚えてるもん。
「野洲ってどこ?」から始まり、
「野洲ってかっこいい」となり、
「野洲って強い」にまでランクアップ。
まあ、高校サッカー界が震撼しましたよ。
一般的に「そういうサッカーじゃ優勝できない」
とされたプレイで決勝まで行っちゃうんですから。
もしかしたら、当時の視聴者の中には
「このサッカーが優勝しちゃいけない」なんて
思いながら見てた人もいたんじゃないかなあ。
そのくらい、それまでの常識の真逆でしたんで。
が、
彼らは優勝します。
しかも「史上最も美しいゴール」で。
よりによって決勝戦の延長で、史上最高の
ゴールが飛び出しちゃいましたからね。
そんなもん、もう伝説ですよね。
いまでも「あれ以上のゴールはまだない」と
言われているんじゃないかなあ。
皆さん、覚えてますよね?
あのときの野洲、異次元でしたよね。
バスケでもあんな風に常識がひっくり返るような
凄いゲーム、出てこないかなあ。
※スプラッシュブラザーズが外からアホみたいに
決めて優勝した年は、わりとそれだったけど、
日本でもそんな「まさかの大会」を見たい!!
以上、Kの部屋ではとても珍しい
高校サッカーのハナシでございました。
ではでは。
---
高校サッカーの公式チャンネルでも
「史上最も美しい」と謳ってますね。
↓
伝説のゴールはこっちのほうがイイかも。
インターセプトから全部入ってる。
↓
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その他の名勝負はコチラから。
バスケ・サッカー・野球から
格闘技、五輪まで何でもありです。
↓
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嗚呼、名勝負(30) 1998年長野五輪 スピードスケート男子500M(清水宏保)
https://knoheya.blog.jp/archives/52019161.html
どーも!!!今日は朝からブログを弄りながら、カーリングをずっと見ていた男、編集者・Kでっす!!正直、もろもろのウィンタースポーツって、普段そこまで興味を持っているわけじゃないですがやっぱり五輪は見ちゃいますね(そして面白い)。でもって決勝戦って、なおさら見...
jungle123
2022-02-20T13:36:21+09:00
スポーツ/嗚呼、名勝負
今日は朝からブログを弄りながら、カーリングを
ずっと見ていた男、編集者・Kでっす!!
正直、もろもろのウィンタースポーツって、
普段そこまで興味を持っているわけじゃないですが
やっぱり五輪は見ちゃいますね(そして面白い)。
でもって決勝戦って、なおさら見ちゃいますね。
ハーフパイプもパシュートもスキージャンプも
そしてカーリングも全部面白かった。
そんなこんなで
本日は名勝負コラムの更新でございますが、
わしが見てきた冬季五輪で、最も興奮した瞬間の
ひとつといっていい、この年のこの競技、
1998年長野五輪
スピードスケート男子500M
を取り上げたいと思います。
※同大会のスキージャンプ団体と迷ったけど
(あれもまた超絶なドラマだった。ふなきぃ~)
はい、ある程度の年齢より上の方ならば、
「清水宏保が金メダルを獲ったやつ」といえば、
思い出すんじゃないでしょうかね。
当時は、相当なフィーバーになりましたから
(五輪後はテレビで見まくったよなあ)。
しかし、あの日の清水は本当に凄かった。
夏冬問わず、「短距離のスピード勝負」では
日本人は不利であると、いつも言われてきました。
陸上の100M走などはその代表例です。
この類の競技で日本人が強いイメージがあるのは
水泳くらいだったかもしれません。
体の構造、性質、大きさ、なにもかもが外国人に
劣っているのだと。だから、リレーや団体型種目、
あるいは中長距離に活路を見出すのだと。
そんななか、清水宏保は
「日本人の中でも小柄な体格」ながら、500Mという
短距離スピード勝負で優勝を果たします。
まったく純粋な「速いほうが勝つ」の勝負で、
彼は世界を相手に勝ったのです。
まだインターネットも普及してなかった1998年、
スピードスケートなんて、なかなか見る機会がなく
特に短距離においては、外国人が圧倒的に強いと
勝手に思い込んでいたわしは、
五輪前に「いま世界一速い男は日本人」という
情報を、テレビや新聞でキャッチします。
世界記録を持つ清水は金メダル最有力候補だと。
舞台は長野。
当然、日本人が優勝するところをみんな見たい。
戦前の記録から、清水への期待は相当なものでした。
身体能力の真っ向勝負になる場合は、多くの競技で
「世界への挑戦」「夢の舞台」のような雰囲気に
なっていた時代に、清水は違ったのです。
「力を発揮すれば優勝できる」というポジションで
この五輪の舞台に参戦したのです。
下記に動画を貼っていますが、
実況・解説の雰囲気も、短距離競技の雰囲気とは
思えません。「勝つ」前提で語っているので。
その頼もしさたるや。カッコよさたるや。
実況も解説も、「頑張れ」みたいなセリフでは
ないんですよね。必殺のスタート直後から、
「速い!」「素晴らしい!」「世界記録が出る!」
と、この偉大なアスリートのパフォーマンスに
感動しっぱなしなんです。
で、素人目にも「メチャクチャ速い」のは
分かるんですよね。
結果、彼は五輪記録で優勝します。
最強の選手が最強っぷりを見せて優勝、
これって意外となかなかないですよ。
それを見せたのが、162cmの日本人ですから。
様々な競技の「日本人は能力勝負では勝てない」
というネガティブな常識を破壊したひとりであろう
清水宏保、偉大な偉大なアスリートです。
いやあ、
しかしあの日の清水は死ぬほどカッコよかった。
若い世代の皆さん、見といたほうがいいですよ。
ではでは。
----
実況・解説も素晴らしい、
何度見ても興奮します。
↓
ドキュメンタリーチックなのも。
途中のコメントが、強い男のそれですね。
↓
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過去の名勝負記事はコチラからどうぞ。
↓
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嗚呼、名勝負(29) 大相撲 平成13年夏場所 貴乃花×武蔵丸
https://knoheya.blog.jp/archives/52017972.html
「痛みに耐えてよく頑張った!!感動した!!!!!」という、当時の首相・小泉純一郎さんのコメント覚えている方、たくさんいるのでは?突然カギカッコから始まってしまいましたが、久々の名勝負コラム、今回取り上げるのは20年以上前の大相撲夏場所より、あの伝説の一番、貴...
jungle123
2022-01-27T12:00:58+09:00
スポーツ/嗚呼、名勝負
感動した!!!!!」
という、当時の首相・小泉純一郎さんのコメント
覚えている方、たくさんいるのでは?
突然カギカッコから始まってしまいましたが、
久々の名勝負コラム、今回取り上げるのは
20年以上前の大相撲夏場所より、
あの伝説の一番、貴乃花×武蔵丸でございます。
このコラム、たまに大相撲を紹介していますが、
貴乃花(かつては貴花田)は二度目の登場ですな。
※下記大相撲のバックナンバー
白鵬×朝青龍、千代の富士×貴花田
↓
んでまた、
あの千代の富士を破った一番のちょうど10年後の
夏場所が、この武蔵丸との一戦なのね。
いやあ、なんか歴史を感じるわ、コレ。
さてさて、
冒頭のセリフ、かなり話題になりましたよね。
たとえば「平成13年の貴乃花と武蔵丸の一番は
凄かったですよね」なんて言っても、
みんなすぐには思い出せないと思うのですが、
「小泉総理が、『感動した』って言ったやつ」って
言えば、多くの方が「ああ、あれね」ってなると
思うんですよ。そのくらいの有名シーンですから。
もうひとつのインパクトは、
勝った後の貴乃花の顔でしょう。
これですよ、これ!! この顔!!!
↓
「鬼の形相」って言葉ありますよね。
みんな鬼を見たことがないのに、こんな言葉が
存在するわけですが、それって「きっと鬼とは
こんな顔であろう」と想像から逆設定することで
使っている表現だと思うんですよね。
で、「きっと鬼はこんな顔」ってのは、
きっと上記のような顔だと思うんですよ。
日本中が興奮した日でした。
アナウンサーも絶叫、
「上手投げえええ!! やった貴乃花、この顔!!」
この日の優勝決定戦、
すごいストーリだったんですよね。
このときの貴乃花、もう膝がボロボロになってて
誰が見ても「相撲をとれるような状態ではない」
という雰囲気だったんですよ。
そもそもが体中が痛んでいた晩年であります。
平成の大横綱と呼ばれた彼も、いよいよ力を
失ってしまったと周囲に言われているなかでした。
そのうえ千秋楽の前の14日目、武双山との一番で
思いっきりやっちゃったんですよね、膝を。
が、強行出場。
みんなが「膝ボロボロやんけ」と心配するなか、
翌日、武蔵丸との結びの一番を迎えます。
これで勝てば優勝だったのですたが、あっさりと
黒星を喫してしまい、勝ち星で並ぶことに。
はたして優勝の行方は「決定戦」に持ち越される
こととなったのであります。
ここで奇跡の勝利なんていう出来過ぎたシナリオは
ちょっと思い描きづらかったですね。
ホント、何をどう見てもボロボロでしたから。
もはや普通に歩けてないもん。
もう最後までやってくれるだけで十分。
それで我々は感動する準備は出来ている、と。
奇跡が起きるのは、漫画や映画の中の話であり、
これは現実世界の大相撲だよ、と。
が、
起きるんです、奇跡が。
いやあ、貴乃花って、
やっぱりスーパーヒーローなんだなあ。
1990年有馬記念のオグリキャップのような、
2009年WBC決勝のイチローのような、
神様がシナリオを用意していたとしか思えない
奇跡が現実に起こります。
で、感動し過ぎた小泉さんが、
表彰式で叫んだのが冒頭のセリフです。
日本中に広まりましたよね。
あのときの「感動した!!」は、
ケッコーな流行語になったと思います。
そんなわけで、
皆さんも是非感動してください。
伝説の一番と呼ばれる、貴乃花×武蔵丸。
また観客席の騒ぎっぷりも凄まじいです。
スポーツの会場で声が出せない今、
あの歓声も懐かしみつつ。
ではでは。
----
ストーリーからしっかり楽しむならば、
この動画がよいかな。
↓
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嗚呼、名勝負(28) プロ野球1994年セ・リーグ最終戦 中日×巨人 [10.8]
https://knoheya.blog.jp/archives/52013433.html
どーも!!!気が向いた時に、不意に野球のハナシをする男、編集者・Kでっす!(最近の野球は全然分からん)今日は久々の名勝負シリーズの更新ですが、野球を取り上げてみようかと。※以前、一度だけ取り上げていますね。試合内容よりも「応援」で記憶している一戦。↓
いやあ...
jungle123
2021-10-01T12:05:57+09:00
スポーツ/嗚呼、名勝負
気が向いた時に、不意に野球のハナシをする男、
編集者・Kでっす!(最近の野球は全然分からん)
今日は久々の名勝負シリーズの更新ですが、
野球を取り上げてみようかと。
※以前、一度だけ取り上げていますね。
試合内容よりも「応援」で記憶している一戦。
↓
いやあ、忘れていましたよ。
記憶に残るといえば、おそらくは
これが史上最大だろうというのを。
たぶん、1980年代生まれよりも年上の方ならば
ほぼ全員が知っているし、覚えているだろう、
社会現象的に盛り上がった、伝説の一戦です。
人呼んで、
「10.8(じってんはち / じゅってんはち)」。
Wikipediaには、この一戦だけのページがあり、
中身もなかなかの文字ボリュームです。
↓
1994年、
奇跡のような凄い巡り合わせが実現した年でした。
セ・リーグのペナントレースは、なんと、
・最終戦で
・同率首位のチームが
・直接対決で
・優勝を決定する
という状況になったんです。
これ、もちろん史上初です。
いつもは「マジック00」なんていう数字が灯り、
幾つか試合を残した状態で首位チームが優勝を
確定させるものじゃないですか。
それが最終戦までもつれるだけでも珍しいのに、
最後まで全く同じ勝率で2チームが並ぶなんて、
もう異常事態ですよ。
そのうえ、その2チームが最終戦で激突だなんて
マンガや映画でも見たことない奇跡的事象。
まあ、それはそれは盛り上がりました。
何か言うと流行語になる、でお馴染みの長嶋監督が
この試合を「国民的行事」と呼んだことから、
「10.8決戦」は、野球ファンやスポーツファンの
枠を超え、みんな見るべき、いや、もはや
「見なきゃいけない」的な雰囲気になったんです。
それはもう紅白歌合戦のトリの一曲か、
なんならもう、新しい元号の発表かのように。
学校でも、男子はみんな「どっちが勝つか」の
議論合戦ですよ。ヘタしたら喧嘩が始まった
クラスもあったのでは?(いや、マジで)
わしの故郷・岡山県は、地元球団がないから
(特定のチームにファンが集中してないから)、
いよいよ真っ二つだったんですよね。
そんな大一番、
戦いの舞台は名古屋でした。
つまり、中日ドラゴンズの本拠地。
そして先発投手の雰囲気は正反対。
わし、当時の新聞記事の内容を結構覚えてて
ウチがとってた新聞では「決戦前の心境としては
中日有利」とされていました。
中日はもう、誰がどう考えてもエース・今中が
投げるのは間違いなく、彼に賭ける形で全員の
ベクトルが一致していると。
くわえて、戦場は名古屋ですからね。
一方の巨人は、「三本柱」と称されていた
斎藤・槇原・桑田の誰が出てくるか読めない
という分析で、これは巨人の選手にとって、
精神的な準備という面ではやや危うい状態だと。
※いま確認すると、桑田が10/5に投げていて、
斎藤・槇原が10/6に投げていたとのこと。
ふむ、そりゃ当時じゃ読めんかったかも
(でも、先発が槇原という予想は多かったかな)。
そして当日、
「3人のうち、誰が出てくるんだ?」と議論された
巨人ですが、なんと「3人とも」出てきました。
伝説のリレー、槇原 → 斎藤 → 桑田。
3本柱が、最後の日に全員登場したのです。
これもまたマンガや映画のような展開ですよね。
長嶋監督って、こういうことするからねえ。
ホント、選手を引退して監督になっても、
日本のスーパーヒーローなんですよねえ。
はたして、
優勝の栄冠は巨人へ。
伝説の一戦は、長嶋監督の胴上げで
幕を閉じたのでした。
なにからなにまでドラマチックな勝負だったわ。
野球にとどまらず、日本のプロスポーツ史上でも
最大級の盛り上がり、最高の行事だったんじゃ
ないかなあ、あの一戦は。
1994年10月8日、あの日は、
日本中の人間が野球を見た日だったと思います。
オッサンの皆さん、
絶対、覚えてますよね?
ていうか、見ましたよね??
てなわけで、
伝説の一戦のハナシでした。
ではでは。
動画はいっぱいあるんですが、これが一番、
社会の雰囲気含めて分かりやすいかな、と。
↓
=====
その他の名勝負はコチラからどうぞ!
バスケ、サッカー、格闘技、色々書いてます!
↓
=====]]>
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嗚呼、名勝負(27) 高校バスケ ウィンターカップ1996男子決勝 能代工業×福島工業
https://knoheya.blog.jp/archives/52010634.html
どーも!!!本日は名勝負コラムをお送りします!!で、ついこのあいだ高校生のゲームをとりあげた中、またしても高校バスケ、ウィンターカップから昔のゲームを振り返ります。※以前、当コラムでピックアップしましたのは、1992年の大会でした。もはや伝説ともいわれる平岡さ...
jungle123
2021-08-25T12:08:36+09:00
スポーツ/嗚呼、名勝負
本日は名勝負コラムをお送りします!!
で、
ついこのあいだ高校生のゲームをとりあげた中、
またしても高校バスケ、ウィンターカップから
昔のゲームを振り返ります。
※以前、当コラムでピックアップしましたのは、
1992年の大会でした。もはや伝説ともいわれる
平岡さんのあのゲームです。
↓
そして、
今回取り上げますのは、1996年。
これは、我がKの部屋読者ならば、
かなり多くの方が見た試合ではないでしょうか。
そう、田臥勇太1年生のときの大会ですので。
※つまり、先日の「もしも」で取り上げた
能代工業の1年前の代ということになります
(まあこの年と1年後は同じ面子なのですが)。
田臥選手の存在は、当時のバスケ界では
めちゃめちゃ話題になってました。
高1であの注目度は、異例中の異例だったのでは
ないかと思いますよ。
前回の平岡さんも1年生時から凄かったけど、
彼の場合は、ウィンターカップの放送で
その存在が知れ渡った感じだったんですよね。
対する田臥選手は、雑誌等でその手前から
有名になっていまして、このゲームの放送で、
「噂の1年生がついにベールを脱ぐ」みたいな
感じだったかと思います。
※夏の総体をNHKで見た方もいると思いますが
が、
この日の視聴者は、その田臥と共にもうひとり、
とんでもない男を発見することになります。
福島工業のエース、渡邊拓馬です。
※あ、そういえば、某ブログには渡邊タクヤ
という選手が出てきますね、同じ福島の高校で。
わしは毎号月刊バスケを買って情報を漁るような
マニアックな男だったので、田臥も拓馬も
その存在は知っていましたが、インターハイで
決勝に出ていた田臥はともかく、拓馬のほうは
プレイをちゃんと見たことがなかったですから、
この試合、実はそっちのほうが楽しみでした。
で、開始早々に度肝を抜かれます。
いままで色んな高校生を見てきました。
で、1試合で残したインパクトでいうと、
前回紹介した平岡さんが史上最強だったと
思っているのですが、
「試合開始直後のインパクト」でいうと、
この渡邊拓馬が頂点なんじゃないかと。
拓馬はこの試合、最初の80秒で7点も
獲っちゃうんですよね。すべて異なるプレイで。
最初にコーナーから撃ったスリーは外れますが、
そのコボレ球を自ら拾うと、なんとも華麗な
ダブルクラッチで先制点を奪います。
続くディフェンスで能代の攻撃を止めると、
今度はハイポストからターンしての
ジャンプショットでリングを射抜き、
再び能代を止めた次の攻撃では、左45度から
美しいスリーポイントを沈めて見せます。
この80秒は本当に圧巻でした。
「何コイツ…!? バケモンじゃん」と。
「全部できる、オフェンスオバケじゃん」と。
これまでわしが見た中で一番センスを感じた
高校生だったかもしれません、渡邊拓馬。
当時188cmでしたので、高校バスケの世界では
飛びぬけて背が高いわけではないですが、
まあ、スコアリングに関するスキルについては、
何から何まで凄かったです。
※因みに解説の倉石さんは、彼のことを
「ドリブル・パス・シュート、全部について
今の高校バスケ界ではナンバーワン」とまで
言っていましたデス。
全国大会でもダンクをかますし、
シュートフォームは抜群にきれいだし、
ダブルクラッチのしなやかさもハンパないし、
上手い、速い、高いの三拍子ですよ。
しかしその後、
試合は能代工業が取り返します。
この年は、田臥勇太の偉業中の偉業である
「高校9冠」の1年目になりますが、
まあ、あの5人はこの時から凄かった。
田臥勇太は、1年生時から魔法使いでした。
この試合の中でも「わお…!!」となるパスを
何本も見せてくれます。
菊地のスリーも若月のランも冴えわたってるし、
畑山&小嶋の上級生コンビも安定感抜群でね
(って、ふたりともまだ2年生でしたけど)。
拓馬はずば抜けて凄かったですし、
他にも好プレイヤーがそろう福島工業でしたが、
さすがにあの能代には勝てませんでした。
はたして、インターハイ・国体に続き、
このウィンターカップを制して三冠達成。
伝説の幕開けとなったわけであります。
うーん、でもやっぱりわしは、
拓馬の記憶のほうが強いかもしれんなあ。
ホント凄かったのよ、あの80秒が。
みんなも観たんじゃないかしら、この決勝戦。
※試合は12:40あたりから始まりますが、
せっかくなんで冒頭のダイジェストもご覧あれ。
1回戦から田臥も拓馬もすげーから。
↓
懐かしいなあ。
この頃に活躍していた高校生って、
いまは監督になっているような世代ですね。
そんななか、いまだ現役の田臥勇太、
やっぱりリスペクトであります!
てなわけで、前回に引き続き
高校バスケから名勝負の紹介でした。
ではでは。
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その他の名勝負記事はコチラから。
アレコレ一生懸命書いております!
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嗚呼、名勝負(26) 96年アトランタ五輪 男子サッカー 日本×ブラジル
https://knoheya.blog.jp/archives/52011718.html
どーも!!!引き続き「五輪モード」な毎日で、今夜の男子サッカー、日本×スペインが楽しみで楽しみで仕方がない編集者・Kでっす!てなわけで、今日は五輪サッカーの思い出を名勝負コラムで取り上げたいと思います。五輪の男子サッカーで「日本×ブラジル」とくれば、もう皆...
jungle123
2021-08-03T07:30:52+09:00
スポーツ/嗚呼、名勝負
引き続き「五輪モード」な毎日で、
今夜の男子サッカー、日本×スペインが
楽しみで楽しみで仕方がない編集者・Kでっす!
てなわけで、今日は五輪サッカーの思い出を
名勝負コラムで取り上げたいと思います。
五輪の男子サッカーで「日本×ブラジル」
とくれば、もう皆さん、お分かりですよね。
そう、「マイアミの奇跡」でございます。
オッサン世代でこの試合を「知らん」という人は
いないでしょう。よしんば観てなくとも、
情報すら知らんというのは、ちょっとあり得ない。
そのくらい、日本中が大爆発した日でした。
ときは1996年、舞台はフロリダ州マイアミ。
現地は夜、日本は朝でした(いま調べたら、
たぶんキックオフが朝の7:30くらい)。
※なので、この記事も朝7:30更新(笑)
学校はいわゆる夏休みの時期でしたから、
かなり多くの方がライブで見たと思います。
※特にいま40代中盤より若い方の多くは、
当時まだ社会人ではなかったと思いますので、
いよいよ大半の方が観たんじゃないかと
(因みに、わしは大学1年生でした)。
放送はTBSで、実況は「世界の松下賢次」と
自分で名乗ることでお馴染みの松下アナ。
わし、この松下アナの印象がケッコー強いです。
この試合を思い出すと彼の声が蘇ります。
改めて振り返ってみますと、
まあ、ボロクソに攻め込まれた試合ですよね。
浴びも浴びたり、シュート28本
(ちなみに、日本は4本)。
日本人は「川口能活が全部止めた」という
印象しかないんじゃないか、という。
攻撃シーンを思い出す人いないでしょ、あれ。
あの時のブラジルの面子ときたら、
死ぬほどエゲツナイですから。
ロナウド(当時の登録名はロナウジーニョ)、
リバウド、ベベット、ロベカル、ジュニーニョ、
アウダイール、ジーダ…、
このままW杯に出ても優勝しそうな、とんでもない
メンバーを揃えてきやがったわけです。
対する日本も「史上最強」と呼ばれた面子。
前園、中田、城、伊東、服部、松田、川口、と、
98年・02年のW杯に繋がるメンバーが名を連ね、
相当に期待大な布陣でした。
が、とはいえ、相手はあのブラジルですから。
しかも容赦ナシのドリームチームでしたから。
これはとんでもないリンチもあり得るぞと、
ビビりながらテレビの前に座っていたら、
ホントにとんでもない波状攻撃なわけですよ。
ホント、ずーーーーーっと、攻められてました。
もしあのときSNSがあったら、
「やべえ」「怖え」「エグい」「シャレにならん」
「強すぎる」「もう勘弁してくれ」
みたいなツイートが並びまくったと思います。
とにかく一方的。そんな試合でした。
でも一方で
「止めた!」「また止めた!」「これも止めた!」
「川口!」「川口、すげえ!」「川口、神!」
みたいなツイートも乱舞したでしょうね。
ていうか、それしか書くことがない(苦笑)。
で、結果は皆さんご存知の通り、
1-0で日本がブラジルを破ります。
「奇跡」というほかない出来事でした。
当時、まだ友達だった、現在の奥様から、
「日本スゴイー」みたいなポケベルメッセージが
来たことをよく覚えております。
※ケータイじゃなくポケベルね(笑)
「おお、今日の試合、アイツも観てたんか」と
ヘンに感動したものです。前述のとおり、
それだけ誰もが観たゲームだったんですよね。
あれから25年も経ったんですね。
当時、スーパーヒーローとなった川口能活は、
いまコーチとなり、日本のベンチに座っています。
先日のニュージーランド戦にて、谷のチカラを
引き出したのは彼の声だという記事もありました。
あのときピチピチの大学生だったわしも、
もうすっかり子持ちのオッサンでございます。
なんなら、わしの娘(高3)と、当時のわし(大1)の
年齢がほとんど変わらないという。
なんつーか、時の流れとドラマを感じますねえ。
あ、そうそう、
ドラマといえば、twitterでも呟きましたが、
このマイアミの奇跡の4年後、
シドニー五輪で日本が準々決勝のPK戦(敗北)を
もし制していたら、準決勝ではなんとスペインと
当たることになってたんですよね。
21年後のいま、準決勝でスペインとやるんだよ。
これまたドラマだよ。
↓
なんて、いろいろ思いを馳せながら、
今日の日本代表の戦い、全力応援です。
皆さん、今夜もよろしくメカゴジラ!!!
ではでは。
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まあ、奇跡としか言いようのない試合だったわい。
↓
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嗚呼、名勝負(25) 高校バスケ ウィンターカップ1992男子決勝 土浦日大×愛工大名電
https://knoheya.blog.jp/archives/52009672.html
どーも!!!!言うまでもなくバスケ大好き、編集者・Kでっす!※ミニバスからNBAまで全部好き!!!そんなバスケ大好きなオッサンのわしですが、世の中に「バスケ大好きなオッサン」って他にもたくさんいるものでして、おそらくはその界隈で、満場一致で賛同いただけるであ...
jungle123
2021-06-22T12:15:59+09:00
スポーツ/嗚呼、名勝負
言うまでもなくバスケ大好き、
編集者・Kでっす!
※ミニバスからNBAまで全部好き!!!
そんなバスケ大好きなオッサンのわしですが、
世の中に「バスケ大好きなオッサン」って
他にもたくさんいるものでして、
おそらくはその界隈で、満場一致で
賛同いただけるであろう意見があるんですよね。
コレです!!
↓
=====
土浦日大高校の平岡富士貴さんは
とんでもないバケモノだった!!!!!
=====
おおおおおーーーーー、聴こえる、聴こえる!
日本中のバスケ好きなオッサンの賛同の声が!!
いや、もう絶対自信ある。
当時高校バスケを見ていて、平岡さんのことを
「知らん」だの「大したことない」だの言う人、
絶対いない。ゼロ人。全員知ってる。全員驚愕。
これはもう「説」として出してもいい。
うん、「高校時代の平岡のインパクト最強」説。
高校時代に猛烈なインパクトを残した選手って
まあたくさんいますよ。
分かりやすい例は、田臥勇太、竹内兄弟、八村塁。
古いとこ行くと、長谷川誠、小納兄弟、渡邊拓馬。
※能代が多いな、やっぱり(笑)。
でもね、そのなかでも世のバスケファンに最も
衝撃を与えたのは、この人だったんじゃないかと。
1990年~1992年の、
土浦日大高校・平岡富士貴さんです。
なんと説明すればいいのか、難しいのですが、
とにかく凄かったんですよ。
※なんだ、この語彙のない表現…(編集者なのに)。
1年生時からチームのエースとして活躍してて、
ウィンターカップにも出てたから、1年生ながら
早くも有名選手となり、3年の夏はついに全国制覇。
うん、漫画の主役みたいな人でしたよ。
バカみたいに点を獲って、
バカみたいにリバウンドも獲って、
バカみたいにパスもうまくて、
バカみたいにディフェンスも強い。
で、そのすべてに「気迫」がこもってた。
飄々とやってる感じじゃなくて、「俺がやる」と
いつも目が燃えているんです。
ホントに、全部やるんです、この人。
スリー撃って、外れたら自分で拾う、みたいな。
スティールから自分で運んで決める、みたいな。
ブロックの直後にタッチダウンパス、みたいな。
あ、もしかしたら「レブロンみたいな人」
っていうのが、一番分かりやすい表現かも。
そう、
30年前、日本の高校にレブロンがいたんです。
当時中学生だったわしは、茫然としながら
テレビを眺めていました。
何だこの人、こんな高校生がいるのかよ、と。
もちろん昔のプレイヤーですから、
八村選手や富樫選手のような現代のバスケと
比べると、ちょっと古臭いかもしれませんし、
プレイの質自体には驚かないかもしれません。
でもね、
その存在感は本当に漫画の主人公かよっていう
凄いものがあって、それはいまでも伝わるんじゃ
ないかなあ。
野球でいえば、
清原(PL)、松井(星稜)、松坂(横浜)、
サッカーでいえば、
山田(清商)、小倉(四中工)、平山(国見)、
そんな感じかもね。
試合自体も面白かったんだけど、でも感想は
「平岡が凄かった」に尽きるゲーム。
約30年前の名勝負、名選手、
本当に凄い人だった。忘れられませんです。
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こちら、平岡ハイライトバージョン。
↓
こちら、フルタイムバージョン。
↓
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嗚呼、名勝負(24) 2002日韓W杯グループリーグ 日本×ベルギー
https://knoheya.blog.jp/archives/52009598.html
どーも!!!最近、サッカー日本代表のゲームを見逃すことがある男、編集者・Kです。※こないだのフル代表×U24も見逃しちまった…(他国との試合はわりと見てるんだけど)でも、今日は日本代表の試合を取り上げます(かつては熱狂的に全試合見ていたのです)。24回目となる名勝...
jungle123
2021-06-16T12:05:39+09:00
スポーツ/嗚呼、名勝負
最近、サッカー日本代表のゲームを
見逃すことがある男、編集者・Kです。
※こないだのフル代表×U24も見逃しちまった…
(他国との試合はわりと見てるんだけど)
でも、今日は日本代表の試合を取り上げます
(かつては熱狂的に全試合見ていたのです)。
24回目となる名勝負コラム、
今回は、2002年日韓W杯からチョイスです。
日本中が熱狂したあのW杯の初戦、
ベルギー戦でございます。
※2018じゃないよ、2002のほうだよ
2002年、
もう20年近く前なんですね(年とったなあ)。
おそらく、いま30代以上の方で、この試合を
「知らん」という人はいないのではないでしょうか。
日本中が異常に盛り上がったあの夏の思い出。
その初戦ですから、忘れられないゲームでしょう。
なんだかちょっと不思議な気もしますが、
あのワールドカップが、日本(+韓国)で
本当に行われたんですよね。
世界中のスーパースターがやってきて、
世界一をかけた戦いを繰り広げてくれたのです
(ただ、わしが大好きなオランダは来なかった…)。
このベルギー戦は日中のゲームだったのですが、
確か多くの企業が、この時間だけは「観戦タイム」
にしてたんじゃなかったかな。
もはや国民的行事になってたんですよね。
当時わしがいた名古屋の編集部もそうでしたよ。
日本代表の試合の時間はみんな仕事の手を止めて
テレビの前に集合してました。
普段サッカーに興味を持っていなかった女性陣も
このときだけはみんな見てたんですよね。
この試合、ベルギーが先制し、日本が追いつき、
さらには勝ち越し、再び追いつかれるという、
ジェットコースターのような戦いだったのですが、
なんといっても、記憶に最も強く残っているのは
鈴木隆行の同点ゴールでしょう。
あんなに決まった瞬間発狂したゴールも
歴史上なかなかありません。
この2002年大会に限らず、これまでの日本代表の
あらゆるゴールの中でも、トップクラスに
インパクトのあるものだったと思います。
「史上最も興奮したゴール」にコレを挙げる方も
少なくないんじゃないかな。
まあ、あの瞬間は、オフィス全体が大騒ぎに
なりましたよね。それはそれは祭りのように。
なんというか、日本の底力、執念みたいなものが
披露されたような気がしたんです。
このとき、日本代表はまだ2度目のW杯です。
そして前回大会(98フランス)では勝ち点1すら
あげておりません。3連敗だったのでした。
また、この大会は開催国でしたので予選もなく、
日本代表は真剣勝負をしばらくやっていないと。
はたしてどこまでやれるのか、不確かな状態。
最後の最後で中村俊輔が代表から外れるなど、
選手選考にも疑問の声があがってたりもして。
そんななかで迎えたこの試合。
先制されたときは「あー、やっぱりダメか」と
多くの方が思ったでしょう。だって、まだ1回も
勝ったことがなく、引き分けすらないんだから。
ところが、その直後ですよ。
小野が蹴ったボールに両軍の選手が駆け込む中、
鈴木が伸ばした右足が、誰よりも一瞬早く、
ボールに触れたのです。
そして……、
いやあ、あの瞬間の興奮ったらなかったよなあ。
「うおおおーーーーー!!!」とか
「やったああーーーー!!!」とか
そういう爆発とともに
「オラア、見たかあ!!!」
みたいなガッツポーズもあった気がします。
「どうせダメなんだ」的な雰囲気をぶち壊す
熱さ100パーセントの一発だったんです。
みんなが爆発した、あの日のあのゴール。
そういや、いまでも
「あのとき、どこで見てた?」
みたいなハナシすることあるもんね。
みんながあの瞬間を体感しているからこそ
成り立つ会話ですよね。
てことで、
皆さんどこで見てました?
どんなふうに爆発しました??
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ちょいと長めのハイライト。
↓
コンパクトなハイライト。
↓
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嗚呼、名勝負(23) 女子プロレス夢のオールスター戦/北斗晶×神取忍
https://knoheya.blog.jp/archives/52007738.html
どうも!!!!プロレス大好き、そして実は、女子プロレスもケッコー好き、編集者・Kでっす!!※って、最近の界隈は全然分らんけどさこの名勝負コラム、女子バスケの記事は何度か書いたことがあったのですが、そういえば女子プロレスの記事はなかったじゃん、と思い、今日は...
jungle123
2021-05-07T12:05:01+09:00
スポーツ/嗚呼、名勝負
プロレス大好き、
そして実は、女子プロレスもケッコー好き、
編集者・Kでっす!!
※って、最近の界隈は全然分らんけどさ
この名勝負コラム、女子バスケの記事は
何度か書いたことがあったのですが、そういえば
女子プロレスの記事はなかったじゃん、と思い、
今日はこんな名勝負をピックアップ。
いまから28年前、1993年4月2日に行われた
女子プロレス「夢のオールスター戦」より
北斗晶×神取忍の一戦です。
この興業、プロレスファンの間では、
なかなかの「伝説」なんですよね。
1993年、当時、わしは高校1年生。
ゴリッゴリの全日本プロレスファンで、
一番好きなレスラーは三沢光晴だったのですが、
この時ばかりは、女子に注目しておりました。
ついに実現に至った全団体参加のオールスター戦。
それも、全てのカードが団体対抗戦。
ここまで「夢」を感じた興行は、
なかなかないのではないでしょうか。
※全団体からカードを提供する興行は、ほかにも
例があります。週プロ主催の「夢の架け橋」など。
でも、全カードが対抗戦だった興行となると、
これはなかなか例がないのですよ。
舞台は横浜アリーナ。
カードは下記の通り。
■第1試合
長谷川咲恵&伊藤薫
×
プラム麻里子&福岡晶
■第2試合
テリー・パワー&沼田三絵美
×
土屋恵理子&前泊よしか
■第3試合
KAORU&ウルティモ・ディグリータ
×
下田美馬&渡辺智子
■第4試合
みなみ鈴香&三田英津子
×
風間ルミ&半田美希
■第5試合(異種格闘技戦 )
バット吉永
×
スーザン・ハワード
■第6試合
デビル雅美
×
長与千種
■第7試合
井上京子&井上貴子
×
尾崎魔弓&キューティー鈴木
■第8試合
アジャ・コング&ブル中野
×
ハーレー斎藤 イーグル沢井
■第9試合
堀田祐美子
×
ダイナマイト関西
■第10試合
北斗晶
×
神取忍
■第11試合
山田敏代&豊田真奈美
×
コンバット豊田 工藤めぐみ
うーん、いま見ても恐るべきラインナップ。
繰り返しますが、これ全部が対抗戦ですから。
同一団体内のカードはないですから。
全部が、対抗戦なのです。熱すぎる1日なのです。
詰めも詰めたり、全11試合。
あまりにもカードが多く、また熱戦に次ぐ熱戦に
なったせいで、大会の間に日付が変わった、
というのは有名な話。
終電がなくなり、帰れなくなったファンが
続出したという、とんでもない興行なのですよ。
フレッシュな第1試合、
伝説復活の6試合、
美女だらけの第7試合、
怖い人だらけの第8試合、
いずれ劣らぬ素晴らしいカードだらけなのですが、
しかし、最もファンの印象に残っている試合は、
満場一致で、第10試合になるでしょう。
伝説の興行において、そのなかでも
「伝説の一戦」とされる本当に凄い勝負でしたから。
んでまた、
北斗と神取って、プロレスファンじゃなくても
わりと知られているふたりですしね。
のちにお茶の間の人気者ともなるふたりなので、
あまりプロレスに興味がなくとも、
この試合の映像は楽しめるんじゃないかしら。
ただ、内容は、相当にエゲツナイです。
皆さんが想像する女子プロレスの試合とは
全然違うと思います。ちょっと「閲覧注意」かも。
そして、わしの予想が外れた試合でもあります。
神取が勝つと思っていたのですよ。
だって、「本当に」メチャクチャ強いから。
※このへん、まだ高1の頃のわしはピュア(笑)。
聞いたことありませんか?
彼女が「女子プロレス最強の『男』」と呼ばれて
いたってハナシ(どういうキャッチコピーだ)。
神取は、設定ではなく、マジで強いからね
(柔道世界選手権でメダルも取った実力者)。
北斗は、スター性は抜群なんだけど、
実力においては、さすがに神取には敵わんだろと。
また、神取って、関節技が得意だったから
わりとわし好みだったりしてね。
好きなんです、関節技が得意なレスラー。
藤原喜明とかケンドー・カシンとか、最高です。
そもそもUWFが好きだった男だしね。
※まあ、そのくせに一番好きなレスラーは
三沢光晴なんだけど(どないやねん)
てことで、ピュアなわしは「本当に強い」
神取の勝利を予想していたのですが、
バッチリ外れました。
勝利したのは、北斗晶だったのです。
フィニッシュは、「右ストレート」。
「なんでやねん」って突っ込まれそうですが、
本当なんだから、しょうがない。
勝負を決めたのは、
北斗の代名詞・ノーザンライトボムではなく、
時折見せる派手な空中殺法でもなく、
技でも何でもない、「右コブシ」だったのです。
女性二人が、血まみれになって殴り合うという
前代未聞の一戦は、壮絶な幕切れでした。
彼女達の試合は、「男性ファンを女子プロレスに
呼び込み、定着させた」とも言われています。
男子選手の試合をいつも見ているファンからしても
このカードは一見の価値アリだったのです。
しかし、「右ストレート」って。
プロレスの仕組みが世に知れ渡っている今でも、
意外とこの試合は「本当」なのでは、なんていう
説があったりするんですよね。
表現が難しいんだけど、
これは「ガチなプロレス」だったんじゃないかな。
もちろん、プロレスはプロレスなんだけど、
いわゆるエンタメ型とはちょっと違う。
是非、目の当たりにしてもらいたい一戦です。
「おいおいおいおい」と思いながら、ご覧ください。
↓
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その他の名勝負はこちらから
↓
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